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おまけ 「こどものじかん」
『もしもまほう使いがいて願い事をかなえてくれるなら、ぼくは一日だけみのるになってみたいです。みのるになって、じゅくを休んで、家でゆっくりおやつを食べたいです。そしてお母さんにおもいっきり甘えてみたいです。一日だけでいいからそうしてみたいです。かやのしげる』
小野寺は茅野につれられて都内のビジネス街にやってきた。
地下鉄の駅から地上に上がって歩道橋を渡る。三車線ずつある幹線道路はヘッドライトの白い光とテールランプの赤い光が綺麗に別れて流れていた。その脇には夜空を浸食するような高層ビルが並ぶ。
その一つに茅野法律事務所の看板をみつけた。
「ここだよ」
「一等地か、すげえな」
観葉植物の鉢を置いたエントランスを入り、エレベーターで五階に上がる。看板の出ているドアの前まで来た。本日の受付時間終了の札が出ている。
「意外な人が来てるから、びっくりするよ」
もう夜の十時をまわっている。わざわざ寮の夜間外出許可をとってきたのだ。
「もう終わってるんじゃないの?」
「うん。でも二人がいるんだ。いつもは僕らみたいにオフの月曜日に会ってるみたいだけど。今日は仕事が早く終わったから二人で遊んでるんだ」
「二人で?」
茅野がそっとスチールのドアを開ける。中は明るく空調もきいていたが、他の従業員はすでに帰ったようで人影はなかった。ブースで仕切られた相談用の個室があるのを通り過ぎると、可愛らしいクマの模様がついたカーテンで仕切られた一角が見えてきた。
「ここはチャイルドルーム。子連れで相談に来た人のために玩具やDVDやテレビゲームを置いてるんだ」
カーテンの隙間から奧がちらりと見えた。畳ふうの厚みのある敷物を敷いた四畳くらいのブースだ。テレビがちかちか輝く。表示されたゲームタイトルは、十年ほど前に流行った懐かしいゾンビもののアクションRPGゲームだった。その前に誰かいる気配がある。
茅野が口元に指をあてて、静かに、と指示してから、そっとカーテンの合間からのぞきこんだ。
後ろ姿だが、きっちりとしたスラックスにYシャツ、サスペンダー姿の大人の男がちんまりと体育座りになっていた。髪は隙ひとつないオールバックだ。そのとなりには、若そうな短髪の男が、「房総学園」と印字された着古したジャージ姿であぐらをかいている。
(津和野?)
オールバックの男があたふたと叫ぶ。
「津和野君、津和野君、これ後ろ向きにしか歩けない。後ろ向きにしか歩けないんだがっ」
「お兄さん、コントローラー握りしめすぎです。側面にあるボタン押しちゃってるんですよ。ここ、はなして」
かちゃかちゃと不器用にコントローラーを握りなおす音がする。
「津和野君、あ、ゾンビ来たっ。ゾンビ来たんだがっ」
「あー。お兄さんが勝手にドア開けたからじゃないすか」
「開いたんだよ、勝手にっ」
「いや、耳元でいちいち報告しなくていいですから。撃ってください。やられちゃいますよ」
カチカチとコントローラーのボタンの音だけがする。
「撃てないっ。撃てないんだがっ」
「弾丸装填してないからでしょ。装填してくださいよ。ってか、もうここは俺がやっつけときますよ」
テレビ画面から銃声がした。
「すごい。津和野君は強いね。たのもしいね」
「いや、まだゲーム始まったばっかですからね、ていうかお兄さん、俺がこのゲーム持ってきたとき『ああ、これね、懐かしいね』みたいなこと言ってたじゃないですか。絶対初心者ですよね。ていうか、もうこういうゲーム全般やったことない人ですよね」
なにかぼそぼそと小さな声で茅野の兄が弁解している。
「……ああ、すみません。てか、お兄さんが知らないだろうなーって思ったから俺も持ってきたんすよ。これ面白いっすよ。俺マジはまりましたもん」
気を取り直したのか、またうるさく叫びながらの前代未聞のへったくそなゲーム実況が始まる。
そういえば、茅野の兄が寮に押しかけてきた日、津和野が茅野の兄のことを話していた。
「あの時、どうでもいい世間話してなんとかお兄さんを足止めしようとしたんすけど、全然話が通じないんですよね。有名な漫画もアニメも格闘技も知らないし、ゲームもやってないみたいだし。パチンコも麻雀もですよ。芸能人とかも興味ないみたいで。ああいう人ってなにが楽しくて生きてんでしょうね。俺にはわかんねーな。あ、でも、変わってて超面白い人だなって思いますよ。これから楽しめばいいんですよね」
とひどく興味深そうに話していた。
「津和野君っ、倒した。倒したぞ」
「ぐっじょぶ! まだまだうじゃうじゃ来ますんで、弾丸節約してくださいよー」
「本当かっ」
茅野が指先で小野寺の肩をたたき、二人はそっとチャイルドルームを離れた。事務所を出てエレベーターホールに向かう。
「津和野君が兄の友達になってくれて、本当に嬉しいよ」
「あの二人、小学生みたいだったな」
「兄にはそういう時間がなかったんだ」
そう言う茅野は少し涙ぐんでいるように見えた。
「でも、大丈夫。何度でもやりなおせるだろ」
茅野はこくん、とうなずいた。
小野寺はその手を握り、そっとコートのポケットの中へ入れた。ささやかなぬくもりが愛おしい。もう冬が近い。
了
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