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第22話 【平成】最後の仕上げ

 「だっ、ダメです。今はダメっす」  寮の玄関に津和野の悲鳴のような声が響く。 「お、お兄様、あ、あの、小野寺さんと茅野さん今から呼んできますんで、それまで、こちらで、こちらでっ、どうかごゆるりとっ」  玄関からどんどん階段をあがってくるのは、茅野の兄だ。茅野の兄は十歳年上で三十一になる。上背があって、弁護士という仕事柄か姿勢に威圧感がある。仕事帰りに来たのか上質そうな三つ揃いに身を包んでいた。寮へ向かう彼をなんとかひきとめようと、階段でとなりを歩きながら食いさがっているのは津和野だ。  小野寺はその日、行くあてのない茅野を寮に連れ帰った。ここに泊めるしかない、と部員たちに説明した。すると夜になって茅野の兄が突然押しかけてきたのだ。茅野の友人に一人一人連絡して居場所をつきとめたらしい。 「あ、あの、茅野さんのお兄様っ、あまりにもこちらのいうことをきいていただけませんと、面倒くさくなって俺タックルかましちゃいますけどいいっすか?」  酷薄そうな目でぎろりとにらまれる。 「嘘。嘘ですう。お兄様~」  なんとか懐柔しようと必死だ。  階段を上がる速度をけしてゆるめようとしない茅野の兄の態度に、津和野が絶望的な気持ちで階段の先をふりあおぐ――と、二階と三階の踊り場に人影があらわれた。 「津和野君、ありがとう。巻きこんでごめんね。僕ちゃんと話をするよ」  茅野だった。そばに小野寺も立っている。 「穂。帰るぞ」  茅野の兄は、犬にでも指示するようにそっけなく言った。 「僕は文学部に転部する。兄さんが認めてくれないなら、このまま家を出る。いや、最初っから僕がちゃんと自立すればよかったんだ」  ちっ、といらだちを隠しもせず舌打ちした。そして隣にいる逞しい大学生のほうに目をやった。 「君が小野寺君か」 「ご心配かけて申し訳ありません」 「小野寺は関係ないよ」  小野寺が頭をさげると、茅野がかばうように口をはさんだ。 「君が、うちの弟をおかしな道に連れこんだのか」 「おかしな道、ですか?」  小野寺の兄は軽蔑するように薄く笑って、持っていた鞄のジッパーを開け、さかさまにした。黒革の鞄から階段に落ちたものは、ゲイ雑誌だった。何冊もある。  茅野が小さな悲鳴を上げて階段をかけおりた。 「見ないでっ。お願い、見ないで!」  悲痛な声で叫ぶと、あわてて集めて隠すように自分の胸に抱いた。背中を丸めて、ぎゅっと目を閉じている。膝ががくがく震えている。 「弟の部屋に勝手に入ってものを持ち出すなんて、ずいぶんいい趣味ですね」  小野寺は茅野の兄を見下ろし辛辣に言った。 「なんとでも言いなさい。私は彼のために行動しているんだ」 「お兄さん、あなたの弟さんは俺なんかが簡単にたぶらかせるほど馬鹿じゃないっすよ。すごくいろんなこと考えてるんすよ。その上で俺を選んでくれたんですよ」  小野寺は一歩階段を降りた。一歩一歩、茅野と兄のところへ降りていく。 「俺は、あなたの弟さんに好いてもらったことを、すごく誇りに思ってるのに、あなたがそれを汚すな――いや、それを価値の無いものにしないでくださいよ」  一段下りる。 「俺はあなたを立派な人だと思ってます。穂だってお兄さんのことをたくさん努力して成功した人だって言ってました。でもその立派な人生にどうして穂を道連れにする必要があるんですか」  また一段。茅野の兄の心に肉薄するように距離を縮めていく。 「そこに、あなた自身も納得できてないところがあるからですか? 同じ場所に穂を連れて行かなきゃ不安なんですか?」  ぎろり、と茅野の兄が小野寺をにらんだ。小野寺は顔に穴が開きそうなほどの視線で射られながら、ひどく落ち着いていた。 「俺のことが気に入らないなら、煮るなり焼くなり好きにしてください。たいていのことじゃ音をあげませんよ。でも、俺の前で一言でも茅野の生き方を否定しないでください。でないと俺は、あなたと徹底的に戦いますよ」 「何を言ってるんだ。私は穂の肉親で保護者代わりだ。お前に何ができる」 「俺、じゃなくて俺たち、だよな、小野寺」  低い声に上を見上げると、踊り場に葛城が立っていた。 「お兄さん、弁護士さんっすよね。今どきLGBT侮辱するようじゃ人権なんて語れませんよ」  太い腕を組んで見下ろしている。 「葛城」 「お兄さん、自分は三年間小野寺を見てきましたが人望も根性もありますし、弟さんなかなか見る目あると思いますよ」  歩み出てきたのはラグビー部の副将近藤だ。その隣には主将の阿部もいる。巨漢二人が並ぶと壮観だ。 「すいませーん。茅野君をラグビー部にスカウトしたの俺なんで、苦情ならこっちでおうかがいしますよ」  システム手帳を手にあらわれたのは主務の長谷川だ。ぺこぺこ愛想よく頭をさげながら、まったく自分のペースを崩さない。 「お、弟を、ラグビー部に? ……一体君たちは何を考えて」  せせら笑う兄を尻目に、長谷川はセールスマンのような笑顔で語る。 「茅野君には副務になってもらおうと声かけさせてもらいました。副務ってつまり男子マネージャーですよ。もちろん、女子マネはすでに何人かいるんですが、この寮は一応女子禁制になってるんで男子のマネージャーがもう一人いると助かるんですよー。OB会の会員へ送付する手紙だとか、記録とか会議の議事録とか……以外と文系スキル必要なんですよね。というわけで、俺としましては、お兄さんにもぜひ茅野君の入寮に同意していただきましてですね……」  兄の顔がとうとう動揺にゆがんだ。 「に、入寮?」 「兄さん、ごめんね。僕は兄さんが僕に厳しくした理由をわかってるつもりだ。だから兄さんを恨んでない。でも兄さんにも、人のせいにしない本当の人生を生きてほしいんだ」 「恋愛は人を成長させるねえ」  訳知り顔で語り出したのは、あとからやってきた曽我だ。 「お兄さんも弟離れして、自分の恋愛に専念すればいいんじゃない? 裁判じゃないんだから、勝てる相手にだけ挑む人生じゃなくってさ、かっこ悪くなれるほど夢中になれるなにかをみつければいいんじゃないの? ここの連中は間違いなくみんなそれを持ってるワケ」  さらに後押しする人数は増えていた。ラグビー部の面々。それだけではない野球部の南条もいる。  兄の肩がわなわなと震えだした。顔が怒りで真っ赤になっている。 「もういい。勝手にしろ」  捨て台詞のように叫ぶと、くるりと向きを変えた。 「あ、お帰り、お帰りですかあ。じゃ、玄関までご案内しまーす」  津和野がそそくさと先に立って歩き出す。一度ふりかえって、小野寺と茅野に、にやっと笑って見せた。  兄が階下に消えると、小野寺と茅野は踊り場を見上げた。駆け上がる。  つどった仲間たちにもみくちゃにされながら、二人は祝福を受けた。 了

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