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第1話

 巳の日がやって来た。  眞言(まこと)はそれにどんな感情を持てばいいのかわからない。かつては嫌で嫌でたまらなかったのに、今では受け容れている己を感じる。  そして何より――じくじくと下腹が疼いている。  湯殿で身を清めて白装束をまとい、じいやが差し出してくる煎じ薬を飲む。曼陀羅華が含まれているというそれは決して美味なものではないが、 「儀式に集中するためには必須なのです」  と言われては断る理由はない。じいやは万事眞言のことを思って差配している。眞言は早世した父を継いで迦具土家の当主となった。その忠誠心と思いやりを無碍にするわけにはいかない。  薬を服用すると、少し足許がおぼつかなくなる。じいやに手を引かれ、母屋の廊下を歩く。足袋も履いていないので、木目の浮いた床と接する足の裏がぺたぺたと音を立てる。  たどり着くのは、『奥の間』と呼ばれる部屋である。一方に床の間がしつらえられ、残り三方を御簾で仕切られている。眞言は当主の地位を継ぐまで、この部屋の存在すら知らなかった。  部屋の真ん中に敷かれた布団に座らされ、眞言はじいやを見上げる。布団の四囲には燭台が立ち、眞言とじいやの顔を照らす。 「俺に何かあったら……」 「じいやはいつでも御館様を見守っておりますよ」  皺だらけの顔に、慈愛の微笑が浮かぶ。短く刈り込まれた白髪は、眞言の幼い頃から変わっていない。少し質量が減ったようにも感じられるが。  名残惜しく思いつつも、じいやの手を離す。じいやは奥の間の敷居をまたぐと、三方の御簾を下ろして立ち去る。屋敷の奥の奥、他に呼吸する者の気配もなく、眞言は待つ。  ――やがて。  天井がぎしりと鳴る。  待ち構えていたものの来訪に、眞言は身を強ばらせる。  怖くない。身を委ね、すべてを任せれば、何も怖くない。それどころか、この部屋の外では得られないものすら手に入る。  そう自分に言い聞かせる。  天井の羽目板が、がたりと音を立てて外れる。隙間から覗く闇はどこまでも暗く、粘度さえ感じさせる。  そして。  ぼとぼとと、天井の羽目板の隙間から降ってくるものがある。当初白い縄の塊に見えるそれは、畳に落ちたとたんにばらけ、一匹一匹が意志を持つかのように這う。  白蛇だ。  初めてこの『巳の日の儀式』に身を晒されてから、眞言は己へ寄りつく蛇の数を数えようとしてきた。しかし、燭台に立てられた蝋燭のみの灯りでは、どうしても限界がある。光る鱗にも幻惑され、十匹以上を数えられない。  一番早く眞言の許へたどり着いたのは、三匹の幼体だった。長さはせいぜい十五センチほど、大人の人差し指程度の太さの幼い蛇たちは、正座した眞言の足へじゃれつくように絡みついた。 「んぅっ……!」  息を呑む。その響きひとつにも艶めいたものを自覚して、眞言は羞じる。御簾の外には人の気配はない。誰も聞いていないはずだが、世界を認識する己の存在を消すことはできない。  この後に襲い来るものを、眞言は知っている。  それが己に何をもたらすのかも。  三匹の幼体は、より幼い蛇を構い、からかうかのように足の指を撫で、くすぐる。正座を崩すと、解放された足の指に巻きつき、頬ずりをするように指の股へとじゃれかかる。 「あぁんっ……!」  声を上げてから、眞言は頬を染めて口を押さえる。  まだ儀式は始まったばかりだというのに、このような声を上げていたら、夜明けまで体力が保たない。  成体の白蛇が一匹、しゅるしゅると畳を滑って白い布団に乗り上げてきた。掛け布団はないので、敷布に融けてしまいそうだ。  蛇は布団に接した眞言の片手に這い寄り、頭から上ってきた。普通の蛇とは違い、天井から湧き出てくる蛇たちは粘液を分泌している。腕の内側の柔らかい部分に触れられると、眞言の身体は敏感に反応してしまう。 「あっ」  思わず、もう片方の手も布団に乗せた。その隙を逃さず、新手の白蛇が襲いかかる。手首に巻きつき、誇示するように粘ついた音を立てる。その刺激だけで眞言は震える。  足先をからかっている幼体たちは相変わらず指の股に固執している。まるで、そこが眞言の弱点であると学習しているかのように。実際、眞言は六年以上繰り返されてきた『儀式』によって足の指を弱点にされてしまったので、喘ぎ悶えるしかない。  両手の蛇は数を増し、やがてその一匹が腋窩をくすぐる。毛の始末をしているそこは、無防備だ。細長い舌で愛撫されると、身体に電撃が走る。崩れ落ちてしまいそうな己を叱咤し、敷き布に爪を立ててこらえる。  そんな眞言を嘲笑うかのように、別の蛇が白装束の襟の間から顔を出した。粘液を吸って、白装束の袖と襟は既に色を変えている。この粘液には哺乳類の性欲を刺激する効果があるらしく、皮膚に触れているだけで熱が起こる。 「くっ……蛇神様……」  眞言の呼ばわる声には、許しを求める響きがあった。

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