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第1話

 姉からあまり相手にされなくなったことを来栖川(くるすがわ)クリスティーン愛琉(めぃる)は不服に思っていた。歳の離れた姉は一に弟、二に弟、三に弟という有様だったが、結婚してからというものまるきり愛琉の相手をしなくなった。結婚するという話だけは聞いていたが、交際やその相手のことを聞かされたことはなく、ただ家に大規模なリフォームが入っただけだった。姉は今まで自室を持ちたがったことはなく愛琉のほうから彼女を離さなかったが、姉はリフォームされ巨大な水槽の置かれた部屋を夫婦の部屋にしてしまった。愛琉は可愛らしい顔を寂しさに歪め、丸く澄んだ目に涙を溜めた。それでも姉は優しく微笑むだけで、もう弟の所有物でないことを知らしめた。愛琉の金剛石に等しい高慢な魂に小さな(きず)が付く。 ◇  姉からは近寄るなと言い付けられていた夫婦部屋に愛琉は忍び込んだ。広い部屋は来栖川クリスティーン邸の東にあり、北側の壁一面が水槽になっていた。その中を上半身がヒト、下半身が魚類といった様相の生き物が泳いでいた。黒い短髪と精悍な顔立ち、平たい胸と角張った腰回りは愛琉と同じ牡であることを窺わせる。しかしヒトの牡ならば性器のある場所は天井から注ぐ鮮やかなライトで煌めいている。愛琉は暫くの間立ち尽くしていた。見惚れいた。姉と同年代らしき奇怪な生き物も愛琉を見下ろしている。巨大な尾鰭は風に揺らめくレースカーテンのようだった。愛琉は長いこと見惚れていたがやがて脚があることを思い出して近付いた。くもりひとつない水槽に指紋を付けてしまう。奇妙な生き物の腰部が目の前に迫る。びっしりと生えた鱗の中にわずかばかり離れて亀裂が縦に入っている。ヒトならば雌雄問わずそこに性器があるはずだった。 「あら、愛琉(める)ちゃん。勝手に入ったらダメって言ったでしょう?」  か細い、鈴が控えめに鳴るような声が背後から聞こえた。愛琉はぎくりと肩を震わせ円い頬を落とし、眉を下げて桜色の唇を窄めた。 「ごめんなさい、お姉ちゃん。綺麗にピカピカ光ってるのが見えて、気になっちゃったの…」  姉・槇島マキシマム火水(ひとみ)、旧姓来栖川クリスティーン火水(ひとみ)は柔和な笑みを浮かべ幼い弟の隣に並んだ。 「この人が愛琉(める)ちゃんのお義兄(にい)さんよ。ちょっと待ってね」  火水は夫婦の部屋に勝手に侵入されたことに起こる様子もなく、壁に取り付けられたコントロールパネルを操作した。愛琉の目の前で水位が急降下していく。エアレーションがセミのように轟いていたが、やがて電源を切られて黙った。浮かんでいられなくなった魚人は姉弟が足を着く床とそう変わらない底に横たわり、びちびちと尾部を叩きつけた。 「あなた、わたしの弟の愛琉(める)ちゃんよ」  ヒトの上半身と魚類の下半身を持った生き物は横たわったまま愛琉を見上げた。その気の強そうな眼差しに愛琉は戦慄く。気圧(けお)されたのではなく、むしろ興奮していた。 「ね、ね、ここから出せないの?お義兄ちゃんと遊びたいよぉ」 「出せるわよ。ちょっと待って、今出してあげるから」  姉はまたコントロールパネルを操作した。水槽が水位のように床へ収納されていく。愛琉は待ちきれず、水槽の(へり)を跨いで妙な生き物に接近した。ヒトとも魚ともいえない生命体は身を捩る。ヒトとそう変わらないどころかまったく同じようにみえる体表に彼は手を伸ばした。 「触っちゃダメよ。わたしたちの体温は熱いらしいから」  姉が手を打ち鳴らし弟を止める。愛琉はまだきつく睨み付けてくる生き物への興奮が止まらなかった。 「お義兄ちゃん、よろしくね。えへへ」  滑らかな頬を上げ、可憐な唇を綻ばせる。姉と話すとき同様に声を上擦らせるのも忘れない。父母も姉も執事も給仕も学友も教師も、これで愛琉を好かないものはいない。 「あなたからも自己紹介してあげてくださいませな。歳が離れているから弟よりも息子のように思うかも知れませんけれど」  義兄は妻からも顔を逸らして反抗的な態度をとった。愛琉の後ろで溜息が聞こえる。 「あまりお通じが良くないから気が立っているみたい。今浣腸してあげるから待っていてくださいな」  姉の言葉に奇怪な生き物が狼狽えたのを愛琉は見逃さなかった。 「かんちょぉ?かんちょぉってなぁに?」  尾鰭、背鰭がびち、びち、っと濡れた床を叩いた。身動ぐたびに鱗は色を変え て輝く。 「お尻にお薬入れるのよ。まだ生まれたてだから、やり方が分からないみたい」 「生まれたて…?」 「学校で習わなかった?自殺者厳罰法よ。わたしと同じくらいだけれど、本当はまだ生まれて3ヵ月なの」  愛琉は義兄を見下ろした。半分魚類の生き物は筋肉のついた二本の腕で逃れようとしている。しかしこの奇天烈な生き物はその鱗に覆われた下半身の締める割合のほうが高く、逞しかった。既製品のレースカーテンをそのまま縫い付けたような華美な鰭も水を吸ってしまえばそれなりの重さがあるようだった。 「じゃあお義兄ちゃんは自殺しちゃったんだね」  自殺厳罰法は合法安楽死以外の処置で自殺した者に適用される法律で、蘇生されたのち、自死裁判によって合法安楽死が認められるか懲役刑に処される。この生き物は、おそらく愛玩刑だった。  姉は微笑むだけで、特殊な素材の手袋を嵌めると夫の腰部の脇に屈んだ。浣腸するための容器が握られている。 「暴れたらだめよ」  しかし言われたそばから人魚(ひとうお)は暴れた。手袋越しにでも分かる姉の繊細な指が、鱗に覆われた亀裂に触れる。縦に二つ並んでいるが尾鰭に近いほうの子供の小指ほどもない、その半分より少し小さいくらいのスリットで、窄まったような円みを帯びていた。浣腸はそこに挿された。びくりびくりと魚人が跳ねた。姉の指は薬剤のは入った容器の膨らみを押す。ヒトの体表をした腕が妻を嫌がっている。 「だめよ。ちゃんと自分で出さないからこういうことになるの。あと5分待ちなさい。ね?」  弟だけしか見てこなかった優しく美しく淑やかな姉が、弟にはしなかった微かに厳しい口調で夫だけをみている。愛琉は面白くなかった。同時に新しい玩具を得て期待に胸が躍った。 ―あっあっ、はひっ  魚人は腹を猫のように鳴らした。本物の魚になったように薄い唇がぱくぱく開閉する。ヒトの牡と変わらない顔はこの生き物の妻であり愛琉の姉を見つめ、首を振った。 「このまま片付けますから、出してくださいませ」  まるで人権のある人間みたいに魚人はさらに強く首を振った。ヒトの体表になっている引き締まった腹が呼吸とは違うリズムで動いた。ぐるる…ぎゅるる…とそこは唸っている。ヒトの空腹に似ている。本来は水を照らしていた彩のあるライトが魚人の脂汗を照らす。 ―はひっ、はっ、はぁ、アッアッ 「お姉ちゃん。お義兄ちゃん、何か言ってるよぉ?」 「まだ声帯を付けてないのよ。明日買ってくるから、それまでお義兄さんとお喋りするのは待っててね」  筋を浮かべた両手が腹を押さえ、身体を曲げる。びちびちと豪奢な鰭が無数の排水口と注水口を兼ねた穴だらけの床を叩いた。ぐるる…ぐるぐる…と生き物の腹は限界を訴えている。 「恥ずかしいのかなぁ?」 「大丈夫よ、あなた。もう誰もあなたのことを人類(ヒト)だなんて思わないから。恥ずかしがらなくていいのよ。もう何日出してないの?病気になったら大変なんだから」  特殊素材の手袋でこの生き物の妻は浣腸を挿したばかりの窄まりを撫でた。もう片方の手でヒトの尻の形が残っているものの鱗に覆われた臀部を撫でる。 ―はひっ、はひっ、ぁひっ!  熱帯魚を思わせる派手な鱗の持ち主は目を向いた。窄まりが開いた。まるで蕾が花になるようだった。水気を帯びた白い線状のものが放物線を描きながら伸びる。蛇花火を彷彿させる。 「ほら、もう少し。まだ出るでしょう?」  妻の声は優しかった。愛琉だけが独り占めしていたはずだった。夫というだけの怪物に、愛琉は「唯一」というものを奪われた。それが許せない。弟の怒りを悟ることもなく彼女は排便している魚人の孔に指を入れた。繋がっていた線香の燃えかすのようなものが千切れた。注入した薬液も濁って溢れ出す。 ―はひっ、はひっ、アッアッ、はひっ!  愛玩刑を受けた際に声帯を取り除かれこの魚は声を出せなかった。便孔を穿(ほじ)られ、水を含んだ石灰のようなものが掘り出されていく。水中でなければ重げな尾鰭が左右にのたうつ。 「ちゃんと出せて、気持ち良かったの?」  愛琉が今まで独り占めし、それを当然、常識、世の摂理と考えていた姉の猫撫で声が再び彼ではないものにかけられる。可愛らしい子猫を拾った時でさえ、愛琉以外にはそのような声使いなどしなかった。愛琉は忌々しい生き物を睨んだ。この夫は妻に便秘の処理をさせただけでなく、ヒトの牡と変わらない生殖器を便孔の上の亀裂から勃たせていたのだ!姉が魚卵を生むと思っているのだ。(おぞま)しく感じられた。 「お姉ちゃん、このベロみたいなの、なぁに?」  愛琉は大袈裟にピンク色の膨張を指差した。汗とも便孔から噴き出た薬液とも異なる粘り気のある光沢を持っていた。 「これはね、赤ちゃんを作る大事なところなの。愛琉ちゃんにもあるでしょう?」  姉は夫の小穴をまだ穿っていた。薬剤によって溶かされた排泄物が掘り出されていく。 「でもぼく、お姉ちゃんにこんな風に見せたコトないよ」 「近いところを触られちゃってびっくりしたのよ。ね?あなた」  魚人は茹でられたようにヒトと酷似した体表を真っ赤に染めていた。 「今度からは自分で出すのよ?」  妻の顔と声を姉のままするのが腹立たしい。愛琉はされるがまま刺身にさえさせられそうな義兄を睨む。しかしその生き物は害意を帯びた眼差しに気付かない。 「もっとお義兄ちゃんと遊びたいよ」 「じゃあ、この手袋洗ってくるからそれまでだけね。あなた、愛琉ちゃんをよろしくね」  姉の火水(ひとみ)は特殊素材の手袋を外し、この夫婦の部屋から出て行ってしまった。そのしなやかな後姿がドアに消えるまで愛琉は腹の底が疼くように焦れた。 「お義兄ちゃん、人肌が熱いってほんとぉ?」  愛琉は掌に温めた息を吹きかけ、そのまま義兄の鱗に触れた。 ―っはひっ、はっ、はっ、はっ 「大袈裟だよ」  魚人はまだ水気のある床を尾部で叩き、小さな水滴を飛ばして跳ねた。まだ傍には役目を果たした瀉下(しゃげ)薬とそれに誘導されたヒトのものではない白い便が撒き散らしてある。 「ねぇ、人前で(うんち)孔穿られるってどんな気分?お義兄さん、人類(ヒト)だった時に自殺しちゃったんでしょ?お嫁さんとその家族に(うんち)むりむりするところ見られるより苦しかったの?」  愛琉はきゃはきゃは笑った。半魚類の生き物はまだ上半身を赤くして肩を震わせている。 「お(しゃかな)さんにもおちんちんがあるんだねぇ?」  だらしなく裂けめから出ている長い舌と見紛うような形状の生殖器を愛琉は無遠慮に握った。また義兄はびちっと跳ねた。白い霧が視界を舞う。嗅いだ覚えのある匂いが薄らと混じっている。わずかに塩素に近い匂いと青草の苦味を帯びた匂い。聞香(ぶんこう)するまでもなく、顔面に浴びたこの白く霧散したものが何なのか分かってしまう。強烈な印象を与えた。侮蔑と同じくらいの欲情だった。性だった。姉の肌には覚えなかった、給仕の佇まいでは覚えなかった、家庭教師の仕草にも覚えなかった、学友の薫香にも覚えなかった、爪先から脳天まで貫く落雷のような、驚嘆と紙一重の昂りだった。 「ねぇ。舐めてよ、お義兄ちゃん」  愛琉はぼろんと陰部を露出した。まるで人類の、それでいて俗世間に生きている人のように半魚人は目を見開いて顔を逸らした。 「舐めて」  顔を逸らしたほうに回り、屈んだ。 「(うんち)穴ずぼずぼすぼしちゃうよ。さっきお姉ちゃん、手袋してたもんね?」  中指を立てて下品に関節を緩やかに折り曲げる。動じない半人魚の下半身に手を伸ばす。するとヒトの手が愛琉の膝を掴んだ。布を隔てているが、その掌は躊躇いを見せていた。しかし鱗に覆われた体表ほどではないのだろう。 「お義兄ちゃんは歯、生えてるの?」  糞便穴を穿りそびれた手を、ヒトでいえばまだ20代後半か、もしかしたら30代前半くらいの牡の口に突き込んだ。くしゃみをするように半魚の牡は顔を払った。愛琉の手には歯が削った薄皮が捲れている。 「歯、あるんだ。人間みたい」  血が出るまでには至らなかったが赤みを持っている。愛琉は痛痒いその傷ともいえない負傷を鋭く眺めなら笑っていた。 「ここも舐めて。ベロ火傷しちゃう?でもお義兄ちゃんがやったんだから知らないよ」  強気な眼差しが反抗する。さらに手を突き出せば、魚とヒトであるというのに犬の如く命じられた箇所を舐めた。淡いピンク色の舌先はおそるおそる鱗も鰭も持たないヒトの皮膚を張った。そして口淫に移ろうとして姉が帰ってくる。瞬時に陰部を隠す。 「いい子にしてた?」 「うん。お義兄ちゃんに遊んでもらったの。ね、ね、ぼく、またこの部屋に来てもいい?もっとお義兄ちゃんと遊びたいよぉ」  弟との会話中は目を逸らしたりしない姉が、夫のために目を逸らした。もう怒りと忌々しさはなかった。ただどう姉の目を盗むか、どうこの半魚人の義兄と戯れるか、そればかりを考えていた。焦ってもいる。 「あんまりわがまま言ったりしちゃダメよ?まだこの身体になったばかりで慣れてないみたいだから」 「うん!ねぇ、お姉ちゃん!今度からぼくがお義兄ちゃんの糞便(うんち)のお世話したい!」  明らかに視界の端で半魚人は首を横に振っていた。 「でも彼は、わたしの夫だから」 「ぼくも、もっともっとお義兄ちゃんと遊びたいよぉ。ぼくもお義兄ちゃんの役に立ちたいの。ダメかなぁ?」  涙を溜めて眉を八の字にし、下唇を浅く噛む。大抵のことはこれで通った。 「ちゃんと毎日お水を抜いて、お義兄さんが排便(うんうん)できるまで待ってられる?」 「うん!できるよ!」  舌足らずに喋ると姉が傾いているのがよく分かった。 「分かったわ。じゃああなた、愛琉ちゃんと仲良くするのよ」  彼女は夫の出したものを掃除し始め、水槽が再び元の形に戻った。愛琉は熱心に泳ぎはしないが水の中で暮らす義兄を眺めた。取り憑かれたように眺めた。穴が空くほど、鱗一枚一枚を剥がしていくように執拗に眺めた。姉はソファーに座って本を読んでいる。夫婦の間に弟が介入することを気にした様子もない。 「お義兄ちゃんは何食べるのぉ?」 「いつもはビスケットよ。でもお通じが悪いみたいだから今日と明日はゼリー」 「ぼくもあげてみたい」 「じゃあその時に呼ぶわね」  姉の優しい手が愛琉の肩を抱いた。言葉にはしなかったが、彼女の足はそのまま扉に向かい、愛琉は廊下に出される。 「お義兄ちゃんをちょっと休ませてあげて」 「……うん」 「いい子ね、愛琉ちゃん」  単純な不快があった。ただただ順位が下がった時の焦りと落胆と不快感だ。姉の中の最上位、優先事項でなくなった。たとえ構い倒して飼猫が不機嫌になろうと、姉は何より弟のすることを優先した。それが、半魚人の夫相手には通用しなくなっている。姉のことはどうでもよかった。歳の離れた弟であり待望の長男、完全無欠の優等生かつ絶世の美少年に尽くすのは当然で、摂理であり法律なのだ。その愛琉の中の世界が崩れ去る。それが単純に不快で、同時に燃え上がった。あの半魚人に対する期待が膨れた。愛琉の一度猛った股のものも腫れている。半魚人の脱糞と排便を肴にしないことには治まりがつかない。  姉が風呂に入っている間にも愛琉は我が物顔で夫婦の部屋に入った。忍び込む慎重さもない。人魚は水槽の中ほどに浮いていた。自分の尾鰭を眺めているらしかったがすぐに愛琉に気付く。気難しげな眉がさらに顰められる。水槽に手を付いて半魚人に喰い入る。服を着ないこのヒト魚の雌のような割目と猫や犬が羞恥もなく晒している窄まりを凝視した。特にヒトの外観を持ちながらヒトではない部位から哺乳類とは異質な便を()り出した窄まりからは目が離せなかった。今この瞬間にこの魚人の排便が観たい。水槽についた手が汗ばむ。義兄の脱糞に沸いた。鎮めたばかりの淫欲に炙られる。手は勝手にコントロールパネルを触っていた。水が抜けていく。半魚の身体も無数の排水口に引き寄せられていく。ほんの数十秒に苛立った。またもやある程度低くなった水槽の(へり)を跨いだ。両腕だけで逃げようとする義兄を捕まえる。声帯の取り除かれた喉が激しく息を出している。嵐を吹く子猫の威圧感すらもない。鱗に覆われた尻を触ると勢いよく水滴が飛んだ。質感が掌に伝わる。 「逃げちゃダメだよ。熱いのイヤでしょ?」  抵抗をやめたのが見えると掌を離した。 「お姉ちゃんお風呂だから誰も助けてくれないよ。(パパ)(ママ)呼ぶ?パパとママ、珍味とかお刺身大好きなんだよ。活け造りが一番好きなんだって」  巨大な尾部が持ち上がった。愛琉の身体を強靭な尾が薙ぎ払う。あとから水気を多量に帯びたレースカーテンのようなものが掛かった。髪も顔も服も色を濃くした。猫を噛まざるを得なくなった窮鼠が半魚人としてそこにいる。愛琉は尻餅をついて服を濡らしながら嬉しくなった。すぐには起き上がらない。義兄はきょろきょろと彼の様子を窺った。 「お義兄ちゃんの排便(うんち)してるところまた観たくなっちゃったの。お義兄ちゃん、ぼくに脱糞(うんち)してるところ、みせて」  まるで俗世間の人類のようにいくらかすまなそうな顔をしていた義兄はそれを聞いて鋭い眼差しに変わった。 「お義兄ちゃんは人類(ヒト)じゃないから脱糞(うんち)恥ずかしくないよ」  愛琉は義兄の目を見ることなく渦を描く糞便孔を熱心に、熱心に見つめた。指が伸びる。しかし触れる前に淫靡な蕾が後退る。喋ることのできない義兄が息で鳴いている。 「うんち穴火傷しちゃうもんね。じゃあ精子かけさせて」  半分勃っている陰茎を愛琉は扱いた。義兄は社会的な人間と同じような茫然とした目でそれを見ていた。ただの水ではない湿った音がする。嫌悪に満ちた目と目を合わせる。唇を噛みしめ人魚は顔を逸らした。愛琉の脳裏には白い紐状の糞便と蠢きながらそれを出す孔皺ばかりで、手淫は止まらなかった。太く硬く長さもあるグロテスクな屹立は真っ直ぐに鱗と鰭を持つ義兄を捉えた。 「ほら、エサだよ。口開けて」  奇態な生き物は従わなかった。その鋭さのある端正な横面に腹の奥底から欲望が噴き出る。愛琉を誑かした人魚の排便と似ていた。 「あ~あ、勿体ない」  (とろ)みのある白濁液が精悍な顔をゆっくりと落ちていく。その肌を撫で、焼き(ねぶ)るようにゆっくり、ゆっくりと玉を作って這う。 「あら、来ていたの?愛琉ちゃん」 「うん。お義兄ちゃんのご飯、まだかなって」  バスタオルを巻いただけの火水(ひとみ)がドアを開けて立っていた。義兄の顎を糸を引いたヒトのオスの性液が滴る。 「お腹空いてるのかなって思ったから、加糖煉乳(とろとろミルク)あげようとしたの。でも食べてくれなかったの」 「そうなの?」  姉は愛琉の横に並んで屈んだ。膝の狭間、バスタオルの奥を目の前にして彼女の夫は気拙げに目を泳がせた。火水は気にした様子もなく指の腹で夫の顔を滴る"加糖煉乳"を掬い取る。 「チューブから飲ませちゃったのかな?お義兄ちゃん、びっくりしちゃうよ」  白濁を絡めた指は半魚人の口元に運ばれていく。だが奇矯な生き物は固く口を引き結んでいた。 「ごめんなしゃい…ぼくのこと嫌いになっても、加糖煉乳(とろとろミルク)しゃんのことは嫌いにならないで……」 「あなた、ほら。甘くて美味しいですよ」  妻の微笑みに、夫は目を伏せ、その華奢な指を口に含んだ。 「すぐご飯にしますから」 「お姉ちゃん、お風呂上がりだからゆっくりしててよ!ぼくがあげりゅの、ぼくがあげりゅ!」  尾鰭が床を叩いた。リズムを刻みながら、びち、びち、と水滴を飛ばしている。 「あらあら、お義兄ちゃんはもう眠いみたい。今日はお姉ちゃんがやるから明日から手伝って?ね、愛琉ちゃん」 「やだぁ、お義兄ちゃんと居るぅ~!」 「明日には声帯が届くから。ね?そうしたらいっぱいお話できるわ」  俯いて落胆を示しながら愛琉のその目は人魚を放さない。義兄を恥辱で刺身にし陵辱のアクアパッツァにしたい。6度目の若く滾った萌動を下腹部に感じた。肛門を晒した下半身を揺らしている義兄にほくそ笑む。 「分かった。ぼく、良い子だもん。明日もお義兄ちゃんと遊ぶ!」 「うん、良い子。きっとお義兄ちゃんも楽しみにしているわ」  自室に戻りながら愛琉は義兄をどう甚振るか考えた。湯浴みをしながら、寝る前まで。夢の中では慎ましやかなあの窄まりが淫らに地割れを起こして、石灰肥料をむりむりと卑猥な様相で()り出すのだった。

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