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1 当惑

 処分は戒告とボランティアサークルへの臨時参加。  大学二年進級早々、(まこと)は大学構内で同学科の男を殴り負傷させた。  喧嘩の原因は痴情のもつれ。  春季休暇中、付き合って半年もたたない彼女を寝取られた。  それ自体は自分がつまらない男だったのだと、むなしくはあったがすぐに気持ちに区切りをつけた。  新年度に入って間もなく、相手の男がやましさからからんできた。  初めは謝罪だった。  男が下らない保身を長々としたのちに彼女が不品行であると言い出したところで、逆上してしまった。  それほど深い愛情はなかったのだろうがいっときは心を許した相手、侮蔑されるのが我慢ならなかった。  みずからの背徳行為を他人になすりつけた根性に無性に腹が立った。  我を失ったことは反省している。  相手の男は殴られて当然のことを度重ねているのだ、後悔はしていない。  ボランティアサークルでは県内市町村の町おこしに積極的に参加しているらしい。  県北部、とある小さな町の桜祭り。  連休中日、催しの集中する日曜日。  待ち合わせ場所である始発駅の騎馬像前。  臨時参加の話をつけてあったサークル三年の藤城の姿を認め、真は彼に向かって頭を下げた。  スクエアフレームの眼鏡の似合う爽やかな男も真を視界に入れると笑顔で手を上げる。  隣に立つ茶髪の女もサークルのメンバーだろうか。  やたらと凛々しい顔立ちで、男物の黒いスリムジャケットが妙に似合っている。  男と言われれば男に見えないこともない。  藤城に対して挨拶を交わすと、彼は隣の女を紹介してきた。 「奈良場(ならば)くんと同じ二年の、(きさき)くんだよ」  容姿に釣り合う美しい名だと思いながら彼女に顔を向けると。 「妃登一(とういち)です。よろしくね」  想像とはだいぶ違った声で彼が名乗ってきた。  男だったのか、という言葉をどうにか飲み込む。  男に見えて男だったのだ、間違えた認識はしていない。 「奈良場真です」  間近で見た妃は肌も瞳も色素が薄く、髪も本来の色の可能性がある。  女だとすれば壮健に見えるが男だとすると繊細に見えて、どう接すればよいものかと迷う。  思わず真は妃と会話することを後回しに、藤城に今日の詳細をたずねた。  あとはほぼ口を開かずに他のメンバーがつどうまでを待った。  二年生二人、三年生四人の男女六人で、早朝の桜祭り会場をおとずれた。  さっそく藤城が祭の実行委員の中年男性から指示を受ける。  子どもを対象としたエリア、真はくじ引きの景品が並ぶブースから会場を見渡した。 「去年はこの時期、結構桜散ってたんだよ。今年はちょうどよかったね」  共にくじ引きを受け持った妃が満開の桜並木を眺めながら声をかけてくる。  二年同士これから顔を合わせることもあるだろうと、避けていたのにペアを組まされてしまった。  妃は昨年のサークル活動で町おこし以外に災害復旧や福祉施設の訪問、国際交流までも参加しているという。  わからないことは妃に聞けとの藤城から指示。 「今日は暑くなるらしーよ。半袖着てきた?」 「ゴールデンウィークは暑かった気がしたから、着てきた」  そっけなく答えると、妃がブースから出る。 「真、飲み物もらいに行こ」  妃はすでに自分を敬称略で呼んでくるほど調子のよい男のようだ。  だが愛想がよいことはボランティアをする上では望ましいことのように思える。  妃と連れ立って飲料のブースに向かった。  昼食は時間になれば支給され、飲料はこのブースのものを必要なだけ飲めと言われている。 「飲み物いただきます」  妃が声をかけると、アイスボックスに氷を砕き入れていた恰幅のよい男性が妃を一瞥する。  真はその表情に不穏なものを感じた。 「今どきの若者は骨格が違うよなぁ。そんな細くて重いものとか持てんのか?」  妃が華奢で心配しているのではない、ニヤニヤと笑いながら妃が役に立たないと言わんばかりの不躾な発言。  他人をこき下ろす人間は、真がもっとも嫌う人種。 「あのさぁ」 「俺、結構肉体労働してるから大丈夫ですよ」  真の苛立ちにかぶせるように、妃が軽い調子で言い放った。 「運ぶものあったら言ってください」  ひるまない妃に男性からそれ以上の言葉はなく、妃はアイスボックスから適当な飲み物を取り上げる。  真がそれにならうと妃は丁寧に礼を述べてその場を離れた。  想像とはやや違った態度。  怒りも落胆もせず、自分のペースを崩さない。  本当に、妃にどう対すればいいのかわからない。  くじ引きのブースに戻ると妃はペットボトルに口をつけて、真をねめつけた。 「こんなとこで喧嘩売ったら他の人に迷惑かけるじゃん」 「ごめん」  確かに、自分一人の失態でサークルのメンバーすべての居場所をなくしてしまうところだった。  反省のためにここに送られてきたというのに、意味がない。  妃はそこで、すぐに表情を軽い笑顔に変えた。 「親切で来てんのにあーいうクソみたいなヤツどこにでも一定数いるから、かまってたら損するよ」  その言葉に真は再び戸惑う。  かわいらしい顔をして、言っていることにやや毒がある。 「わかった、あと、助かった」  戸惑うが、礼をする。  我を失いそうになった状況、不快なのは妃だというのに感情的にならずにサポートしてくれた。 「俺ね、あーいうこと結構言われるから態度で返すようにしてんだよ」  真のためにそうしたのではないと妃は言う。 「他人を下げてマウント取ってくるやつのことサラッと流して、俺のほうがおまえより有能だよってとこ見せつけて優越感にひたるんだよ。他人下げてる時点であいつのほうがもう下だけどね」  それが正しいことなのか曲がったことなのか、どうにも判断に迷う。  ただ、自分のように手を出してしまうよりも健全である気がするし、なにより妃が圧力に屈しない強い人間に見える。  その思考回路を見習いたい。  あつかいの難しい人間に思えたが言っていることは世間をなめた男子大学生のようで、特に身がまえる必要はない気もする。 「妃、見た感じより男らしいな。最初女だと思ったんだ、悪い」  妃はその言葉に、艶の入った笑みを見せた。 「いいよ女だと思って、あとで見返すから。あ、それとさ」  そこで妃は間を置くと、やや真面目な表情で真を見た。 「俺怒るの苦手だからさ、かわりに怒ってくれてありがとね」  なぜか少し悲しげな表情。  苦手なら自分の沸点の低さをわけてやりたいくらいだ。  小さなアクシデントで妃との関わりかたをどうにか把握できたことで、真は胸を撫で下ろした。  態度で返すと妃は言った。  しかし受け持った仕事はくじ引きの店番でたいして難しい任務ではない。  真は単に金を受け取り釣りを返し、該当した景品を渡すだけだった。  対して妃は集まった子どもと対等になって景品の物色を楽しんでいた。  末等が出れば一緒に惜しがり、上位の番号が出れば必要以上に喜ぶ。  無駄遣いをしないようにと余計な心配をして、同行する親には敬意を払うように丁寧に対応する。  ずっと調子良くしゃべっているので女に見えることもない、気さくなボランティアの男子大学生そのもの。  気温が上がりジャケットを脱いだ昼前。  飲料のブース前でペットボトルを前に立ち尽くすブロンドの髪の親子を見かねて、妃は持ち場を離れた。  眺めていると、妃はペットボトルをひとつずつ指差しながらなにかを話している。  そして二本をボックスから取り出して店番の男に拭かせ、精算まですると親子に手を振りながらこちらに戻ってきた。  妃は非常に意地の悪い顔で笑う。 「全部英語で説明してやったらオッサン困った顔してたよ。ざまぁ」  気をきかせ技能をもちいて人助けをしたのだ。  それにより不躾な男を見返したのだが、口が悪すぎて絶賛することができない。 「妃、いいやつなのか悪いやつなのかわかんねー」  困惑を口にすると、妃はそのままの悪人顔で返してきた。 「マウント取って喜んでるんだから、あのオッサンと同じだよ」

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