1 / 9
1.
今日も俺は行きつけのバーに来ていた。
カクテルを飲んでいると、ふと、カウンターの向こう側で、バーテンダーが手にしていた煙草が目に入った。赤と白のシンプルなパッケージ。これまで何度も目にしてきた。マルボロだ。
俺の目線に気付いたそのバーテンダー---栢野清春 が、俺の目の前までやって来た。
「吸ってみる?」
そう言って差し出された1本の煙草は、間違いなく煙草でしかない。だが、まるで悪い薬に手を出すような、いけない背徳感を感じずにはいられなかった。俺が受け取らずにいると、清春さんは俺の口元に煙草を近づけて言った。
「ほら、司 、咥えて」
本人は意識なんてないのだろうけれど、その一言には目眩を起こしそうな程の威力があった。清春さんが口にする“咥えて”の響きがエロすぎて、咥えるのは煙草の筈なのに、清春さんがそれを言うと、煙草とは別のものを咥えさせられるみたいに錯覚してしまう。そして、今の今まで渋っていた自分が嘘のように、俺はカウンターに軽く身を乗り出して口を開けていた。
細長い指先で、それより細い煙草の先端を俺の口元に触れさせた。ぱく、と咥えた瞬間、清春さんと目が合った。清春さんの気だるそうでセクシーな目元が緩んで、俺の心臓は甘く震えた。
「火付けてあげる」
手にしたライターを灯し、火を近づけてきた。俺も咥えた煙草を自ら火に寄せた。
清春さんの顔が近い。
長い睫毛。白い肌。滑らかで、とても綺麗だ。
「ほら、吸い込んでみて」
煙草の先に火がついて、煙が筋のように立ち上がってきた。清春さんに促されて、慣れない手つきで煙草を指先で支えて、吸い込んでみる。だが煙が肺の中に入り込んだ途端、俺は派手に噎せてしまった。
「お子ちゃまめ~」
そう言って口元に手を当てながら笑う清春さんがどうしようもなく格好よくて、俺はまた噎せてしまった。
強がってもう一度くらい吸ってみようかと咥えかけたが、やっぱり辞めた。すぐに俺はギブアップして、清春さんに手にしていた煙草を差し出した。
清春さんは俺から煙草を受け取ると、そのまま口に咥えた。少し厚めで、柔らかそうな唇に煙草が挟まれる。慣れた様子で煙草を持つ手は、男らしく筋張った大きな手をしていた。清春さんは、俺に見せつけるようにしながら、すぱ、と煙を吐き出した。
それがものすごく刺激的で、俺は清春さんの口元から目が離せなかった。
その時の光景が忘れられず、俺は煙草を買った。もちろん、同じマルボロだ。最初は、やはり煙で噎せるし、不味いし、こんなもののどこがいいんだろうとしか思えなかった。それでも吸い続けるうち、人間慣れてくるものだ。噎せることはなくなった。特別美味いとは未だに思えないけれど、煙を吸い込む度、あの時の光景が蘇って、夢中になって煙を吸い込んだ。本当に、薬でもやってるような気分だった。
「あれ?司、煙草買ったの」
煙草に慣れてきた頃、俺は買った煙草を手に清春さんのバーに訪れた。
清春さんは俺が煙草を手にしていることにすぐに気付いてくれた。
「買っちゃった。清春さんと同じやつ」
ほんとだー、と清春さんが俺の手元にある煙草のパッケージに目を落としながら言った。それから、灰皿を俺の手元に置いて挑発的に眉を吊り上げた。
「あんなに噎せてたのに、大丈夫ー?」
「もうこの間みたいには噎せないよ」
「へえ?」
清春さんは目の前で顎ひじをつくと、色っぽい目線(あくまで俺にはそう見える)を送りながら、こう言った。
「ハマっちゃった...?」
清春さんの上目遣い。
殺人的にエロくて、見惚れてしまう。
「......ハマっちゃった」
もちろん、煙草もそうだけど、俺が1番ハマっているのは煙草じゃない。
清春さん、あんただよ。
ともだちにシェアしよう!