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甘くて酸っぱいホットレモン③
けれどそんなはずはなかった。玲望はペットボトルをちょっと掲げた。
あ、そ、そうか、ホットレモンか。俺が物欲しそうに見てると思ったのか。
理解して今度は急速に恥ずかしくなる。
恥ずかしくなったが、今度は違う意味で胸の内が騒いだ。
欲しいのか、とは。ひとくちくれるという意味か。
予想して、かっと胸が熱くなる。
いや、そんなことは。玲望に他意などあるはずがない。
色々と考えてしまった数秒。玲望はちょっと不満そうな顔になった。
「いるのかいらないのか、どっちなんだ」
それには答えなどひとつしかない。ごくっと瑞樹は唾を飲んだ。
こんな、ひとつのペットボトルを飲むのに緊張するなど小学生か。
思ったものの、好きな相手なのだ。いくつになったって変わりやしないだろうとも思う。
「い、いいのか」
ひとつどもってしまったのは不自然ではなかっただろうか。玲望はちょっと口をとがらせる。
ああ、まるで直接キスでもねだっているよう。今度は薄くてほんのり桃色なくちびるに視線が吸い寄せられてしまう。
「寒いから仕方なくだよ」
玲望らしい、照れ隠しとその中にある優しさ。飲む前からじわっと染み入るようだった。
「じゃあ、……もらうよ」
覚悟を決めて、というと大袈裟だが、口にしたホットレモン。
今度は胃の中にじわっと染み込んだ。あたたかな液体が喉を通って胃に落ちていくのがはっきり感じられる。随分体は冷えていたようだ。
口の中では、きゅっと酸っぱいレモンが弾けた。遅れて僅かに入っているだろうはちみつの甘い味も。
そしてそこで弾けたのはレモンだけではなかったようで。どういうわけだろう。
同じ味だ、と確信してしまった。
「うまいだろ」とにこっと笑う玲望が。そのくちびるが。
同じホットレモンを飲んだからだけではない。レモンを表したような外見、名前の玲望。味わいたい。
それは衝動だったのだろう。ずいっと身を乗り出していた。
瑞樹の行動があまりに唐突だったからか、玲望は身を引く間もなければ、不審に思う暇もなかったはずだ。
ふっと目が丸くなるのだけがうっすら見えて、すぐに見えなくなった。
代わりに感じられたのは、甘くて酸っぱい味。
ただ、今のものは先程味わったホットレモンとは少し違っていた。あたたかいのも同じだけど、種類が違う。
優しい感触と体温の味。混ざり合って、玲望の『レモン味』になっていた。
触れたのはほんの一秒もなかっただろう。身を引く。
玲望の丸くなった目と、無表情ともいえる、呆然とした顔が目に映った。
見た瞬間、急速に恥ずかしくなったし恐ろしくなった。なんということをしてしまったのか。衝動的過ぎただろう。
けれど瑞樹はそれを、ぐっと飲み込んだ。腹の下に力を込める。
ここでぎゃんぎゃん騒ぐのはみっともないし、男らしくない。してしまったものはしてしまったのだ。どうしようもない。それなら。
「玲望」
名前だけを呼ぶ。玲望の肩がびくりと震えた。瑞樹が呼んだことで我に返った。そんな顔もする。
「な、なに」
出てきた声は掠れていた。普段、元気いっぱいだったり、ちょっと拗ねたりするような玲望のこんな声は聞いたことがなかった。だからこそ、玲望にとっての動揺を感じることができたのだけど。
「ずっとこうして触れたいと思ってた」
「は、はぁ?」
言った。そしてそれには気の抜けた声が返ってきた。
けれど今度はそれだけではなかった。玲望の顔が、ぱっと赤くなったのだから。そしてくちびる、というか口元も押さえてしまう。
その反応は瑞樹に期待を抱かせた。自分に都合のいいことだけど。
「嫌だったか」
「や、嫌とか、……」
聞いてしまって、だが玲望の反応に思いなおした。玲望は照れ屋であるし、それ以上に動揺してしまっているのだ。嫌かと聞いて、嫌じゃないなどと言うわけが。
よって言いなおそうとしたのだけど。
「んなわけは……」
聞こえた言葉に瑞樹は自分の耳を疑った。
それはまるで、『嫌ではない』ではないか。数秒、意識が空白になったような気すらする。
それは玲望の気に入らなかったらしい。覆っていた手を離して、きっと瑞樹を睨みつけてきた。
「違うなら、ひとくちなんかやるかよ」
さらなる衝撃が瑞樹を襲った。
最初からそう、だった、のか?
そのくらい心許してくれていたから、ひとくちなんて、ペットボトルを寄越してきたのか?
自分に尋ねたけれど、多分その通りだった。
だって玲望本人がそう言っているではないか。それを疑おうなど。
玲望は素直だ。そして嘘などつかない。こんな真剣であるべき場では余計に。
ごくっと瑞樹は唾を飲んだ。行く場所と、することなどひとつしかない。
「じゃあ、……もうひとくち、くれるか」
玲望は瑞樹のその要望に、息をのんだようだった。一秒、二秒、固まる。
けれど玲望の中でなにかが固まったのか。ぎゅっと目を閉じた。翠色が閉ざされる。
顔を近付け、目を閉じる寸前、間近できらりと金色が光った。あまくて酸っぱいレモンのような、優しい色をした金色。
レモン味だったな、なんてさすがにこのときは言わなかった。初めて経験したキスと、そして交わした気持ちにそんなふざけた言葉は似合わない。
けれど瑞樹のくちびるには確かにレモンの味が焼き付いたし、きっと同じ味を味わった玲望の心にも同じような感覚が残っただろう。
帰り道、手も繋がず帰路の続きについた、ぎこちなさすぎる空気の中。それだけは何故か確信できた。
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