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甘くて酸っぱいホットレモン②

「今日は冷えるな」  校門から離れ、帰るべく道を歩きだしながら玲望は呟いた。はぁっと息を吐き出す。  まだ息が白く染まるほどではない。それを確かめたかったのだろうか。 「そろそろコートがいるよなぁ。玲望はコート、あるの」 「あるにはあるけど、買わなきゃなんだよなー。去年のコート、多分もう小さい。身体測定の結果からするに」  玲望の言葉は憂鬱そうだった。  それはそうだろう。コートは大きな買い物だ。安くなどない。  普通の高校生ならいざ知らず、玲望が簡単に新しいコートを買えるかといったらそんなはずはないだろう。必需品だからちょっと無理をしてでも買わなければいけないものだろうけれど。 「そうだなー……今からセールってのもないだろうし」 「プロパーで売れる季節には、万に一つもないだろうね」  玲望ははっきり言ってのけた。今までも服はそうして、なるべく安く手に入れてきたのだろう。よく知っているという口調だった。 「んー……フリマアプリとかで探すか……ディスカウントの店に行ってみるかなぁ」  玲望は口の中でぶつぶつ言いだしたが、そのとき瑞樹の頭にぽんと浮かんだこと。 「いや、買わなくてもいいかもしれないぜ」  瑞樹は言った。数日前のことを思い出したのだ。 「二年の先輩がさ、なんかバイトして新しいコート買ったとか言ってたんだよ。今までのが地味だからっつってさ」 「はぁ。そりゃ羨ましいことだ」  確かにコートひとつでも買うのに悩んでしまう玲望には、カッコいいコートを、バイトで貯めた金とはいえ、ぽんと買えてしまうその事実は羨ましいに決まっている。  だが話はそんな、先輩の自慢話でも世間話でもない。 「んで、『地味だけど去年買ってほとんど着てねーんだよな。どうしよ』って言ってたんだけど『お前ら、欲しいやついるか? 格安で譲ってやるぜ』なんて。カッコワライ、なんてつきそうな言い方だったけど、冗談でそういうこと言うひとじゃないし」 「おお……っ?」  瑞樹がそんな話題を出した理由を知り、また期待がつのったのだろう。玲望の目が輝いていった。 「どうだろ、気になるなら先輩に聞いてみるけど」  それが結論だった。玲望の目ははっきりと輝いた。 「ほんとか? お願いしていいのか?」 「ああ! おやすい御用だよ。地味だって言ってたから、学校で『先輩のお古だ』なんてわかりゃしないだろうさ」 「そうだよな!」  そんなふうに話はまとまってしまった。どんなだろー、なんて早くもわくわくした様子の玲望を、瑞樹はこっそり見た。  力になってやれそうなことが嬉しかった。  恩を売りたいのではない。好きな相手なのだ。してあげられることがあるなら、なんだってしてあげたくなってしまう。  こういうとこが俺のいいとこで、でも良くないとこでもあるのかな。  瑞樹は心の中で思い、ちょっとだけ苦笑した。世話焼き気質。  けれど過ぎたるは猶及ばざるが如し。やりすぎは自分にも相手にも良くないのだ。  気を付けないとな、と、たまに意識するそのことを心の中で反すうする。 「あ、そだ。コンビニ寄っていいか? 今、『citrus』のフェアやってんだよ」 「んっ? ……ああ。バンドだっけ」  玲望は新しいコートについて考えていた、という顔をこちらに向けて、一瞬だけ考えて正解を言った。『citrus』は瑞樹の好きなロックバンドなのだ。そこそこ人気がある。 「そう。菓子いくつか買うとクリアファイルもらえるやつ」  玲望にとっては贅沢の部類にあるような買い物も、もう過度に気づかったり様子をうかがったりする方が失礼だと思い知っていた。なのでちょっとの罪悪感は覚えつつも、瑞樹は欲しいものを素直に言った。 「いいぜ。行こう」  玲望もなにも気にした様子がない、という様子で言い、そのままコンビニに向かうことになった。  実際に気にしていないのだ。元々あまりそういうものには興味がないようだ。  合理主義、ともいえるのかもしれない。基本的にあまり無駄なものというのを好まない。  だからこそ、玲望が手にするものは『本当に必要なもの』『自分にとって大切なもの』ばかりなのであって、瑞樹にとっては、自分がそういうものになれたなら、なんてまだ願望でしかないことを時々思ってしまうのだった。  だからといって、自分も同じようにする必要はないけれど。よって瑞樹は入ったコンビニでクリアファイルと菓子を物色しはじめた。  クリアファイルは幸い全種類あった。まだ一昨日はじまったばかりなのだ。どのクリアファイルをもらうか決まったあとは、ノルマの菓子を。なるべく安くて美味いものを……。  『対象商品』の札がついているものをあちこち行ったりきたりして探す瑞樹を放っておいて、玲望は勝手に店内を見ている。 「なぁ、すごいぜ。新サイズだって」 「ん? ペットボトル。ちっちぇえな」  玲望が指差したペットボトルは随分ちんまりとしていた。200mlほどしかなさそうだ。 「これいいな! 外でなんか飲みたいと思っても、安いスーパーとかがすぐ見つかるわけじゃないだろ。でも500ml一本は多すぎる。そういうときに最適じゃん」  今すぐ買わないにしても、良いものを見つけられたのが嬉しかったのだろう。顔が明るい。  そして玲望らしいロジックである。瑞樹はつい、ふっと微笑んでしまった。  こういうところがかわいらしい。真面目な顔で合理主義なことをとつとつと、しかし無邪気に述べるところが。  そだな、とか、じゃあ夏向けか、とか言いながら瑞樹の菓子も決まり、レジへ向かった。そこで差し出されたもの。 「五百円以上でくじが引けまーす。一枚ドーゾ」  大学生らしい男子店員が紙製のチープな箱を差し出した。  くじか。なにが当たるのか。どうせ三十円引き券とかそういうもんだろ。アタリなら缶コーヒーとか。  軽い気持ちで瑞樹は箱に手を突っ込み、一枚掴み出した。それを見て、店員は特になんの感動もなく言う。 「ドリンク賞です。この中からひとつドーゾ」  さっきと同じ、気のない声だった。だがアタリを引いたことに瑞樹のほうは、ぱっと心が明るくなってしまう。 「おい、玲望! 当たったぜ」  入り口近くの栄養ドリンクコーナーなんかを見るともなしに眺めていた玲望を呼ぶ。 「へ? なにが」  なんだ、という顔はきょとんとしていた。その表情がまたかわいらしくて、瑞樹は微笑んでしまう。 「くじだよ。せっかくだからお前、選べよ」 「え、いいのか」  こういうとき玲望は遠慮しない。さっと瑞樹の隣まできて選びだした。 「んー……さっきのやつはなさそう」  さっきのミニサイズペットボトルだ。今は買わなかったけれど、タダでもらえるなら試してみたかったのだろう。  店員はじっとしていたが、態度は『さっさとしてほしい』と言っていた。  まったく、バイト代くらいは働きゃいいのに。  バイトはしていないがボラ研として仕事に近いようなこともたまにする瑞樹は内心呆れたけれど、コンビニ店員なんかそんなものだ。仕方がないから早めにしてやることにした。  玲望が好きそうなもの。お茶か、ジュースか……迷っているらしい玲望と一緒に見ていたけれど、ふと、近くのものが目に入った。  それは保温ケース。これも一応、店員の『この中』と指差した中に入りそうではある。 「あの、こっちでもいいんですか」 「あ、……はい。ドーゾ」  指差して尋ねると店員は一瞬考えた様子で、でも頷いた。よって瑞樹は玲望を招く。 「ホットレモンあるぜ。レモン好きだろ」 「あー、うん。じゃ、寒いしちょうどいいな。コレお願いします」  名前の通りのレモンのドリンクを指した瑞樹の提案。もう玲望も「名前がかわいいとか言うんじゃねーよ」なんてことは言わない。 「ありがとっしたー」  最後まで気の抜けていた店員の声を背中に、瑞樹と玲望はコンビニを出た。  コンビニのすぐ前のベンチに落ちついて早速ビニール袋からホットレモンを取り出す。玲望に渡した。 「んっ、あったけー」  ホットのペットボトルを手に包んで、玲望はふわっと笑った。寒い中だ。一瞬掴んだだけの瑞樹も、あたたかさが心地よかった。 「いただきます」  そこは律儀に言い、きゅっと玲望は蓋を開けて口を付けた。こくこく、と喉が動く。  その動きはなんだか妙に瑞樹の心をざわめかせた。  何故だろう、飲むということは本能的な行為だからだろうか。わからないけれど、玲望の白くてすんなりして、けれど男性らしく喉仏もある喉元に不意に触れたくなってしまった。きっと手で触れたらとくとくと血の流れる感触がするだろう。  数秒、見入ってしまって瑞樹は視線を逸らした。まだ早い。そんなことは。  まだ早い、はず、だった。  けれど玲望がこちらを見る。 「欲しいのか?」 「えっ?」  言われてぎくっとした。自分の欲求を見抜かれたかと思ってしまったのだ。

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