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第41話

重い体を引きずって、長い廊下を歩く。ダイニングルームまでのいつもの道のりが、果てしなく長く思えてしまうのはどうしてだろう。 「ルーゴ様、おはようございま……す?! えっ、もしかして体調悪いですか……?!」 「兄さん、変な物でも食べた? 顔色が人間のそれじゃないよ……。人に化けたカエルみたい」 おれの顔を見るなりぎょっとして青ざめる侍女に、真顔で不気味なことを言う弟のフーゴ。 確かに頭がぼんやりするし、体は重いし、食欲もあまりわかない。 原因はちゃんとわかってる。わかってるけど、今日はずっと楽しみにしていた孤児院へ行く日だ。とりあえず早く気持ちを切り替えないといけない。 「あ、そうだ兄さん。今日の孤児院訪問はなくなったよ」 「えっなんで?!」 「院で風邪が流行ってるらしくてさ。僕達に伝染(うつ)すといけないからって」 「うわーそっか……」 思わずその場で項垂れてしまう。子どもたちと触れ合って少しでも心を癒せればなんて考えたから、バチが当たったのだろうか。 浮かない気持ちのまま朝食を終えダイニングルームを出ると、おれを悩ませる張本人とばったり鉢合わせしてしまった。 「あ……。お、はよ……」 「……おはよう。孤児院訪問の件、聞いたか?」 「うん、なしになったんだろ? 今日はもう外出しないし、お前も休んでいいよ」 「……あぁ、わかった」 業務的な会話を済ませると、ナイトはすぐに背を向けて自室へと戻って行く。 言い訳の一つくらいしたらどうなんだ。そんな言葉を飲み込む代わりに、おれは唇を噛み締めた。 * 「はぁ……天気いいな……」 つい数分前に「外出しない」なんて言っておいて、じっとしているのに耐えられずこっそり抜け出して街に来てしまった。 今日に限って雲ひとつない晴天だし、せっかくだから買い物でもして行こうかと思ったその時。 「――あれ、ルーゴ様? 何してるんですかこんな所で」 「レイウス!」 軍で佐官を務めるレイウスがひょっこりと目の前に現れた。 マントフードを深めに被っているのに気づかれるとは。佐官を任せられるだけあって周りをよく見ているんだろう。 「今日は休みなのか?」 「そうなんですよ〜。久々に一日ゆっくりできるので、ちょっと遊んじゃおうかなって」 「へぇ〜。どこまで行くんだ? ギオニーとか?」 「あぁ、いや……まぁ……」 含み笑いを見せながらも言葉を濁すレイウスだけど、おれの視線に観念したのか苦笑して答えた。 「ちょっとね、ガナディアへ」 「なんだよ、遊びってそういうことかぁ」 「いいじゃないですか〜。軍の奴らは休みになればみんな行ってますよ」 「……もしかしてナイトも行ってた?」 「あっいやそういうわけじゃ……。みんなっつうか、アイツは、その……」 ――ガナディア。歓楽と欲望が溢れる、いわゆる夜の街だ。ただ酒を飲んだり博打に興じたりするのもいいけど、そこへ行く男達のほとんどは娼婦が目的だとか。全て聞いた話だから、おれはよく知らない。 自惚れていたんだと思う。 ナイトはずっとおれを好きでいてくれてて、他の誰かに心変わりしたことなんてない、って。心のどこかでそう思ってた。 でも、そんな根拠の無い自信は、昨日の夜に呆気なく崩れてどこかへ消えてった。ナイトの気まずそうな表情が、おれの知らない彼の数年間を生々しく映し出していたから。 よく考えてみれば、ナイトが従者になってから二年も経ってない。勝手に何でも知ってる気でいたけど、軍にいた頃の彼を、おれは何も知らない。だからその時に恋人を作っていたとしても何ら不思議じゃないし、むしろ年頃の男として健全とさえ思える。 それでも、ナイトがガナディアへ行ってたなんて信じたくなかった。これはただ、おれの我儘だった。

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