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第5話②
ボタンを押すとエレベーターがすぐきて、由良さんは何も言わずに先に乗った。俺も後に続く。
うなじを指で擦られた感覚も、手を握られていた感触も、腰に手を添えられた感触も、まだ身体に刻まれていて。
その感覚を思い返すたびに胸が熱くなるのに、思い返さずにはいられない。
…いま、この中は、由良さんと2人きり…。
エレベーターの鏡に映る自分が、今どんな表情をしているのか。怖くて絶対に見ることができないから、由良さんの靴をただじっと見つめた。
…高いやつだ、これ。
カフェの中に入ると、駅の周りの騒騒しさとは無縁の、静かで落ち着いた空間が広がっていた。
人はそこそこいるのだが、間取りがゆったりとしているせいか閉塞感がない。
客は、商談をしているスーツを着た人たちやカップルらしい2人組ちらほら。あとは隅でパソコンに向かっている人や、読書をしている人がいる。そしておそらく殆どが社会人。
…どうしよう、俺、浮いてない…?
私服できてしまった自分の存在がひどく場違いな気がしてならず、俺は案内された席に慌ただしく座り、なんとなくメニューで自分の顔を隠した。
対する由良さんはスーツ姿でこの場にものすごく馴染んでいる。
座るときにごく自然にジャケットのボタンを外す仕草などはとても格好良く、学生の俺もいつかはこんな風になりたいと、メニュー越しに見惚れてしまった。
「知り合いでもいた?」
由良さんが不思議そうに尋ねてくる。
「あ、いえ…
…あの、俺浮いてないですか…?」
「どうして?」
くすりと笑って、由良さんはそんなことないよ付け加えた。
「俺私服だし、あと…、髪もその、銀だし…。」
そう。もう半年近くこの色だから普段はあまり気にしていないのだが、俺は髪を銀に染めているのだ。流石にこの場では浮いてしまうのではないかと、心配し始めたら止まらない。
「浮いてないよ。それにその服、似合っているしとてもおしゃれだ。でも確かに…。どうして幹斗君は髪の毛を銀色に?」
「やっぱり変ですか?」
「いや、丁寧に手入れされていてとても綺麗だし、似合っていると思う。でも話せば話すほど、君がそんな髪色をするような子に思えなくて。」
由良さんの目には俺がどんな風に映っているのだろう。ふとそんな疑問が浮かんだ。
髪を染めたのは、別に人に言えない理由じゃない。
ただ、派手な方が女子に遠ざけられるかなと思ったからだ。現に俺のいる工学部の女子は全員ノリはいいが一緒にいる相手を選ぶのには慎重なので、谷津には話しかけるが俺にはほぼ話しかけない。
けれど、それは俺の臆病さを露わにしているようにも思える。
男が好きだと公言するのが怖い。新しい誰かと関わるのが怖い。そんな弱さ。
「大した理由じゃないですよ。…ただ、やってみたかったんです。」
少し考えて、そう答えた。嘘はよくないと思ったが、それ以上に自分の弱さを知られるのが怖かった。やっぱり俺は臆病だ。やっと出会えた由良さん に、バイバイされたくない。
「そっか。
あ、注文決めた?」
素っ気ない答え。まるで俺が嘘をついていると見抜いているようで、少しこわい。
けれどそれ以上に、メニューを顔で隠していたから全くメニューを見ていなかったことに気が付き、恥ずかしくなった。
改めて見ると、やはりどれも高い。カフェだと言うから食事を摂らずに来たけれど、パスタやサンドイッチとセットにしたら、財布が昇天してしまう。
…バイトはじめようかな…。
「ミルクティーで。」
食事は家に帰ってから食べようと、とりあえず紅茶を注文した。
「幹斗君、ご飯食べてきた?」
「えっと… 」
由良さんに指摘され、言葉に詰まる。
「じゃあこれとこれ、頼もうか。ここは奢るから、気にしないで。」
「いえ、自分で払います。」
持ち合わせ自体は大丈夫だったはずだ。少し節約すればいい話だし、こんなところで減点されたくない。
しかし由良さんは緩く首を横に振る。
「僕、普段自分のパートナーはとことん甘やかしたいんだ。
…それに、この後するならちゃんと食べておいた方がいい。」
最後の言葉はワントーン低く、脳の奥深くを揺さぶるような力を持っていて、言われた途端に全身が震えた。
この人はすごい、と思う。普段の立ち振る舞いは極めて穏やかなのに、時々ぞっとするほどSub性を刺激してくる。
俺はうなずくので精一杯で、由良さんが店員とアイコンタクトを取り注文を終えてるのをただぼうっと見つめていた。
飲み物とともにサンドイッチとパスタが運ばれてきて、どちらがいいかと聞かれ、パスタを選んだ。
「じゃあ、お互いについて質問し合おうか。」
マンデリン?を煽りながら由良さんが言う。コーヒーの種類などよくわからないが、香りの良いブラックコーヒーを美味しそうに飲む姿は格好いい。
プレイの前にお互いを知ることは重要で、プレイに耐えきれない場合に発するセーフワードも決めておく必要がある。
由良さんが本当に今日プレイをするつもりなのだとようやく実感が持ててきた。
「幹斗君はどんなプレイが好き?」
「好きとかはなくて、…あの、今までglareが効いたことなくて、だからcommand も効かなくて、羞恥は無理って言ってて…。大体痛いのがメインで…。」
「そっか。…困ったな。あまり痛めつけるのは趣味じゃないんだ。」
「で、でも由良さんになら俺、なにをされても大丈夫です。command が効かない場合の話なので。」
ついあわてて付け加えると、由良さんは大人っぽく笑う。
「じゃあ一緒に限界を探して行こうか。」
「はい。」
…やばい、身体熱い…。
由良さんの顔が見れなくて、俯いてパスタを食べながら答える。
「セーフワードは、何がいい?」
いつもセーフワードはクラブのものを使っていたから、自分で決定したことはそう言えばなかった。
普通プレイでは言わない言葉で、長すぎず短すぎない単語…。そして何より、由良さんに気に入ってもらえるような言葉がいい。
食事を進めながら記憶を辿り、食べ終えた頃に幼い頃読んだ花言葉辞典を思い出した。
「…ヘリオトロープ、は、どうですか?」
「ヘリオトロープ…。花言葉は忠誠心か。幹斗君、センスいいね。」
やった、褒められた。嬉しい。思わず頬が緩むのが自分でもわかる。
すると突然、由良さんが目の前で小さくため息をついた。
…俺、何かしでかした…?
全力で由良さんがため息をついた理由を探すが、思い当たらない。
「…いけないよ。そんなに可愛い顔をされたら、早くプレイしたくなる。」
困った顔で言う由良さんの手元には、空いたサンドイッチのお皿と一口分だけ残されたコーヒー。
「よろしくお願いします。」
俺がそう言うと、由良さんは何も言わずに席を立った。
俺もそれに続く。
心臓に強力なバネがついているみたいだ。苦しくて苦しくて、けれど辛いわけじゃない。むしろその疼きを、心地よく感じた。
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