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Ash.
彼女を泣かせたとき、数ヶ月ぶりに宇宙から灰が降った。
『昨日の宇宙灰は、過去数年にない降灰量を記録しました。地域によっては小降りになる可能性がありますが、しばらくは降り続くでしょう。できるだけ外出は控え、警報にご注意……』
アンティーク趣味をこじらせたアーチ型のラジオから、モノラル音声がする。そのラジオは、太った男の膝の上にあった。
髪もまばらな日系の彼は、一年中を通して、ランニングシャツとステテコパンツという格好で、毎日、寂れた花屋の前のベンチに座っている。彼は、何をするのでもなく、日中、ずっとラジオを抱えて座っている。彼の名前は、私は知らない。
私は、彼のラジオから聞こえるノイズまじりの音声を聞きながら、空を見上げた。
先の毛羽立った平筆で、筆遣いも荒く塗りつぶしたようなモノクローム。太陽の姿はおろか、青空のかけらも見えない。
「先生、灰が降りそうだ。今日はよしませんか──」
私は車椅子に乗った先生に言った。
先生は後ろに立つ私を気にかけるように、横を向き、目だけを私に向けた。
「君は帰りなさい」
短くそう言う先生の眼窩は落ち窪み、深く二重になったまぶたは重ねた年月を思わせた。金縁の眼鏡だけが光を反射して、先生の分かりづらい表情をさらに分かりづらくする。
私は返事をしなかった。
路面には、宇宙灰が薄く降り積もっていた。わずかに突き出た路肩の枕石の上にも、斜めに傾いた中国語の看板の上にも、数年そのままのアラビア語の立て看板の上にも、灰は等しく降り注いでいた。
私はこの光景を見るたびに、宇宙灰が真っ白でないことを惜しく思う。
灰は薄い灰色をしていて、降り積もるたびに乗算で重ね合わせて行くから、積もれば積もるほど、灰色は濃くなっていく。均一に同じ色ならまだいいものを、ところどころ灰色の度合いが違うから、どうしても薄汚れたような色になってしまって、見栄えがよくない。積もった宇宙灰がきれいだという人は、たぶん、この世界にはいないだろう。
先生は、車椅子の上で私を振り返ろうとした。旧式の車椅子が揺れたので、私は手押しハンドルに手を伸ばし、グリップを握った。
先生の車椅子は、すべてが前時代的だ。先生が膝をやって、車椅子を要するようになったのはほんの二、三年前。最初の頃は間に合わせで旧型車椅子を使っているのかと思っていたが、先生がひどく苦労しながらハンドリムを握って狭い路地を行くのを見たとき、先生はこの旧型車椅子を愛用しているのだと気がついた。
たとえば、先生はオーソドックスなアーガイル柄が好きだ。端末は好まないんだと言いながらも、覗き見防止のフィルタはアーガイル柄をしていた。色は赤茶色が好きで、さすがにねそれはね、と言いながらも手書きの神話を信じていた。たぶん、先生は音声ライブラリの歌姫にリアリティを求めないタイプなんだろう。ゼロとイチの間に、『人間性』というものの性善説を信じているタイプだ。
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