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第13話 度肝を抜かれるどころじゃない
リオールは機嫌良く職場から出た。
来月からの新しいメニューを任され、今日やっとオーナーから『いいね。これでいこう』と言ってもらえた。家でも試行錯誤して何度も料理を作り、馬鹿に付き合ってもらいながら頑張った甲斐がある。馬鹿に何かお礼をせねば。梨がまだ出回っている時期だから、一手間かけて、コンポートを作るのもいいかもしれない。梨のコンポートは馬鹿が好きだ。バニラアイスも添えてやったら、絶対に喜ぶ。
リオールは軽い足取りで食料品店に入り、今夜の夕食の材料と梨、バニラアイスを買った。会計をする時、何気なく自分の左手首を見た。そこには誕生日旅行で馬鹿と揃いで買った素朴なデザインのバングルが嵌っている。仕事中以外はいつも着けている。自分の手首で微かに光る金属製のバングルを見るだけで、なんだか更に気分が上がる。馬鹿も仕事中以外は着けてくれている。お揃いのもので喜ぶだなんて子供のようだが、嬉しいものは嬉しい。
馬鹿は今日は休みだ。帰ったら馬鹿の笑顔で出迎えられるだろう。ふにゃふにゃの馬鹿の笑顔が早く見たい。
リオールは足早に家路を急いだ。
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リオールが玄関のドアを開けると、テーブルの椅子に座っていた馬鹿が立ち上がり、玄関まで歩いてきた。ふにゃふにゃの笑顔を浮かべた馬鹿が少し背伸びをして、リオールの唇に軽くキスをした。
「おかえりー。リーちゃん」
「……ただいま。ん。これ、アイス入ってる」
「わぁ!やったぁ!涼しくなってきたけど、まだまだアイスが美味しい季節だよねぇ」
「梨、買ってきた。コンポートにする」
「本当っ!?わぁ!今夜のデザートは豪勢だねぇ」
「ん」
キラキラと目を輝かせる馬鹿にバニラアイスが入った袋を渡すと、馬鹿がいそいそと魔導冷蔵庫の方へ向かって行った。テーブルに夕食の材料などを置くと、リオールは手を洗いに脱衣場にある洗面台へと向かった。手を洗ってうがいをする。馬鹿は案の定喜んだ。にやけてしまわないように、眉間と口元にぐっと力を入れる。
台所に行くと、魔導冷蔵庫に夕食の材料を入れている馬鹿が振り返った。
「リーちゃん。とりあえず全部入れたよー」
「ん」
「リーちゃん。リーちゃん」
「ん?」
「結婚しよっか」
「…………ん?」
「結婚式はどうする?する?」
「……は?何言ってんだ馬鹿」
リオールは馬鹿の発言の意味を咄嗟に理解できなかった。『けっこんしよっか』って何だ?意味が分からない。
思わず間抜けに口を開けたリオールに馬鹿がいつものふにゃふにゃの笑顔で近づき、硬直しているリオールの手をぷにぷにの柔らかい両手で握った。
「リーちゃん。僕と結婚してください」
「…………」
馬鹿は何を言っているんだ。馬鹿にはリオールなんかよりもずっといい結婚相手がいる筈だ。面倒くさいリオールなんかと一生いるつもりなのか。
リオールはパチパチと何度も高速で瞬きをした。馬鹿がじっと真っ直ぐにリオールを見つめてくる。なんだか馬鹿の顔が見れなくなって、リオールは視線を下ろした。顔どころか耳まで急速に熱くなっていく。心臓が口から飛び出しそうなくらい激しく動いている。なんだこれ。
これはもしかしてプロポーズというやつなのだろうか。いきなり何なのだ。今朝までそんなこと考えてそうな雰囲気は皆無だった筈だ。本当に訳が分からない。
混乱するリオールの手を、少し強めにぎゅっと握って、馬鹿が口を開いた。
「僕ね、リーちゃんが好きだよ。リーちゃんの側にいることが僕にとっては当たり前なの。今までもずっと一緒だったけど、これからもずっと一緒がいいんだ」
「…………」
「もしね、リーちゃんに好きな人ができたら、その時はしょうがないから離婚するしかないけど、僕はリーちゃんが嫌になるまで側にいたいんだ」
「…………」
「……ダメかなぁ?」
ダメに決まっている。馬鹿は気立てがいい相手と結婚するべきだ。リオールみたいな意地っ張りで捻くれている面倒くさい奴なんかと結婚なんかしちゃいけない。
そう言わないといけないのに、口から言葉が出ていかない。リオールはぐっと眉間と口元に力を入れた。じわじわ熱を持ち始めた目頭をなんとかしたいが、上手くいかない。
馬鹿のプロポーズを断らなくちゃいけない。でも、馬鹿の言葉に喜んでいる自分がいる。理性では断る1択なのに、気持ちがそれを邪魔してくる。何なんだ。本当に。突然過ぎるだろう。せめて心の準備ができるように、事前に告知してくれていたらよかったのに。プロポーズの事前告知なんて意味不明だが。度肝を抜かれるどころではないじゃないか。
驚き過ぎて、なのに嬉し過ぎて、今にも泣いてしまいそうだ。
「リーちゃん、リーちゃん」
「……なに」
「泣かせちゃってごめんね。ビックリしちゃったね」
「……泣いてねぇし」
嘘である。今にも零れ落ちそうな涙を必死で食い止めている最中だ。本当にどれだけ人を驚かせれば気が済むのか。
馬鹿は馬鹿だ。リオールなんかを選ぶなんて。
馬鹿が片手を離して、手を伸ばしてリオールの頭を優しく撫でた。
「リーちゃん」
「……なんだよ」
「僕と一緒にいてくれる?」
「……お前、馬鹿だろ」
「リーちゃん馬鹿だねー」
「……ナーの馬鹿」
「ふふー。リーちゃんは分かりやすくて可愛いね」
「んなことねぇし」
「結婚式したい?」
「……別に」
「じゃあ、2人だけでお祝いしよっか。また旅行に行くのもいいね」
「ま、待て。結婚するなんて言ってねぇ」
「リーちゃん」
「……なんだよ」
「嫌じゃないでしょ?」
「ぐっ……」
「嫌じゃないなら結婚しようね」
馬鹿が少し背伸びをして、リオールの唇に触れるだけのキスをした。キスなんて小さな子供の頃から数え切れないくらいしているのに、何故だか心臓が跳ねる。
馬鹿が背伸びをしたまま、むぎゅっとリオールの身体を抱きしめた。頬に柔らかい馬鹿の頬が触れる。
頑張って堰き止めていた涙が零れ落ちた。馬鹿の柔らかい身体と体温がどうしようもなく愛おしい。胸の中にあった名前をつけたくなかった感情に名前がついてしまった。『愛おしい』以外、しっくりくる名前がない。
認めるべきではないのに、馬鹿が愛おしい。自分では気づかないうちから、ずっと馬鹿が愛おしかった。馬鹿の側に死ぬまでいてもいいのだろうか。馬鹿のふにゃふにゃの笑顔の隣にいてもいいのだろうか。
頭ではそう疑問に思うが、心がどうしようもなく叫んでいる。馬鹿の、ナハトの側にいたいと。
リオールはおずおずと抱きしめているナハトの背に腕を回した。馬鹿がぎゅっと強く、リオールを抱きしめている腕に力を入れた。
「リーちゃん」
「……ん」
「大好き」
リオールは言葉を返す代わりに、全力でナハトの身体を抱きしめた。
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リオールは全裸でぴったりとくっついている馬鹿の顔を間近でじっと見つめた。馬鹿は穏やかな顔で鼾をかいて気持ちよさそうに眠っている。
馬鹿の突然のプロポーズに驚いて、うっかり泣いて、落ち着く間もなく、リオールは馬鹿をベッドに押し倒した。2人で無我夢中で絡み合って、リオールは馬鹿に縋りついて、また泣いた。自分がこんなに泣くなんて信じられないくらい泣いた。馬鹿はそんなリオールを優しく抱きしめ、何度もキスをして、快感の海に溺れさせた。
泣きすぎたせいか、頭が鈍くジンジンする。直接肌に感じる馬鹿の体温に気持ちが凪ぐ。
馬鹿はいつか後悔するかもしれない。リオールの側にいるのが面倒くさくなって、嫌になるかもしれない。それでも許されるのなら、側に居続けたい。
『馬鹿』はリオールだけの『馬鹿』だ。誰にも渡したくなんてない。『愛してる』も『好き』も、上手く口にはできないけれど、馬鹿ならきっとリオールの気持ちを分かってくれる気がする。
それに甘えるだけなのはよくない気がするが、もう少しだけ甘えさせてほしい。
いつか、素直に馬鹿に愛を伝えたい。
自分でも、意地っ張りで捻くれた性格なのは分かっている。そんなリオールを愛してくれる『馬鹿』は、ナハトだけだ。
リオールは眠る馬鹿の唇に、そっとキスをして、声に出せない思いを唇だけで呟いた。
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