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第1話
その人は、どこか翳りのある、深い眼差しで、今日も教壇に立っている。
生徒たちの間では、教師でありながら、
『イケメン過ぎて、話しかけられない・・・』
と、性別問わずもっぱら噂されている。
・・・無理もない。
思春期真っ只中の生徒たちだが、精神的にはまだまだ子供である彼らにとって、この教師はだいぶ大人に見えるであろう。
見つめられたら・・・。
その眼鏡越しの視線には、誰しも動けなくなるほどの迫力が有った。
これだけでも、十分教師には向いていないと思われるのだが・・・なぜか彼はこの「教師」という、自分には全く向いていない職業を選んでしまったのだ。
「あんなにイケメンなのにー!」
「なんで先生なのー!!」
女子生徒たちは口を揃えてこう訴えているのである。
「里中くん、お願い!」
「やだよー」
「聞くだけで良いから!一生のお願い!この通り!」
「・・・・・・・・・・・・・・」
里中と呼ばれた生徒は、一人の女生徒から頭を下げられていた。
まだまだ先の長い人生、簡単に”一生のお願い”などと言っていいのか、と率直に思う。
「いや・・・そのぉ・・・聞くだけなら自分で・・・」
「ひっどい!自分で言え・・・」
「おいおい悠 !ひでー奴だな。女の子がこんなにお願いしているのに!」
女生徒の非難が終わる前に、男子生徒の腕が悠の首に絡んできた。
「痛いよ、光哉!」
「女の子をいじめた天罰じゃ」
「い、いじめる?僕が?」
なおも悠の首を絞める男子生徒・須藤光哉 は、ジロリと睨みを入れる。
「悠よ・・・女の子のお願いは聞かなきゃいかん。いつの時代もそれは変わらんだろ?」
「は?」
「しかも彼女は学年一の美女と名高い美咲ちゃんだぞ!」
この部分は、悠にだけ聞こえる声で。
「いや、でも・・・さ」
「里中くん、これを渡してもらうだけで良いから」
美咲こと学年一の美女が、光哉を押しのけて悠に迫る。美咲の本気度もそこそこのようだ。
天にも届きそうなまつ毛をパサパサさせる美咲に、光哉の胸もドキリ。
「ほら、ラインのIDを聞くなんて簡単じゃん。やってやれよ」
「・・・・・・・・・・・・」
ジロリと光哉を睨み返し、悠は大きなため息をついた。
「僕・・・先生のこと、よく知らないんだけど・・・」
悠の言葉に、光哉が大きく頷いた。
「そっか、確かに。そう言えば俺もよく知らないなあ」
美咲が告白しようとしている教師は、3人の生徒を担当していない。
その上、その教師は、今年の4月から病気休暇となった教師の代わりに赴任してきたばかり。
男子である2人は”イケメンの噂だけは知っている”レベルだった。
ほぼ面識のない悠が、いきなりその教師の元を訪れるというのは、さすがに無理があるかもしれない。
「知らないほうが、かえって良いかもしれなくね?」
「は?」
唯一、逃げられそうな理由を見つけたのに、光哉があっさりと吹き飛ばしてくれた。
「そうよ!先生のことをよく知らないほうが言いやすいかも」
「そうそう、それそれ。知らない相手なら言いやすい!」
”だったら自分で言ってくれ!”という悠の言葉は届かない。
「じゃあこれ、よろしくね」
「・・・・・・・・・・・・・」
美咲から渡された小さなメモ。おそらくそこには想いを伝える言葉とともに、ラインのIDが書かれているのだろう。
目を合わせるのも憚れる高校教師に想いを告げるなど、さすが学年一の美女と呼ばれるだけのことはある。
悠から見ても、美咲の容姿は完ぺきで、想われて迷惑な男は少ないはずだ。
「よしよし、それでこそ男だ。悠よ、善は急げだ。早速行ってこい」
「え、いま?」
”お・ね・が・い”
と美咲の目も訴えている。
はあ・・・・。
「がんばれよ~」
「・・・・・・・・・・・・・・」
代わりに想いを伝える自分がどう頑張るのか・・・。
完全に他人事だな、と疑問や抗議は残るが。。悠は、その教師がいるであろう、校舎の隅にある科学室へと向かった。
『イケメン過ぎる教師。』
男子生徒である悠は、もちろんその教師に興味があるわけでもないし、どんな顔なのかも知らない。が、話しかけるなオーラを持つというイケメン教師が、一日の大半を科学室で過ごしているらしい、という噂ぐらいは光哉からの情報で知っている。それぐらい有名な教師なのだ。
まさか自分が、たった一人放課後に科学室を訪れることになろうとは。
全く想像もしていなかった悠である。
「失礼しまーす」
ノックのあと、悠は科学室のドアを開ける。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・。
返事はなく、籠っているはずの教師の姿もない。
「?」
まさか、今日に限っていない?
・・・留守なら仕方ないと諦めようとしたそのとき、「準備室」と書かれた扉が目に入る。
ここには一度も入ったことがない悠だが、もしかしたら・・・
と、準備室の扉をノックした。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・。
やはり返事はない。
『留守』ということで帰っても良いのだが。。
悠は、少しだけ興味が湧き、返事のない準備室の扉を開けてみた。
「失礼しまーす・・・」
誰もいないとは思いつつも、とりあえず扉を開けるときは、一声かけるのが礼儀である。
小さめの声で断ってから、一歩足を踏み入れた。
「!」
ちょこっと見回して帰ろうと思っていたが、部屋のあちらこちらに恐竜のフィギュアが置かれていることに気付く。
恐竜に詳しくない悠には、全く区別がつかない。どのフィギュアを見ても、同じ恐竜にしか見えなかった。
しかし1つだけ、悠の目を引くピンク色のぬいぐるみがあった。
「なんだこれ、恐竜?」
可愛さの余り、思わず手を伸ばそうとしたその瞬間・・・
「勝手に触るな!」
ビクッと悠は手を引っ込めた。突然の声に驚き、心臓がバクバクと踊りだした。
『いたんですかー!!』っと喉元まで出てきたセリフをしまい込む。
あの、人を凍らせるようだと恐れられている視線が悠を見つめていたからだ。
しかし、この状況で、いきなり声を掛けるとは・・・。
この教師は、人をショック死させる気だろうか。未だ復活できない悠をよそに、眼鏡の奥の冷たい瞳が「なにか用か?」と言っている。
動揺をおさえ、深呼吸をして自らを落ち着かせた。
しかし、その前に冷たい瞳と同様の、冷めた声が降りかかってくる。
「勝手に入って、勝手に触るな」
「す、すみません・・・」
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・。
『か、帰りたい帰りたい・・・。』
早くも挫折しかけた悠。
しかし、美咲の期待を裏切るのも忍びない。せっかくここまで来て、噂の教師にも会えたのだ、もう一度勇気を振り絞って、氷の視線に目を合わせようとするも・・・
やはり怖くてさりげなく視線をそらす。
「あの。。神崎 先生」
「?」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」
痛い・・・沈黙が痛い、と悠は初めて思った。
重すぎる沈黙は、痛いのだ。
これはもう、さっさと用事を済ませて早々に去るのが得策。
咄嗟にそう思った悠は、覚悟を決めて神崎の目前まで歩み寄った。
「あの、これ。・・・読んでください」
「?」
差し出された小さなメモに視線を向けたあと、ゆっくりと悠を見つめる。
誰もがビビるその視線が、いま目の前にある。逃げ出したい衝動を必死に堪え、メモを神崎に押し付けると、ようやく冷たい瞳と目が合った。
「これ、その。。読んで・・・ください・・・あ・・・」
「?」
瞳が合った瞬間。
悠はその深く、濃い藍色の瞳に釘付けになる。そして、その瞳から目が離せなくなった。
「?」
明らかに様子がおかしい悠を気にしつつ、小さなメモをチラ見して、神崎はさらに覗き込んできた。
「これは、君が書いたのか?」
「え・・・」
「・・・・・・・・・・・・・・・」
まだ違う世界へトリップ中の悠に、神崎はため息をついた。
そして、悠の目の前にメモを差し出しトントンと叩いた。
「これは、君が書いたのかと聞いたんだ」
「あ・・・あの、それ・・・は・・・」
「どうなんだ?」
『逃げたい!・・・いや、、逃げたくない!・・・』
正反対の気持ちが悠を襲う。
どうしようかと思った瞬間、悠の目前に神崎の顔が迫る。
初めて間近で見る神崎に、悠は完全にビビっていた。色々な意味でだ。
『ここはひとまず逃げて、落ち着こう・・・』
悠がその場を離れようとしたが、突然手首を捕まれる。
「君じゃないみたいだな。それならお断りだ。このメモは、書いた主に返しておいてくれ」
「え?」
神崎の冷たい表情は変わらない。
「こ・・・断るって。。まだ読んでもいないの・・に?」
恐る恐る聞いてみる。
「見なくても内容は分かる」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」
中身なんぞ見なくても、自分への好意が書かれていると分かっているということか。
これまで何度も告白を受けて来た、もう飽き飽きだ。とでも言いたげな瞳。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
沈黙が重い、痛い。
悠は、沈黙がこんなにもつらいものだなんて初めて知った。
そんなヘビー級の沈黙を先に破ったのは神崎だった。少しだけ悠から離れ、遠くを眺める。
「この令和の時代に、メモを用いた古風な点は感心する。だが・・・」
「?」
神崎が再び近付いてきて、顔を覗き込んだかと思うと、突然顎を掴んで悠を引き寄せる。
「せんせ・・・?」
「自分の気持ちを自ら言えないような人間に興味はな・・・」
「好きです」
「?」
神崎の言葉が終わる前に、悠の口から咄嗟に言葉が出ていた。
「君が代わりに言ったところで何も変わらない」
「そうじゃなくて・・・」
「?」
悠の中から、美咲のメモの存在は完全に消えていた。
一通りのやりとりをいまいち呑み込めていない神崎が、悠の顎に触れていた手を離した瞬間。
悠は思い切り背伸びをして、神崎の頬に唇を押し付けていた。
「・・・彼女の代わりじゃなくて、僕が好きなんです」
「は?」
「先生!」
「ま、待て・・・」
抱き着こうとする悠を神崎が寸でのところで阻止をする。
悠の両肩を掴み、ある程度自分との距離を確保した。
「まずは落ち着け・・・悪いが、全く状況を呑み込めない・・・」
「先生・・・」
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・。
再びの沈黙。だが悠は、決して神崎から視線をそらさない。
先ほどまでとは真逆の展開になり、神崎のほうが逃げたくなった。両肩を抑えられた悠だが、それでも神崎との距離を縮めようと負けていない。
「だから落ち着け、待て、人の話を聞け。・・・まず君は誰なんだ。俺の担当している生徒ではないよな?君も知っていると思うが、俺はここに来てまだ日が浅い」
「3-Aの里中 悠です。漢字は悠久の悠です」
「3-A?阿部が担任か?」
「そうです」
”それが何か?”とでも言いたげな悠の視線。
スイッチが入っているその様子に、神崎は宥めるように悠の肩を叩いた。
「里中くん・・・君のことは分かった。でもだからと言って・・・」
「悠って呼んでください」
「いや、そう言うことではなくて・・・」
「先生!」
「だーかーら、待て!」
俺はこんなキャラではない、と言いたいが、その前に悠から襲われる危険を感じる。
こんなに華奢で可愛らしい男子生徒から、なぜ自分が逃げようとしているのか・・・
考える時間すらなさそうなので、神崎は悠の両肩を再度掴み、そのまま壁に押し付ける。
「目を覚ませ。俺たちは初対面だ。そして、俺は教師だ」
「先生。。。壁ドンしなくても逃げませんよ」
「な、なぜ目を閉じる!!!」
「先生!」
「やめろ!」
「わ!」
一向にやめる気配のない悠に、神崎は仕方なくその小さな体を肩に抱える。ジタバタする体に構わず、そのまま部屋の入口まで進み。ポイっと科学室から放り出した。
「いたっ!」
悠が立ち上がる前に、ピシャリと扉を閉めた。外で悠が何やら言っているが気にしない。
ようやく嵐が去って、神崎は深いため息をつく。
「何なんだいったい・・・」
何が起きたのか・・・駆け足過ぎて理解できない。
ここは、初めから順にリプレイしてみよう・・・。
里中という男子生徒は、メモを持っていた。よくは見ていないが、確かに女子の筆跡だった。自分への好意が綴られていたのも何となく分かる。
当初はそれを彼が代わりに持って来たのだと思う・・・。だがしかし・・・。
途中から急に雲行きが怪しくなってきた。
「分からん・・・」
考えても答えは出ない。数式を解くのは得意だが、人の心は全く分からない。
ここはもう忘れよう。
すべては夢だったのだ。あの男子生徒も、時間が経てば落ち着きを取り戻し、自分の非を恥じるだろう。今ごろ、すでに我に返っているかもしれない。そうに違いない。
神崎はそう言い聞かせ、再び準備室の自席へと戻った。
この時の神崎はもちろん、悠もこの出会いが今後、2人の人生を大きく変えていくことをまだ知らない・・・
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