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第2話
「宮原くーん」
「今日はお迎えきてるぜ、建志」
廊下の先に立つヤツを見ながら草野がニヤニヤしている。
最近すっかり俺に懐いてしまった岸。授業が終わって、帰ろうと教室を出ると、廊下にいる。それはほぼ毎日。岸を見ようと、女子たちはがきゃあきゃあ集まっては騒ぐ。たまに岸がいない日は、草野が『今日は寂しいな』と呟く。
別に寂しくないし、いない方が相手にしなくていいから気楽なのに!
岸は弓道部に所属していて毎日、放課後に練習があるにもかかわらず隙間時間の間に、ここにくる。俺らと少しだけ話しながら校庭に行って、弓道場前で『じゃあ』って手を振るんだ。
忙しいなら来なきゃいいのに、と言ったことがある。すると『宮原くんと日に一回は会わないと、弓の調子が出ないんだよな』と、訳の分からないことを岸が言ったので、草野が隣で爆笑していた。
「今月末に弓道の大会があるから、当分練習が厳しくてねぇ。明日は会えないかもしれない。残念だなあ」
「いいって、別に来なくても」
歩きながら、俺がそう拒絶しても岸はニコニコしてばかりで全然聞いていない。
「大会見にくる?今村も出場するよ」
陸も出るのか。袴姿、かっこいいんだよなぁ…。そんなことを思っていると岸がこっちを見ている。
「なんだよ」
「僕も応援して欲しいなー」
拗ねたような顔を作って笑う。そんな顔でさえ、岸はイケメンだ。まるでアイドルのような整った顔をしている。何でこんなイケメンに好かれたんだろう、俺。
岸と別れて、俺はホッとしつつ草野と校門を出た。陸上部が声を出しながらグラウンドを走っている。その中に貴暁を見つけた。
(みんな青春してんなー)
大あくびしてると、草野がそういえばと言い出した。
「俺、明日は美紅とデートだから一緒に帰れねぇわ。岸もいないし、お前一人だな」
美紅は草野の彼女だ。付き合って半年くらい。何でこいつと付き合ってんのかなってくらい、可愛いと評判なのだ。
「…お前も絶賛アオハル中かよ」
「なんだよ、岸の想いを受け止めてやったら、お前も、めでたくアオハルだせ」
俺は草野を軽く睨む。こわいこわい、と草野は笑った。
別に岸に告白されたわけでもないし、仲良くしようと言われただけ。そりゃアイツは俺が好みとか言ってたけど……
ただ流されるのは違う気がする。俺はまだ岸をよく知らない。知っていることは弓道部に在籍していて、陸と仲が良いということだけだ。アイツこそ俺を知らないくせに、何でこんなに懐くのか。そんなことを思いながら数週間経った。
その日は暑い日だった。
「もう秋なのに何だこの暑さ」
9月終盤なのに、まるで真夏のように暑い。どうやら台風が近づいているようでその影響で暑くなるとニュースで言っていた。
「明日は大雨か、練習なくなるかな」
陸が隣で窓の外を見ながら呟いた。弓道の大会が数日後に迫る中で、練習がないのは痛手だろう。貴暁は背伸びしながら、言う。
「久々のんびり出来るな」
「おっ、サボる気満々だな」
俺がニヤニヤしながら言うと、貴暁は口を尖らせる。
「帰宅部の建志に言われたくないね」
明日からひどくなるはずの台風は、その後、速度を早めて帰宅しようとした時間には風が結構酷くなってきた。その為、全ての部活は中止となってしまった。俺は帰る支度がすんでカバンを肩にかける。
「部活、二日間休みかぁ」
陸は小さくため息をつきながら教室を出た。不意に俺の隣にいた草野があれ?と声を出す。
「今日、弓道部休みなのに岸、いないなあ」
いつもなら待ち構えているはずの場所に岸がいないことに気づいたのだ。本当だな、とその場所を見ていると陸が不思議そうに聞いてくる。
「え? いつも岸、こっちに寄ってんの?」
「うん。何でかわかんないけど」
「アイツ余裕だな、今回勝たなきゃならないのに」
「試合があるんだっけ?」
「うん。前回の試合で個人優勝逃してて、今回狙ってるんだよ。前回は転校してくる前の学校から出場してたんだけど」
「そんなにうまいの」
「かなり有名だよ、あいつ。だからここに転校してきた時、びっくりしたもん」
以前、弓道場で見た岸の姿。かなり余裕が見えていたから上手いんだろうなと思っていたのだが、そんなに有名とは。
「じゃ、また明日ね」
陸と貴暁は手を振りながら先に帰っていく。ちょっと前にギクシャクしていた仲もいまやすっかり仲良しだ。部活が休みになって、デートでもするのかな。
(仲良くなってくれてよかったよ)
その日俺は夢を見た。
誰かと抱き合ってる夢。相手が誰かわからないど、俺は相手の背中に手を回して抱きしめて。
相手がちょっと顔を離した。あと少しで顔が見れる。そう思った瞬間……
相手に強く首筋を噛まれた。
アルファでもオメガでもない、ベータの俺に。まるで番の印のように、噛み付いたのだ。
翌日は土砂降りで大雨警報が出てしまって、休校となった。俺は夢見が悪くて、ベッドの上でゴロゴロしながらスマホをいじっていた。
なるべく夢を思い出さないように。あんな夢を見るなんて、俺はどうかしている。きっと陸と貴暁の二人を見てるから変な夢、見てしまうんだ。あの二人が悪い!俺はそう思いながら、また目蓋を閉じた。
***
翌日。台風一過の青空。
そんな中、陸が頭からずぶ濡れになっていた。
校庭の掃除をするのに蛇口ひねったら、ホースが抜けて水が直撃したらしい。
「ついてないなぁ、お前」
俺と貴暁が笑っていると、陸はタオル!とふくれっつらをして手を伸ばしてきた。貴暁がカバンからタオルを取り出して陸に渡す。
「全く……」
受け取ったタオルで頭を拭こうとしたとき、たまたま見た陸の白い首筋。そこに赤いアザのようなものが見えた。楕円の形をしたそれは……
歯形、だ。
「陸」
トントンと、俺は陸のうなじを突いてやる。ギョッとしたのは貴暁だ。陸も驚いて俺を見る。
「なんだよ、二人とも」
「い、いやなんでも」
「陸、風邪ひかないようにな」
俺はそそくさと教室を出た。
動悸が止まらなかった。陸と貴暁が番になることはわかっていたのに。
二人の顔が見れなくて、俺はそのまま廊下を突き抜けて下駄箱までたどり着いた。
「あれ、宮原くん」
そこにいたのは袴姿の岸だ。いまから部活なのだろうか。不思議そうな顔をこちらに向ける。
「何かあったの?泣きそうな顔してるよ」
岸の手が顔に伸びる。その手を俺は払い除けた。その瞬間、岸がどんな顔をしていたかは見てない。俺は俯いていたから。
「ほっといてくれ」
払い除けた手を、岸は掴んだ。意外なほどに強い力で掴まれた。そしてそのまま引っ張られる。
「岸、手を離せよ」
「離さない」
近くの美術室に入ると、勝手に戸の鍵をかける岸。抗議を続けていた俺の手を離したのは、鍵をかけた後。正面から向かい合うような形になった時、突然岸は両手を広げた。
「おいで。僕の胸、貸すから」
「はあ?」
何言ってるんだ、と言おうとした時、岸は優しく微笑んだ。俺は何故だか分からないけど、そのまま素直に岸の胸元に顔を埋める。
するとだんだんと気持ちが溢れてきて、涙が出てくる。そしてあっという間に岸の袴を濡らしていく。
「つ……」
貴暁と陸の幸せを願ったのは、自分の筈なのに。
二人が番になったなら喜ぶべきなのに。
嫉妬なのか、寂しさなのか分からない。
とにかく今は泣かせてくれ。
気がつくと俺は声を上げて泣いていた。岸はゆっくりと抱きしめて頭を撫でる。まるで子供をあやす様に。
そうして何分か経って、ようやく俺が泣き終えた頃に岸は抱きしめていた腕を開く。
「落ち着いた?」
「う、ん…」
すっかり濡れてしまった袴を慌ててハンカチで拭こうとしたら、いいんだよ、と笑われた。
「何かあったらいつでも頼ってきてよ」
いつもなら俺は否定する言葉を岸に向けるのに、言葉が出ない。そのかわり身体が動いた。
俺より若干、背の高い岸。少しだけ背伸びをしてその綺麗な顔の唇に、キスをした。
「……!」
すぐに離すと、岸は驚いた顔をして俺を見た。そりゃそうだ。俺も驚いている。
「胸貸してくれて、ありがと」
それだけ言って離れようとすると、岸が今度は近づいてきてキスをしてきた。俺の顔を両手で持ち、さっきみたいな触れるだけではなくて、だんだんと長く続くキス。
長い様な短いような時間が過ぎて、唇を離す。
「部活……行かなきゃなんねえだろ」
俺は岸から離れた。岸も大人しく頷いて戸の鍵を開けて廊下に出る。
「宮原くん」
岸に呼ばれたが、俺はその場から走って逃げた。
「流されてんじゃん」
容赦ない草野の言葉に、グサっと何かが突き刺さる。翌日。俺は学校を休んだ。貴暁と陸の二人に会うのが怖くて。そして岸に会うのがもっと怖くて。
学校帰りに草野が家に来てくれて、俺は悶々としていたので全て話した。いつもはふざけてばかりの草野だが、こう言う時は話を聞いてくれる。深入りせずに、客観的に聞いてくれるからついつい相談してしまう。
「な、流されてなんか」
「じゃあなんでキスしたんだよ」
キッチンから持ってきたスナック菓子をつまみながら、草野が言う。その言葉に俺は返すことができない。
「流されてないって言うんならアレよ、建志」
「何よ」
草野はニヤリと笑う。
「お前、アイツが好きなんだよ。まあ、あれほどアピールされたら」
出会ってまだ一か月くらいしか経ってない。ほぼ毎日放課後に来ていたとはいえ、お互いよく知らないのにそんなことあるもんか、とブツブツ言っていたら草野は不意に言う。
「出会って短くても、お互い知らなくても惹かれることもあるんじゃね?お前らもしかしたら『番』かもよ」
「ベータ同士に、『番』なんてないだろ」
草野が一瞬、真面目な顔をして俺の額にデコピンをする。
「ばーか。ベータだろうが誰だろうが『番』はいるだろうが。それを運命の人って言うんだぜ」
「……は、お前ロマンチストになったな。前は『番』は都市伝説じゃないかって言ってたくせに」
「美紅の影響かなー。そう言えば明後日、弓道部試合があるらしいぜ。陸が言ってた」
『大会見にくる?今村も出場するよ』
『前回前の学校で個人優勝逃してて、今回狙ってるんだよ』
岸と陸が言った言葉を思い出した。この大会のために、岸は最終の練習をしていたのかもしれない。弓道は精神統一が必要な競技だ。もし、岸が昨日のことで動揺していたとしたら。でもアイツはそんなにメンタル弱くないはず……だけど……
もし、優勝出来なかったら?それが万が一、昨日のことが少しでも原因になったら?
「建志?」
「悪ぃ、ちょっと陸に電話する」
***
気がついたら空には一番星が出ている。そろそろ、夕方外にいると少し、寒いな。
弓道部の部室の裏で、俺は陸を待っていた。今日は学校を休んだというのに、夕方からこうしてこっそり来ているとこを担任に見られたら、大目玉を食うだろう。
早く出てこねえかなあ。
そう思っていると、部室から何人か出てくる気配がした。その中の声に陸のものが聞こえてホッとした。
「建志、お待たせ。遅くなってごめんね」
俺が待っている場所に、陸は来た。その隣にはキョトンとした岸がいる。
「あれ、宮原くん、今日休みじゃなかったの」
同じクラスじゃないのに休みなのを把握しているのが怖いが、もうそれは今更だ。
「……おう」
俺は岸から目を背けて答えた。すると、隣で陸がクスッと笑う。
「あのね、岸。宮原くんは岸に用事があるんだって。部活中の僕にメールして来て、帰りに待ってるからって脅されたんだよ」
「誰が脅してるって……!」
ハイハイ、邪魔者は退散するよ、陸は手を振りながら一人で去ろうとした。
「陸」
「なに?」
「昨日、すまなかった。首筋……」
陸は昨日のことなど忘れていたかのように、ああ、と首筋を触る。そして笑いながらこう言った。少しだけ、照れながら。
「部活、休みになったから、ついね、盛り上がっちゃって。みんなには内緒だよ」
歯形ではなく、キスマークを見られたと思ってるんだろうか。まあ、今度色々聞いてみよう。
「俺に用事だった?今村じゃなくて」
今まで俺の方から岸に話しかけたことは、ほぼない。岸はじっと俺の方を見ていた。
「うん。あの、さ。この前のこと」
「この前? ああ、キスしたこと」
単刀直入に言う岸に苦笑いする。オブラートに包むとか、できないんだろうな。
「お前、明後日、大切な試合なんだろ?俺、この間逃げたから、お前がもし気にしてたら悪いかなって」
「……それ言うために、来てくれたの?」
自分の顔が赤くなっていくのがわかる。あー、そうだよ、どうせ考えすぎだよ! 自意識過剰だよ! でも言わなきゃ後悔しそうなんだ。このままいい成績が出なかったら、頑張って来た時間が無駄になるかと思ったら。
「やっぱり、宮原くんは良い子だね」
「へ」
岸が近づいてきて、俺の身体を引き寄せる。端正な顔が至近距離で微笑んでいた。目の下の、色っぽいホクロが目の前にある。そして、ぎゅーっと痛いくらい体に抱きついてきて、俺の肩に顔を乗せて岸が頰をすり寄せてくる。
「い、痛いよ。折れる」
「そんなに華奢じゃないだろ」
「お前なあ」
不意に岸は肩から顔を離して、今度はお互いのおでこをくっつけあった。
「好きだよ」
突然言われて、俺はさらに顔が熱くなる。
「俺のこと、そんなに知らないだろ。なのにどうして」
「知らなくても分かったんだ、宮原くんが運命のひとだって。俺にとっての『番』なんだって」
『ばーか。ベータだろうが誰だろうが『番』はいるだろうが。それを運命の人って言うんだぜ』
草野の言葉を思い出して、思わず口元が緩んでしまった。
なんだそりゃ。岸も、ロマンチストなんだな。そしてきっと俺も、ロマンチストなんだ。
俺は返事の代わりに、岸にキスをする。それを受けて、二人でキスの応戦。唇が離れたと思うと、岸の唇は俺の首筋にキスを落としていく。ゾクゾクっと体が震えた。そして、また唇が離れたかと思うと……思いっきり首筋を強く噛まれた。
「痛ッ!」
「ああごめんね。ほら、これで『番』になったね」
ニコニコする岸を見て思わず、俺は笑ってしまった。ベータ同士の『番』ごっこ。アルファとオメガの奴には悪いけど、俺らにもその運命ってやつを、実感させてくれ。
***
後日、弓道の試合には俺と貴暁で見に行った。
個人戦の決勝は、一矢ずつ矢を放っていき、最後まで外さない方が優勝となるらしい。最後まで残っていたのは、岸と前回優勝したライバルの高校生だった。長い間二人は競っていたが、結果、岸が打ち破ったのだ。
無事、リベンジを果たした岸のその顔は、俺が今まで見たことのないほどの、笑顔だった。そして陸は個人戦で四位。岸とは違って、今回の試合が初めてだった陸にとって大快挙だ。こちらも笑顔で岸と喜び合っていた。
観客席で二人の様子を見ながら、貴暁が話しかけてきた。
「なあ、建志。あの時、陸の首筋に何見た?」
「歯型。お前んだろ」
「バレてたのか」
「分かりやすいんだよ、お前ら。俺は一人、仲間外れになって寂しかったんだぜ」
あの時、岸の胸を借りて泣いたから、もうこんな冗談も言える。貴暁は少し顔を赤らめた。
「しっかし高校生で『番』なんてすげえよな、今から人生長いのに」
「まあな……、でも陸以外は何にも思わないから」
「アルファ様の惚気だねえ、やだやだ」
俺がおどけて見せると、貴暁は歯を見せて大笑いした。
岸が優勝の盾を持って近寄ってきた。
「ほら、優勝できただろ」
盾を俺に持てと言わんばかりに、渡してくる。渡された盾はずっしりと重い。
「ほんとだ、お前すげえな。俺が心配することなかったな」
「精神は鍛えてるからね。でも嬉しかったよ、今日はいつもより気持ちよく弓を引けたのは宮原くんのおかげだよ。ねえ、優勝したお祝いとか、してくれないの」
「はあ? 欲張りだなあ、お前」
「キスでもいいけど、もっといいことしたいなあ」
「お前せっかく、袴姿かっこいいのにそんなこと言ったら魅力半減だぞ」
「あ、かっこいいと思ってんだ」
しまった、と思った瞬間、岸がキスをしてきた。まだあたりに人がいるかもしれないのに!
「お、お前なあ」
「早く帰っていいことしようよ」
耳元でそんなことを言われて俺はゾクゾクっと体が震えた。いやいや待て待て!
「あのさあ、お二人さん。僕らがいるの忘れてない?」
声が背後から聞こえて、振り向くと陸と貴暁が苦笑いしていた。俺は頭を抱えてしゃがみこんだ。
「よかったじゃん、みんな公認だね」
岸がニコニコしながら言う。こいつには恥じらいってもんがないのか!
前途多難。だけどこういうのもまあ、いいか。
【了】
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