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1.逃亡、そして居住の地
人目につきにくいと思って入った森の中は、空が曇っていたのもあって、とても暗い。少年――アルマは森に行くことには慣れていたが、迷い込むことを恐れていた。故に、あまり深い所へは入ったことはない。見慣れた景色の先にある一層暗い森を見つけると、アルマは立ち止まった。
「ここから、先は……」
思わず呟きながら、胸元に手を当てる。走った影響と、抱いている不安とで、心臓が大きく脈打っている。大きく暗い森の奥深く、異形の者が棲むと伝えられていた。ここから先は、異形の者の領域だと本能が恐怖を訴えている。
行ってはいけない。入ってはいけない。
幼い頃親に教えられた戒めが蘇る。
「でも今は……!」
今は、余程深い所まで行かないと、町の人間に見つかる可能性が高い。恐れは消えないが、背に腹は代えられない。逃げ出した時点で、帰る場所は無くなってしまったのだ。震える自身を叱咤しながら、森の奥へ恐る恐る進んでいく。
アルマは、焦げ茶色の髪に琥珀色の瞳を持った普通の少年だ。ただ森や野原に遊びに行くことが多く、町から離れた所に一人で住む老婆と仲が良かった。
きっと、それが運命の分かれ道だったのだ。
必死に森の中を歩きながら、頭の隅で考えていた。あの老婆が魔女だったとは思えない。本当に優しい老婆だったのだ。他者を呪っていたとは思えない。一体何がいけなかったのか。あの老婆と一緒に過ごしていたことか。「薬」の知識を貰ったことか。いずれにしろ、もう全て後の祭りだ。
老婆は火あぶりにされる。そして、死ぬ。
アルマにとっての「事実」はそれだけだ。
どれだけ否定しても、老婆が死ぬことに変わりはない。「魔女裁判」にかけられる人は、ほとんど死んでしまう。その事実は周知されていた。
火炙りにされてしまう老婆の最期を見ることはできない。町の住人は老婆と仲が良かったアルマにも疑いの目を向けたのだから。父は戦争に駆り出され、母は流行病で死に、アルマもまた独りぼっちだった。故に、庇う者もいない。
「ごめん、おばあちゃん……!」
零れる涙を拭い、森の中を歩く。老婆に謝りながらも、足を止めることはしない。
数時間前、老婆の家で走り書きを見つけた。そこには、アルマ宛の言葉があったのだ。
助けないで、逃げなさい――その走り書きで、老婆がアルマにも疑惑が向くと案じていたのだと知り、即座に行動に出ることにした。だから、必死に足を動かしている。見知った世界から逃げるために。
森の中をどれだけ歩いただろうか。森の中はとても暗くなってきた。歩くのもやっとの視界の中で、疲れを感じながらも、それでもひたすら歩いていた。
いつまで歩こうか。どこで寝た方が良いだろうか。そう考え始めたアルマの前が、突然明るくなった。森の中に、開けた場所があったのだ。月明かりが、煌々と辺りを照らしている。そして、予期しないものを見た。
「うそ……何で、こんな所に館が?」
半月より丸みを帯びた月が照らしだすのは、大きく古ぼけた館だ。白い壁に、紫の屋根と、黒く縁取られた窓に、大きく重厚な感じのする黒い扉。その外観は、どこか神秘的で、恐ろしげな雰囲気を醸し出す。
「まさか……いや、でも……」
幼い頃に告げられた話が蘇る――深い森の奥には、血を啜る異形の住む館がある、と。森の入り口で感じた恐怖が蘇る。異形に遭遇すれば、殺されるかもしれない。痛いのも怖いし、死ぬのも怖い。しかし、今は、町の人間からも追われる身なのだ。捕まれば、拷問にかけられ、殺される。アルマに他の道はない。
「今更……戻れない……!」
自分を奮い立たせて、扉の前へと歩き始める。半分自棄だった。老婆を助けに行くことなく、一人で逃げた自分を恥じていた。老婆を助けなかった以上、アルマは生きて、先へ進んでいくしかない。それが、老婆の想いに報いる、唯一の方法なのだから。
「……。」
唾を飲み込むと、大きく重厚な扉に手をかけて押し開く。ギギッと軋む音がして、扉は思っていたよりも簡単に動く。中には大きな玄関ホールに二つの対となる階段が壁伝いに設置され、間に大きな振り子時計が設置されているというのまでは分かった。中は月明かりが差しているものの暗く、上へ続く階段の奥までは見通せない。館の奥をもっとよく見ようと思って、館の中へと足を踏み入れた。
瞬間、扉が派手な音をたてて、ぴしゃりと閉まる。
「ひっ……!」
慌てて引き返し、扉についたドアノブを必死にガチャガチャ動かすが、扉は頑なに閉ざされてびくともしない。
「や、やだっ……なんで閉まるの!?」
込み上げてくる恐怖に駆られ、扉に縋り付く。その扉の硬質で冷たい感触は、焦りを更に募らせる。
「嫌だ……誰か……!」
「おや、お客さんかな?」
「――ッ!?」
いきなり背後から声がして、アルマは慌てて振り返る。最初に目に飛び込んできたのは、三本の蝋燭の火。そして、振り子時計の前に立つ青年の姿だった。暗くて、よく見えないため、分かる事と言えば色素の薄い髪色をしている事くらいか。青年は三本の蝋燭の乗った燭台を持ち、恐らく笑みを浮かべていて、そのままアルマに近づく。
「珍しいな、こんな森の奥に。何か用かな?」
「っ……!」
アルマは返事もできずに思わず後退るものの、背中には硬く冷たい金属の感触がして、更に切迫感に駆られる。
「おや、そんなに怖がらなくても……まあ、無理もないか。」
青年は苦笑したように言う。
「森の外は、色々荒れている様だからね。こんな森の奥に来るのは、とても苦労しただろうさ。いらっしゃい。歓迎するよ、お客さん。」
青年が、アルマの手を取った。そこまでしか記憶がない。
「ん……う……」
温かな雲に包まれている心地で、アルマは目を開けた。
「……。」
しばらくぼんやりとして、天井を見上げていた。だが、その天井がやけに高く、見覚えのないものだと気がついた途端、アルマは慌てて跳ね起きた。
「こ、ここは……?」
大きな窓からは眩しい日差しが差し込んでいて、辺りを見回せば、ロココ調の高そうな家具が配置されているのだ。どこかの貴族の家にでも、自分は迷い込んでしまったのかと混乱した。自分は一体どうなってしまったのか。もしや捕まったのでは――そう思ったとき、急にガチャリと音がして、ビクリと肩を震わせる。
ギイッと扉を開ける音がして、一人の青年が入ってきた。青年は白いワイシャツに黒いズボンを身に着けた服装をしており、その白い肌と色素の薄い髪色が目を引く。そして、青年の顔立ちは綺麗に整っており、色素の薄い瞳も美しいと思わずにはいられなかった。
「あ、起きたんだね。」
青年は起きているアルマに気がつくと、ニッコリと笑いかけた。その笑顔も綺麗に思えて、何となく落ち着かない。青年はアルマのいるベッドに近づく。
「昨日は急に倒れたから、心配したよ。熱は……」
「っ……」
青年はアルマの額に手を当て、顔を覗き込んだ。青年の綺麗な顔が間近に来て、アルマは少し狼狽える。顔が赤くなるのを感じ、言いようのない恥ずかしさに駆られてしまって、慌てて口を開いた。
「あ、あの……!」
「ん? 何だい?」
「……」
手を離して青年が笑うのを見て、言葉に詰まってしまう。色々訊きたいことはあるのに、青年がいるだけで緊張してしまうのだ。黙ってしまったアルマに青年は不思議そうな顔をしたが、しばらく思案した後に、何かを思いついた様な顔で口を開いた。
「そういえば名乗っていなかったね。ボクはルイス。この館で暮らしている。君の名前は?」
「ぼ、僕はアルマ……。」
少しどもりながら何とか名を告げたアルマは、不安気に青年――ルイスを見る。ルイスは嬉しそうに笑っていた。
「そうか、アルマくんというんだね……この森の奥には、あまり人が来ないからね……歓迎するよ。」
そう言うと、ルイスは再び不思議そうにアルマを見る。
「でも、どうしてこんな所まで来たんだい? ボクが言うのも何だけど、ここら辺は異形が棲む場所と言われている。普通の人なら、まず来ない場所だ。」
普通の人なら――その言葉に痛みを覚えた。
普通の人が、どうして――
「……」
じわりと目に涙が浮かぶのが分かり、下を向いた。だが、視界が暗くなるのと同時に、抱きしめられるのを感じて、慌てて上を向く。視線の先のルイスは、優しげな眼差しでアルマを見つめていた。
「我慢しなくていいんだ。辛いことがあったんだね。」
「っ……!」
限界だった。涙を堪えることはできずに、次から次へと溢れ出してくる。考えないようにしていた事が、沢山頭の中を過って、アルマの感情を、激しく揺さぶってしまう。理不尽な不幸に自分の卑劣さ。全部が嫌になり、アルマはルイスに縋り付いて泣きじゃくった。
「あ、あの……ごめんなさい……急に泣いたりして……」
しばらくして落ち着いたアルマは、いきなり泣き出した自分を恥じた。泣いてもどうにもならない。それは今までの経験から、よく解っていることなのに。だが、ルイスはゆっくりと首を横に振って、優しく言った。
「気にしなくていいよ。良かったら、ゆっくりでいいから、何があったか話してみてくれないかい。」
その優しげな言葉で、躊躇いながらもポツリポツリと、少しずつ何が起こったのかを話しはじめた。
いきなり魔女裁判に連れて行かれた老婆の事。老婆とは仲が良かったけれども、老婆から助けに来ないで逃げろと伝えられた事。アルマにも魔女疑惑がかかる可能性がある事。アルマは独りぼっちで、支えてくれる人がいない事。そんなことを、少しずつルイスに話した。
「そうか……大変だったんだね。」
最後までアルマの話を聞いていたルイスは、思いがけない事を言い出す。
「じゃあ、ここにいるかい?」
「……えっ?」
アルマは瞠目して、ルイスを見る。ルイスは、変わらず優しい笑みを浮かべていた。
「えっ、でも……迷惑が……」
「行く所がないんだろう? それなら、ここに居ればいい。これだけ広いと掃除も大変でね……他の住人が欲しかったところさ。」
「そう……ですか。」
確かに森を歩いて行っても、のたれ死ぬ可能性が高い。それは、とてもありがたい申し出だ。
しかし館に留まってしまうと町の人間に見つかった時の事が心配だ。ルイスにも魔女疑惑がかけられてしまうかもしれない。そんな不安を掻き消す様に、ルイスは微笑む。
「さっきも言ったけど、こんな所に人は滅多に来ないんだ。見つかりっこない。騒ぎが収まるまで、いや、騒ぎが収まってからも、好きなだけ居ればいい。ここは、隠れ家にするには絶好の場所だ。」
「……。」
アルマは目を閉じて考える。確かに人が来ることはないだろう。数時間森の中を歩いた自分には、そのことが身に染みて解る。それに、誰かがいる家に住めるというのは、アルマにとって、とても魅力的な事だった。正直に言えば、今まで心細かったし、寂しかったのだ。誰かが一緒にいるということが、アルマに対する決定打になった。
「えっと、じゃあ……ここに居させてください。」
ルイスの目を見て、はっきりとお願いをする。ルイスは満足そうに笑うと、アルマの頭をなでる。
「うん。決まりだね。アルマくん、君を新たな住人として歓迎するよ。それなら、まずは君の部屋を用意しないとね。あと、今日の夜は、御馳走を用意したいな。折角君が居てくれるんだから、お祝いしないと。」
一通り計画を述べたルイスは、少し困ったように笑う。
「まあ、人手が足りないし、ちょっと時間はかかるけどね。」
その言葉を聞いて、アルマはおずおずと申し出た。
「えっと、あの……手伝います。」
「……君のための準備だから、本当は君の手を借りない方が良いんだけどね、お願いしようかな。色々家具や調理場の使い方を教えておきたいし、ね。」
ルイスは笑うと、アルマの手を取った。
「もう動けるかい? 早速だけど、君の部屋の掃除からだ。頑張ろう。」
「はい!」
アルマはルイスの手に引かれるまま、ベッドから降りて歩き出した。
掃除道具は一通り揃っていたため、アルマはとてもよく働いた。ルイスが驚く位には丁寧で速い仕事ぶりで、予想していたよりも早く、アルマ用の部屋の掃除が終わった。
「驚いたな……君、結構家事とかやっていたのかい?」
「はい……母が病気になる前から手伝いはしていたんですけど、母が病気になってからは母が早く治るように、って毎日家事をやっていました……結局、母は亡くなってしまいましたけど。」
「お母さん思いだったんだね。きっと、お母さんも喜んでいたと思うよ。」
ルイスは力なく笑うアルマの肩を軽く叩いた。
「森の外では流行病と戦争で、かなりの死者が出ていると聞いたよ。君自身、大変だっただろう。」
「……ええ、まあ。」
一瞬、自分が見捨ててしまった老婆のことが、頭の中を過ってしまい、俯いてしまった。そんなアルマに、慰めの言葉が降ってくる。
「……恥じることはないさ。皆、生きるのに必死なんだ。今は考える余裕があるだけ、マシだと思えばいい。」
「……はい。」
なおも俯いたままのアルマの頭をルイスはなでる。
「埃も大分払えたし、お風呂にも入って来るかい? 多分、スッキリするよ。」
「お風呂……ですか。」
アルマは瞼を瞬かせて、ルイスを見た。戦争が起こっている今、水は自由に使えないため、風呂に入る機会は減ってしまっていた。ここ数日も、風呂に入れていない。それを思い出した途端、無性に身体を洗いたくなった。
「お風呂……借りてもいいんですか?」
「うん。構わないよ。身体は、綺麗にしておきたいよね。折角お祝いするんだから。」
「そ、そうですよね……。」
風呂を強請ったことを恥ずかしく思いながら、ルイスの厚意に甘えることにしたのだった。
「お湯を、湯船に貯めながら入ればいいからね。使い方は解ったかな?」
「えっと、大体は。」
「着替えとバスタオルを用意しておくから、君はゆっくり入っておいで。脱いだ服は籠に入れておけばいいから。」
「はい。ありがとうございます。」
アルマが頷くと、ルイスは笑って脱衣所から出て行った。アルマはホッとため息を吐くと、服を脱いで、風呂場へと入る。青タイルが敷き詰められた風呂場には、大きな猫脚バスタブが置いてあり、壁には何の形か解らないながらも、綺麗な模様が描かれていた。
蛇口を捻って軽くシャワーを浴びると、石鹸とタオルで泡を作る。入る機会が減ってしまった風呂だから、丁寧に身体を洗う。髪も洗ってしまうと、もう一度軽くシャワーを浴びた。一度湯を止め、猫脚バスタブの中に入る。バスタブに湯を貯めるために、また別の蛇口を捻って湯を出す。
「贅沢だなあ……。」
バスタブに身体を預けて独り言ちる。戦争中なのだから、町では水もガスも電気も制限されている。消灯時間もあるし、湯も自由には出ない。故に、戦争中であるのにも関わらず、これだけ人里離れた森の中にある館で、水もガスも不自由していない事に、少なからず驚いたのだ。
「……。」
ある程度湯が貯まり、蛇口を捻って湯を止める。当てもなく森を歩いたが、人の居る館に辿り着いたのは、本当に運が良かった。ルイスも優しく、アルマと共に居てもいいと言った。
こんな自分が一緒でも――そう思ってアルマは自嘲する。父を死者の多い戦争に行かせて、母を病で死なせて、仲の良かった老婆を魔女裁判から助けることなく、見捨ててしまった自分が、どうしようもなく嫌いだ。
だが、老婆の願い通り自分は生き延びなければならない。どれだけ嫌いでも、命を投げ出すことがあってはいけない。そう考えながら湯の中で膝を抱く。アルマは、未熟だ。少なくとも、大人を支えるには力が足りない。幸か不幸か、アルマはそれを理解している。それでも、望まずにはいられないのだ。大切な人を、大事にしたいと。
「アルマくん、アルマくん。」
「う……」
アルマは肩を揺さぶられるのを感じて目を開けた。目の前にルイスの端正な顔があって、驚きで思わず身を引こうとする。だが、バスタブの中であるのを忘れていたため、思いっきり体勢を崩して湯の中に滑り込んでしまった。
「うわっ、大丈夫かい?」
急いで、ルイスがアルマを引っ掴んで、湯の中から顔を上げる。アルマは顔についた湯を拭い、ルイスを見上げた。心配そうなルイスからは状況を把握できず、首を傾げる。
「えっと……」
「お風呂の中で寝るのは危ないよ。少し、入っているのが長いみたいだから、様子を見に来たんだ。」
「そうですか……。」
ルイスが説明しながら、アルマの頭をなでる。何となく申し訳ない気分になって、アルマは頭を垂れた。
「あ、れ……?」
浸かっている湯が薄桃色になっているのに気がついて、再び驚いてしまう。甘い花の香りもして、思わずルイスに問いかけた。
「色が違う……何で?」
「あ、うん……驚かせようと思ってね。バラの、オイルを入れてみたんだ。良い香りだろう?」
「はい……。」
楽しそうに言うルイスを見て、何だか少し気分が晴れた。
「とても綺麗です。」
ルイスはニッコリ笑って頷いた。
「うん。喜んでもらえたなら嬉しいよ。でも、逆上せると危ないから、もう上がった方が良いんじゃないかな。」
「そうですね……。」
「じゃあ、籠の横にバスタオルと着替えを置いたからね。僕は脱衣所の外で待っているよ。」
「はい……。」
ルイスが風呂場から出てから、アルマはバスタブを出る。脱衣所に出れば、ルイスの言ったとおりに、バスタオルと着替えらしき服が置いてあった。バスタオルで髪や身体を拭くと、着替えに手を伸ばす。全て身につければ、ルイスの着ていた様なワイシャツと黒ズボンといった服装になる。脱衣所を出れば、ルイスがアルマに気がついてニッコリと笑った。
「うん。似合っているよ。ボクの子どもの頃のお古だけど、ぴったりみたいだね。良かった。実はね、君を待っている間に晩餐の準備を進めていたんだけど、やっぱり使い方も知ってほしいからね。一緒に調理場へ来てくれるかい?」
「はい!」
アルマはわくわくして、勢いよく返事をした。
「わあ……!」
調理場に連れられ、辺りを凝視した。石造りで少々古びている印象はあるが、アルマのいた家のものよりも広く、作業しやすそうな空間である。コンロには鍋が乗っており、コトコト何かを煮込んでいるのが分かる。良い匂いが調理場を満たしていて、急にお腹が減るのを感じた。証拠に、グーとアルマのお腹が鳴る。
「……。」
思わず顔を赤くするが、ルイスは楽しそうに笑った。
「少なくとも、昨日倒れてから、君は何も食べてないし、無理もないよ。食べるには、もう少し待ってもらわないといけないけど、調理場の使い方を覚えるためにも、一緒に食事を作ろうか。」
「はい、頑張ります!」
アルマは満面の笑みで頷いた。
ルイスとアルマが作った料理は、アルマが知らないものだった。だが、ルイスと話しながら料理を作るのが楽しく思えたのもあって、あっという間に工程が終わって、後はオーブンで焼くだけとなった。
「焼いたら完成だよ。お疲れ様。棚からも、料理を出していこうか。食器を出していくから、盛り付けを頼むよ。」
そう言いながらルイスはいくつか棚から料理を出して、食器も出していく。ふと、窓から斜陽が見えて、もうすぐ夜が来ることが分かる。アルマの視線に気がついたのか、ルイスがこんなことを言う。
「照明器具がほぼ使えないから、急がないといけないね。暗い中で作業するのは危ないから。」
「えっ……?」
アルマは不思議に思ってルイスを見る。ルイスは困ったように笑った。
「実はね、照明器具が壊れているんだ。流石に修理は骨が折れるから、そのまんまなんだよ。町から距離があるから、なかなか手が付けられなくてね。蝋燭やランプはあるし、一応明かりはあるんだけどね。」
「……仕方ないです。森の奥にあるんですから、なかなか頼み辛いでしょう。僕は大丈夫です。」
アルマは笑みを浮かべつつ、トングを持って料理を盛り付けていく。
「そうかい?」
「そうですよ。」
返事をしながら、アルマは楽しく作業を進めていく。
「……。」
だが、アルマは気づかなかった。ルイスが不穏な笑みを浮かべていたことに。
食堂として使っている部屋のテーブルに、食事を並べた。全ての準備が整い、蝋燭に火を灯して、二人にしては少し広いテーブルへ椅子を持ってきて座る。外は闇に覆われ、館の中も暗くなってきたが、アルマは恐怖も焦りも感じていなかった。感じる必要もなかった。
「お腹空いたね。さあ、食べようか。」
ルイスは促す様に手を差し出し、アルマに微笑みかける。空腹だったアルマは、流石に待ちわびた様子で手を合わせ、祈る仕草をする。
「じゃあ、いただきますね。」
「どうぞ。僕もいただこう。」
具沢山のスープが入った器を手元に引き寄せ、スプーンでスープを掬う。口へ流し込めば、その美味しさと温かな温度が身体に満ちる様で、アルマは瞠目した。
「美味しい……!」
「良かった。手間をかけた甲斐があるよ。スープは自信作なんだ。」
ルイスもスプーンでスープを飲み、ニッコリと笑った。
「美味しいね。」
「はい!」
アルマは、久しぶりに楽しく夜の食事を摂った。両親が傍に居なくなってからは、大体一人で食事をしていたのだから、当然と言えば当然だった。ルイスの料理は、今まで食べたことのある料理より美味しく思えて、何かしら込み上げてくるものがある。それを誤魔化す様に笑いながら、アルマは食事を続けた。
「どれも美味しかった……ありがとうございます、ルイスさん。ご馳走様でした。」
「喜んでもらえたなら良かった。」
出ていた料理を食べ終え、両手を合わせ、お辞儀をした。ルイスは嬉しそうに笑って、アルマを見る。
「アルマくんが居てくれると、賑やかになりそうで楽しみだな。あ、後片付けもしないとね。手伝ってくれるかい?」
「もちろんです!」
アルマは笑って頷いた。
ランプを持ちながら、二人して食器を調理場に運んで、流し台にある洗い桶の中に入れる。全ての使用済み食器を入れると、蛇口から少し水を出してルイスは言った。
「この後の片付けは、ボクがやるよ。アルマくんは疲れただろうし、もう寝なよ。」
「えっ、でも……」
アルマが戸惑いながらも、手伝う気なのが見て取れて、ルイスは苦笑いしながら言う。
「君に手伝ってもらってしまったけど、君のための歓迎会でもあったんだ。後片付けを最後まで、って言うのも何か変じゃない? それに、アルマくん眠そうだよ。」
「そんなことは……」
そう言いながらも、アルマは空腹が満たされたおかげで眠気を感じていて、あまり頭が回らないでいた。ルイスは苦笑してアルマの頭をなでる。
「眠そうな目で言ってもダメだよ。説得力がない。ほら、連れて行ってあげるから、もう寝よう?」
「……そうですね。」
ルイスの優しい瞳を見て、意地を張るのも失礼だと思い、素直に寝ることにしたのだった。
宛がわれた部屋に向かい、ベッドまで連れて行かれると、大人しく布団を被って横になる。ルイスは優しくアルマの頭をなでた。
「春先でも、まだ夜は寒いからね。温まって、お休み。」
「はい、お休みなさい……。」
辛うじて返事はできたが、心地よいベッドの中で眠気が更に押し寄せてくる。すぐに、アルマは眠りの海へと身を預けたのだった。
「ふふ……久しぶりだなあ……。」
ルイスの細めた瞳が、金色に怪しく光るのを、アルマは知らなかった。そして、これからも知らないはずだった。
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