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第22話

ぐちゃぐちゃになったふたり分の服を脱衣場で脱ぎ、俺たちは汗や体液でどろどろになった身体を、隅々まで洗い、顔のメイクをしっかりと落とした。 何も考えずにラブホテルに入ったので、替えの服や下着、靴などがなかった。取りあえず、朔ちゃんのワンピースが比較的汚れがマシなので、簡単に手洗いしハンガーに吊るして乾かした後、それを着た彼が俺の店に戻って、自分のスーツ一式と俺の私服を持って来てくれると言う。部屋は朝まで取ってあるので、今夜はここで寝泊まりすることになった。 朔ちゃんは、ひどくご満悦だ。体力が底をつき、へとへとになった俺を甲斐甲斐しく世話している間、ずっと笑顔だった。まるで全人類の幸福感を彼が独り占めしているかのように壮大で、かつ、どろりと溶け出したソフトクリームのように甘ったるい、そんな表情だった。 ……マヌケ面と言っていいと思う。泡まみれの自分と俺の身体をシャワーで十分に洗い流したのち、彼は俺を抱きかかえて、大きな湯船にざぶんと浸かった。 背後からやんわりと抱きしめられ、しばらくは凪いだ沈黙が流れていたが、やがて朔ちゃんが欠伸を噛み殺しながら口を開いた。 「別にマンネリだったわけじゃねぇけど、すげぇ燃えたな」 「……そうだね」 「声に心がこもってねーんだけど」 「気のせいだよ」 くたりと朔ちゃんにもたれかかり、大きくて深いため息をつく。柑橘系入浴剤の香りとぬるすぎず熱すぎないお湯、それから逞しい朔ちゃんの腕に包まれ、眠気がむくむくと膨れあがり、うとうととする。ひどく疲れているけど、すごく気持ちいい。一生このままでいたいくらいだった。 「さっきまであれだけ熱烈だったのに、何でそんなに冷めてんの?」 「冷めてない、疲れてるだけ」 「ならいいけど」 体力馬鹿な朔ちゃんはそう言って、上機嫌に鼻歌を歌う。ひと昔前のラブソングだった。……楽しそうで何より。瞑目しながら、無駄に上手な彼の歌にぼうっと耳を傾け、夢とうつつの間を彷徨い始める。 「――……女装、やって良かったよ」 「……うん?」 つと、耳に吹き込まれるように聞こえた声に、意識はやおらうつつへと戻される。朔ちゃんの肩に頭を預け、彼を見上げれば、焦茶色の瞳と視線が重なった。湯気でふやけでもしたのか、それとも彼も眠いのか、垂れ下がったまなじりをとろんとさせながら目を細めていた。 「ちょっとはお前の気持ちが分かったし」 「俺の気持ち?」 朔ちゃんがあごを引いた。 「何つーか、男なのに女の格好する倒錯感がやみつきになるんだろうな。後、それがお前のアイデンティティになってたりするんだろうな、とか」 「……へぇ」 ただただはしゃいでいるだけだと思っていたが、俺の在り方について、さらに深く知ろうとしてくれていたことが嬉しかった。決して短くはない付き合いで、一生を共に過ごすと誓った間柄で、日々の生活を通して互いのことを散々知り尽くした気になっていたが、実はまだまだ知らないことばかりなのかも知れない。そう思うと、何だか無性にドキドキしてくる。おのずと面映ゆく笑ってしまった。 そんな俺に対して、朔ちゃんも笑みを深くし、触れるだけの瑞々しいキスを落としてくる。何度となく唇を重ねても、一向に飽きることなく9年の年月が流れた。これからもそうであってほしいと思った。 「じゃあまた、女装したいと思う?」 朔ちゃんと向き合い、彼の膝に跨って太い首に両腕をふんわりと絡める。しっとりと吸いつく素肌の感触が心地よい。口の端を左右に広げて訊ねれば、朔ちゃんはゆっくりとかぶりを振った。 「いや、もういい」 「あ、そうなんだ」 朔ちゃんが、意地悪くにやりと笑う。 「俺の奥さんは、男らしい俺が好きみたいだし? ……いだっ!」 「調子に乗らない」 先刻の情事で、何かを感じ取ったのだろう。それを踏まえての発言だと分かると、照れくさくて思わず手が伸びた。頬を抓ってやれば、朔ちゃんの顔が歪む。それから、俺は口をへの字に曲げながらも、爪跡がついた彼の頬を撫でた。 けれども、その通りだった。俺は、見た目も中身も男らしい朔ちゃんが好きだ。年下だけどしっかりしていて、判断力があって、俺の手を力強く引いてくれる頼もしい彼に、安心感を覚える。うるさいし子供っぽくもあるし、スケベだし意地悪だけど、どうしようもないほどに夢中にさせられている。惚れた欲目に違いないが、この世の誰よりも格好良くて素敵な旦那さんだと思う。 ……けど―― じっと朔ちゃんの顔を見つめる。涙目になりながらもぶすっとしていた彼が、「何だよ」とややぶっきらぼうに訊いてくる。……うん、とひとりで納得して破顔し、俺は口を開いた。 「やっぱり、そのままの君が一番かわいいよ」 「えー、何だよそれー」 不満げに唇を尖らせながらそう言って、朔ちゃんはすっぽりと俺を抱きしめた。「そんなことないだろー」と言いたげに、湯船をちゃぷちゃぷと波打たせながら身体をゆらゆらと揺らされる。そんなところもかわいくて、くすくすと笑いながら、俺は彼の丸い頭をあやすように撫でる。そしてぴったりと彼に寄り添い、胸のうちに満ち満ちる柔らかな幸福感を噛みしめた。

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