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前編

 機嫌が悪い。  ミハイルの機嫌がすこぶる悪いのだ。  理由は分かっている。  昨日、野外レストランで、ばったりと行き合った男.....彼のことで臍を曲げているのだ。  男の名は、ユージーン-オーウェン。俺の傭兵時代の知り合いだ。俺と同じ部隊にいて、バディを組んだこともある。  彼は少し年上の気のいい男で、傭兵の暮らしが長かった。彼の機転で何度も生命を救われたことがある。 『いいか。まず自分の生命を守れ。自分の生命も守れないヤツに他人を守ることは出来ないからな』  彼はともすれば血気に逸って飛び出しそうになる俺を良く抑えた。俺よりも小柄だが力は強かった。彼のお陰で俺は生命を永らえ、ミハイルとの再会を果たすことが出来た。当然ながら恩義は感じているし、俺の『秘密』を知っている唯一の男だ。 「何度も言ってるだろ。彼は俺の戦友だ。俺の姿形は変わっちまったけど、共にイラクでIS 相手に死に物狂いで戦った仲だ。無事に生還できたことは喜んで当然だろ?」 「それは分かってるが......軍隊は、男ばかりだし、本当に何も無かったのか?」  ミハイルが上目遣いに俺を睨む。が、無いものは無い。 「無い!......だいたい俺は元々ヘテロなんだ。男とキスするとか、寝るとか......お前が初めてだし、お前以外したことない!」  プライベート-ビーチの、独立した、周りに人気の無いコテージでなければ、決して口に出来ない台詞だ。それだって周囲に何気なくガードに来ている邑妹やイリーシャやニコライに聞かれているかもと思うだけで、顔から火が出そうだ。 「本当だな?」  ミハイルはにこりともせず、相変わらず険しい顔で、じっと俺をねめつける。 「本当だって!.....疑り深すぎるぞ、お前!」  俺は半ばキレかかり、そっぽを向こうとしたところを、手を掴まれ、ぐい.....と引っ張られて、ミハイルの膝の上に尻餅をつく格好になった。 「ミーシャ!」  眉をつりあげる俺の唇を啄み、息が止まるかと思うくらい、ヤツの両腕が俺を抱き締める。 「ラウル、お前と十年以上も離れて、私は心配でたまらなかった。......誰か私以外の人間がお前に触れたかもしれないと思うとたまらんのだ。分かるだろう、ラウル」 「あのなぁ......お前」  俺はライオンに羽交い締めされた草食動物の気分だった。が、気がつくと俺をじっと見上げるとヤツの瞳が揺れて、じんわりと水気を帯びてきた。俺は小さく息を吐き、できるだけ優しくミハイルの髪を撫でた。   「レイラとはあったけど.......俺は男だし。他はない。神にも仏にも誓って、少なくとも他の男とは無い」 「ラウル....」  ミハイルのライオンの胸毛に頬を擦り寄せ、宥めすかす。昔からミハイルは何か心にかかることが出来ると、目が潤む。他の奴らはあまり気づいていないが.....俺はその度にミハイルの腕や手や髪をつとめて何気なくだが、触れたり撫でた。するとヤツは安心したように眼をほんの少し細めるのだ。 「じゃあ、私の我が儘を聞いてくれるか?」  ヤツは機嫌が直ったらしく、今度はすこぶる甘い声で俺の耳許で囁いた。唇の端をほんの少し歪めて.......。  俺は悪い予感しかしなかった。  

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