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第1話

 季節は無慈悲に平日と同じ間隔で時を刻み続け、あっという間にあんなに楽しみに待っていたゴールデンウィークを通り過ぎた。まるで夕立のようにそれはもう一瞬で。  そしてそれに伴い、人々は憂鬱な日常へと足を踏み入れることを躊躇ってはいけないと自分を奮い立たせ、「平日に行かなければならない場所」へ渋々歩みを進めていた。  神宮寺慈恩(じんぐうじじおん)以外は。  慈恩には「平日に行かなければならない場所」がないのだから、月曜日の真っ昼間から自室に閉じこもってゲームしていたってなんの問題もない。その部分だけを切り取れば、の話だけれど。  慈恩は今年で成人を迎えた。つまりは、高校を卒業してから一年と数ヶ月はとうに過ぎているということになるだろう。彼は留年などせずきっちり無遅刻無欠席で高校生活を終えていたはずだ。しかも、確か彼は県内で最も偏差値の高い私立高校に通っていた。  つまりはエリート「だった」のだ。   なぜ「過去形」で話すのか?   それは、今現在の神宮寺慈恩にそんなエリート時代の面影など一切残っていないからである。  慈恩は現在二浪ど真ん中であり、本来ならば勉学に励まなければならない立場だ。しかし今の彼の瞳に映るモノは、参考書でも過去問題集でも英単語帳でもなく、あらゆる場所という場所にペンキを塗りたくるキャラクターだった。必死な形相で液晶を見つめているけれどさ、その目で見なければならないモノは他の何でもなく「現実」でしょうよ、あなた。  つまりは。悲しきエリート崩れの神宮寺慈恩は現在、ただの自堕落なニート男と成り下がってしまったということだ。  まあきっとそんな彼に「現実」を突きつけたとしても。彼は無気力にタバコなんか咥えながら、あるいは紙パックの芋焼酎なんか啜ったりしながらこう言うだろうな。 「人生は、俺にとって難易度が高すぎる」  と。自分自身を嘲笑いながら。  

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