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序章

 雪がはらはらと舞う夜の海。  灰色の空に今は真っ黒で、明かりもない海辺で一人(たたず)む君を見たとき、その泣いている顔がとても綺麗だと思った。  自宅から会社までの距離は徒歩なら往復三十分。自転車ならで約十五分。車なら十分もかからないだろう。自宅は海沿いに佇む小さな古民家で、そこで藤堂大地(とうどうだいち)は今年七十になる祖母と共に暮らしている。  この片田舎に暮らし始めて早十五年近くになるかもしれない。中学の時、両親が祖母に自分を預けた。元々は都会っ子で、有名な私立中学に入学したものの、ある事件をきっかけにこちらへ住むようになった。  祖母の家は瀬戸内海を眺められる場所で、毎年夏になると海水浴を楽しむ人達で賑わうが、それを過ぎたらとても静かな場所だ。  大地はこの土地を気に入っている。  元々都会の生活が肌に合わなかったのか、この土地のように穏やかな気候が合っていたのかはわからない。  大地自身この土地を気に入っており、こちらに移り住んでからは毎日を楽しく過ごしていた。大学だけはこの地を離れたが、就職を機に戻って来て、今は市役所に努めている。  季節は冬。  瀬戸内の地域は基本的には温暖な場所で、冬でも滅多に雪など降らないが、今日は昨日からの気圧低下でとても寒く、珍しく雪が降っていた。  さらさらとして湿気を含んだ雪を手のひらに乗せてみたが、この調子ならば明日積る事もないだろうと思った。 雪が降って嬉しいのは子供だけで、大人は嬉しくない。特に大地の場合は通勤に利用しているのは自転車だ。積って自転車が使えないのだけは勘弁してほしいところだ。  毎日は穏やかに、そして緩やかな日々が過ぎている。何の変わり映えもない毎日の中、大地は朝九時から夕方の五時まで仕事をし、それから買い物などをして帰宅する。  通り慣れた海岸沿いの道はラッシュ時のピークを境に、徐々に車の往来が少なくなる。深夜になれば、まったく車の往来がなく、とても静かな場所だ。  今日は少し残業をしたので、帰宅が六時過ぎになってしまった。空はもう真っ暗で街頭がポツポツと灯されているだけだ。  早く帰宅しないと祖母が待っている。白い息を吐きながら、首にマフラー、手には手袋、数年前に購入したコートを着て帰宅を急ぐ。  こんな雪の日なので、道を通る人はおらず、ラッシュも過ぎたので車が度々通る程度だったが、いつもの道を自転車で通っている時、大地はふと海岸の方に人がいたのを見かけたのでそちらに目が向かった。  歳は二十代前半くらいだろうか?男で、大地よりも年下なのは見てわかった。  茶色い髪に薄手のコートは、暗くてよくわからないが、紺か黒だろう。手袋やマフラーはしていない。よくこんな日にあんな恰好でいられるなと思った。  いつもならそのまま通り過ぎてしまうが、大地は自転車を止め、吸い寄せられるようにして青年を見つめた。横顔しかわからないが、青年はなかなかに整った顔立ちをしている。だがその表情はとても悲しそうだった。  辛い、悲しい、助けてと言っている風にも感じられ、大地は目を離せないでいる。すると青年の頬に銀に煌きらめく筋が目から流れた。  きっとこの青年には悲しい事があったのだろう。けど大地はなぜかその涙がとても綺麗なものに感じられた。  これが青年――(ゆう)との出会いだった。

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