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Act.1優-2
大地の後ろよろしく歩く優。どれほどの時間歩いただろうか?そう長くも短くもないはずだ。大地の務める市役所はこの近辺から歩いて二十分もかからない。海辺から歩いても十分ほどだ。ならそこを中間地点に考えても、大地の自宅までは五分くらいで到着しただろう。
大地の家は平屋建ての古民家で、ドアも引き戸。縁側と小さな庭があって、庭には何かの花だろう。暗くてよく見えないが、赤く小さな蕾がいくつもあった。今は雪が降っているので、雪が赤い花にほんのりと積り綺麗なグラデーションを作っている。
海岸沿いだが、少し奥まった所になるので、さほど潮風の影響はないのだろう。木材もさほど痛んだ様子はない。
「優君入って」
大地に促されるまま、ガラガラと開いたドアの前に行き中に足を踏み入れた。さすがは古い家だけあって、中に入っても寒かったが、今まで外にいた分、幾分 暖かく感じられた。
「ただいまばあちゃん」
靴を脱ぎ少し高い段差を上る。板張りの床がギシギシと音を立てる。
廊下の向こうからひょこりと白髪交じりの老人が顔を見せた。この人が大地の祖母なのだろう。とても優しそうな人だと思った。
「お帰り大地。そちらの方は?」
「この子は優君。しばらくここに置きたいんだけどいいかな?」
「構わないよ。でも珍しい事もあるんだね。大地がお友達を連れてくるなんて」
別に友達でもなければ、ほんの数分前に出会ったまったくの赤の他人だ。だが面倒なので否定せず、優はぺこりと頭を下げた。
祖母の名前はスミレと言うそうで、今年七十になるらしい。この家には大地とスミレ以外いない。両親とは別々に暮らしているのだろう。特に気になりもしなかったので優は聞くこともなかった。
「そんなとこに立ってたら寒いでしょ?こっち来て炬燵 に入っていなよ」
呆然と立ち尽くしていた優を大地は居間の方に通した。そこには炬燵とファンヒーターがあり、炬燵の上にはみかんがあった。これだけ見ると古き良き日本の住まいという感じがする。
「僕は着替えてくるから待ってて」
「はぁ……」
所在をなくした優は大人しく座り、炬燵の中に足を入れた。炬燵の中はとても暖かく、冷えた足や膝をじんわりと温めてくれた。
「優君はお茶でいいかしら?コーヒーがよかったらそっちにするけど」
「お茶でいいです……」
居間に顔を出したスミレは、優の希望を聞くと台所へ向かった。台所と居間の間にはリビングがあり、扉もなく吹き抜けになっているので、スミレが台所でお茶を用意する姿が見れた。すると後ろを向いたままでスミレが声をかけてきた。
「ごめんなさいね。外寒いのに、家な中も寒いでしょ?」
「いえ、全然平気です」
たしかに寒いが、外よりは全然暖かい。むしろ優は家の温度よりも、見知らぬ人物に対して警戒することなく親切にしてくれる大地やスミレの方が暖かい人間ではないかと思った。きっとスミレの影響だろう。大地があんなに馬鹿親切なのも。
「ごめんね優君。寒くない?」
上下ジャージ姿になって現れた大地に優は「平気です」とだけ答えた。
「ばあちゃん。後は僕がやるよ」
「大丈夫だよ。それに夕飯まだでしょ?」
「うん。それも僕がやるからいいよ」
「それじゃお茶だけは持っていくから、夕飯はお願いね」
「わかったよ。優君も食事まだだよね?」
「えっ……あっ」
突然会話を振られたので優は困った。たしかに朝から何も食べてない。けどお腹が空いてるかと聞かれたら空いてはいなかった。大地は優の答えを待つまでもなく言ってきた。
「今から作るから優君も食べて行きなよ」
「……はい……」
断ろうとも思ったが、大地は作る気満々だったので、結局断れなかった。
台所から離れたスミレは、おぼんに急須と茶碗を乗せて炬燵に座る優の元にやって来た。
とくとくと急須からお茶を注ぎ、茶碗を優の元に置いた。茶碗からは香ばしい茶葉の匂いがした。
「あ、ありがとうございます」
「いいえ。これくらい気にしないでね」
目元と口元いっぱいに皺を刻むスミレはどこか嬉しそうな感じがした。
優はお茶をずずっと飲みながら黙っていたが、特にスミレが話しかけてくる事も、料理中の大地が話しかけてくる事もしなかった。ほんの少しだが落ち着いた空気に感化されて自分の気持ちも幾分落ち着いていた。
こういう時にあれこれと聞かれる方が辛い。なので二人が醸し出す程よい距離感が今の優にはちょうどよかった。
しばらくすると台所から食をそそる匂いがしてきた。その匂いに刺激され、先ほどまで空腹感のなかった優の胃がぐるぐると音を立てた。
「あら、お腹すいてたのね」
「すみません……」
どうやらスミレに聞こえたらしく、スミレは目を丸くして優を見た。恥ずかしいと思った。
「気にしなくてもいいわよ」
「はい……」
消え入りそうな声で言いながら俯いた。
黙ったまま俯いていると、目の前にお椀に注がれたほかほかの白いご飯と、ほうれん草やおふ、わかめの入った味噌汁が置かれ、テーブルの中央には魚の煮付けや煮物が置かていた。
「たいしたものないけど、優君嫌いなものとかある?これで足りる?」
「大丈夫です」
「そっか。なら夕食にしようか」
炬燵に足を入れた大地が優を見てにっこりとほほ笑んだ。こうして三人は「いただきます」と言って食事をする事になった。
いただきますと言ったのはいつ以来だろう。家庭料理というものがどんなものか知らない優。この絵に描いたような食卓を新鮮と感じ、なんだか気遅れしてしまった。
「それにしても優君は綺麗な顔をしてるね」
「はっ?」
一瞬スミレが何を言っているのかわからなかった。
綺麗?自分が?
今までその逆の事なら言われてきた。なのでスミレの言葉に「ありがとう」とも「そんな事ないです」とも言えず、ただ茫然としていた。
「色も白くて肌も綺麗で、テレビに出てくる人みたいよ」
「そ、それは大げさですし間違ってます」
「どうして?」
「だって俺……男なのに色白でひょろいし、釣り目で目つきが悪いのに……」
自分の評価をつらつらと言葉にした優は、二人が黙り込んだのでしまったと思った。空気を読まず自分の事を述べてしまった。すると大地が優に微笑みながら言った。
「優君は綺麗だよ。別に体系もおかしくないし、澄んだ目もしてる。僕もばあちゃんと同じ意見だよ」
「は、はあ……」
真っ直ぐな目でそう言われ、優は何も言えなかった。
自分の容姿なんてはっきり言って嫌いだ。どことなく中性的。そして表情がほとんど出ないからか、不機嫌そうにも見える。笑えばいいのにと言われても、笑い方を知らない。
だから自分の顔を鏡で見る事も少ない。
「優君。食事が終わったらお風呂入りなよ」
「へっ?」
「ずっとあそこにいたから身体が冷えてるでしょ?ばあちゃんはもうお風呂に入ってるし、僕は後からいいから」
自分の事に触れてほしくないのが大地に伝わったのだろうか?大地は話を変えてくれたが、よそ様の家の風呂まで借りていいものか正直困惑した。すると追い打ちをかけるようにスミレも「入りなさい」と言ったので、優は食事を終えた後に風呂に入る事にした。
平屋建てのこの家の廊下は一本だけで、それなりに長い。玄関から入って左手に居間やリビング、台所と、スミレの寝室があった。右手にはトイレや脱衣所、風呂があり、大地の部屋と昔祖父が使っていたという空き部屋が一室、そして物置として使っている一室があった。
風呂はそこそこの広さがあり、高齢のスミレの為リフォームをしたらしく、寒さは感じられなかった。丸石の床を歩き、浴槽につかると、疲れや冷えなどが一気に吹き飛んだ。お湯には柚子の入浴剤が入れられており、柚子の香りが鼻腔をくすぐった。
「なんで俺ここで落ち着いてるんだろ?」
この家は暖かい。住んでいる人間もだが、まとっている空気そのものが違う。まるで太陽のような家だ。今は冬だが、春になると今は締め切っている縁側に座ってぽかぽか日向ぼっこをするのも気持ちいいのかもしれない。
大地とスミレがそうしている絵を想像してみても、あの二人にはとても似合っている。だが自分はそうじゃない。自分はこの家にふさわしくない人間だ。さっさと出なくてはいけない。
けどどこへ……
そんな事を考えていると、浴室の扉がコンコンと音を鳴らした。
「優君?着替えないだろうからここに置いておくね」
えっ?と思った。まさかここまでしてもらうとは……しかも着替えと言うことは、自分はここに泊まるという事だろう。まさかの出来事だ。
断ろうと思い、急いで風呂を上がった優は、飛び出すかのように扉を開けた。
「優君?」
「あの、俺そこまでしてもう道理ないんで」
素っ裸で大地と対峙した優が必至に訴えた。すると大地は置いてあったタオルを優の頭に乗せて、わしわしと優の頭を拭いた。
「ちょ、ちょっと!」
「そんな恰好じゃ風邪引くよ。ほら、上がるならちゃんと水気を拭いて」
「だ、だから!俺はここに泊まるつもりないし……!」
「じゃあちゃんと家に帰れる?行く場所あるの?」
あぁ、また夕方の続きになってしまったと優は思ってしまった。優は何も答えなかった。
「さっきも言ったでしょ?ないならおいでって……優君は変にスレてるわけじゃないし、変な事をしない。だから優君がちゃんと家に帰るまでいても構わないよ」
ホントお人よし馬鹿で、変な奴だと思った。優の頭を拭く大地の手は優しく、そしてこの行為がとても気持ち良かった。
「ねぇ優君。優君は自分の事嫌いなんだね」
「な、なんだよ唐突に」
「うん。食事の時にそう思った。自己評価低いし、自分に自信なさそうでいて、他人を信用していない。て、とこかな?」
「どうして赤の他人にそんな事言われなきゃいけないんだよ。てかあんたに俺の何がわかるの?」
「優君の考えてる事なんて僕にはわからないよ。けどね、優君を見てると昔の自分を思い出すんだ」
「昔のあんた……?」
「うん。僕も優君と同じだったから。他人を信用出来ず、自分が嫌いで、毎日が苦痛で仕方なかった」
このいかにも幸せに生きてきましたという感じの男が?
大地の言葉にいささか疑問を抱きながらも、優はぽかんとしたままでいた。
「さ、ドライヤーはそこにあるから、髪をかわかして服を着たら居間においでよ。ばあちゃんが買ってきたお菓子あるからさ」
そう言って優の頭のタオルを首に置いて大地は脱衣所から出て行った。
「あのお人よしが俺と一緒?」
何とも言えず、複雑な心境のまま、優はしばらく脱衣所に立ち尽くした。
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