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最終話

 8月25日。  夏休み開けの朝、僕は、教え子たちに報告をした。 「突然ですが、塚原くんは、家庭の都合で転校しました」  教室が騒然とする。  直貴と仲が良かった男子数人が、立ち上がる。 「先生、あいつLINEが既読になんないんです! すげー心配してて、どこに転校したんですか!?」 「ごめんね、それは個人情報だから言えないんだ。でも、みんなと過ごせて良かったから、代わりにお礼を言っておいて欲しいと、伝言を預かっているよ」 「……なんで、なんでだよっ」  男子が机を拳で叩く。  ダンッという音が響くと同時に、女子の何人かがすすり泣き始めた。  心の中で、直貴を思い浮かべる。  クラスでは目立たないタイプで、いつも気の合う数人と過ごしていたけれど、こうやっていなくなってみれば、みんな悲しんだり残念がったりしてくれる。  親に愛されず、大人におもちゃのようにもてあそばれ、悲しい思いをたくさんしてきた直貴も、ちゃんとちゃんと、このクラスの一員だった。 「二度と会えなくても友達は友達だと、塚原くんは言っていましたよ」 「直貴のバカ!」  静まり返る教室は、効きの悪い空調の回る音と、セミの鳴き声がこだましていた。  夏休みの宿題をたんまり担いで帰ってきた、19:30。  新しいアパートの鍵を回し、中に入った。 「おかえりなさい。うわ、すごい荷物!」  直貴が目を丸くする。  僕はそのままぎゅーっと抱きしめ、尋ねた。 「どうだった? 緊張しなかった?」 「うん、みんな優しかったよ。でもなんか、名前呼ばれるたびに恥ずかしくって、変な風に思われちゃったかも」  勉強机に目をやる。  積み上げられた教科書の名前欄には『木下直貴』とあった。 「クラスの人たち、なんか言ってた?」 「びっくりしてたよ。泣いてる子もいたしね」 「せめて仲良かった3人には、さよならくらい言っとけばよかったかなあ」 「仕方ない。塚原直貴くんはもうすぐ死んでしまうんだから」  戸籍上、塚原直貴という子供は、まもなくこの国からいなくなる。  その代わり僕には弟ができて、名前は木下直貴という名前になる予定だ。  両親に『教え子を養子に迎えてくれ』とお願いしたときは、仰天された。  しかし、事情を話し、直貴本人も連れて実家に行ったら、愛嬌のある直貴に母がイチコロだった。  正式に養子縁組をするにはたくさんの手続きを踏まねばならず、正確にはまだ赤の他人だが、いずれは本当に、僕の弟になる。  両親に愛されなかった塚原直貴は死に、僕に愛される木下直貴が、この世界に残るのだ。  直貴は、窓の外に目をやった。 「新しい街で、新しい学校で、名前も違って。ほんと、生まれ変わったって感じがする。引っ越し自体初めてだし、楽しい」 「楽しいよ、この街は」  いまの僕たちが最も安心して暮らせる場所を考えたら、答えは一択だった。  世田谷区太子堂。  道路を挟んで斜め向かいには、太子堂いずみクリニックがある。  悪いお医者さんは、僕の大胆な作戦を聞いて、大笑いしていた。  転入にあたり、通称名の木下直貴で学籍簿に記載してもらえるよう、願い出た。  そして、書類を記入する僕を見て直貴は、『結婚したみたい』という、極めて素朴な感想を寄越した。  もう、愛しくてたまらない。 「ねえねえ、兄弟でもキスしたりセックスしてもいいの?」 「いいんじゃない? 子供ができるわけでもないし」  毒蜘蛛の唯一の解毒剤は、その毒で作られた血清なのだという。  僕たちはこれから何度も肌を重ねて、直貴はそのたびに、僕の血清を取り込んでゆくのだろう。  中学生の直貴はまだ、『一生』がどれだけ長いのかも、僕と積み重ねる日々がどれだけの量になるのかも、まるで分かっていないと思う。  でも僕は、子供だからなんて理由であしらえないほどに、彼を好きになってしまっている。  ずっとずっとずっと、命がけで守っていきたいと思ってしまっている。 「朋之さん、だあいすき」  直貴のあどけない笑顔は、僕の心を侵す猛毒だから。 (了)

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