1 / 5

第1話 蠱毒と顔のない男

 自分はこのまま、どこかで見知らぬ誰かと殺して、自分も死ぬのだろうと思ったいた。  そういう風に育てられた。『蠱毒』と呼ばれる僕らは、多くの場合その命は虫のように儚い。毒に慣らした子供の中から、生き延びて容姿が整っている者だけが売りに出される。  死にかけたもの、毒で皮膚がただれて見目が悪くなった者は、容赦なく殺されてその肉を別の用途に使われた。  殺されるか、死ぬかしかない。この場所に売られてきた子供には、それしか選択肢がない。 「わかった。それじゃあ売ってくれ。なかなか面白い使い方ができそうだ」  だからその男が「夏蝶(シアティエ)」を買った時も、特別な感慨はわかなかった。殺したい誰かの元に送られるまでの、仮の主人だ。興味がない。だから顔すら印象に残っていない。  ――それが大変な思い違いだと気が付いたのは、彼に己の内側を深く穿たれてからだ。 「ぁ、あ、……やだ、全部、挿入(はい)って……る」 「ああ、そうだな。挿入()れてるからな」  ただ事実だけを認めるように、彼は夏蝶の声にこたえて、更に身体の奥深くをえぐる。 「ぅあっ……! っは、あ、ど、……して」  じゅくじゅくと、中で彼のものが動くたびに、濡れた音が響く。目の奥にちかちかとした光が明滅して、口元からはだらしなく唾液が漏れた。息が上手くできない。未知の刺激に、身体が翻弄されている。  抱かれている、この男に。雌のように、穴の奥深くを突かれて、喘ぎのたうちまわっている。彼に奥を穿たれるたびに、声に甘い響きが混ざっていく。自分のものがみっともなく勃起して、だらだらと透明な汁をたらしているのが見える。  ただの生理現象と言うには、あまりにも。 「意外と快楽に弱いな。そんなことじゃ、俺の弟子は務まらないぞ。もっと感じているフリをできるようにならないとな」  そんなこと、わからない。  頭の中が混乱している。感じている。自分は、この男に後ろを激しく犯されて、身悶えて快感に狂いそうになっている。自分の口から、信じられないような声ばかりが漏れてきて、心の中がぐちゃぐちゃにかき乱されている。 「ど、して……」 「さっきからそればかりだな」 「どし……て、しなな……あぅっ、あっ、ぁっ、あんっ!」  びくん、と腰が跳ねた。痙攣は一度では止まらず、背中、指先から爪先、喉元までを反らして、何度も何度もその波が過ぎ去るまで死にかけの魚のように震えていた。 「っ……あ……ぁぁ……」  恐ろしいほどの快楽の波の後、プツリと頭の奥で糸が切れるような感覚がした。  ぐにゃ、と視界が歪む。 「なんで、死なないか? その答えは簡単だ。俺がお前の同類だからだよ」  その意味を理解することはできなかった。  過ぎた快楽の波が引くのと同時に、泥のような疲労感と眠気が襲ってきて、目をあけていられなくなったからだ。 ■  この業界には『蠱毒』と呼ばれている少年少女がいる。  蠱毒は、壺の中にたくさんの虫を入れて生き残った最後の虫で人を呪い殺す呪術であるが、その名のごとく彼等は人を殺すために生み出される。  赤子の頃から、虫の毒に少しずつ慣らされる。最初は毒繊毛を持つ芋虫や毒蛾と共に生活する。毒の蝶や蛾を食み、ハチ毒を食み、そうやって身体に少しずつ虫の毒を取り込んでいく。虫の好む毒草と、虫そのものを食べることで育った子供たちの多くは、毒に身体を壊されて死んでいく。だが、稀に適応症状を見せる子供がいる。彼らが『蠱毒』となる。  体液や粘膜を通して、自分の身体の中に溜めこんだ毒で相手を殺す、人間兵器だ。  育てる期間やコストに反して、使い捨てで寿命もそう長くはない。自分自身が毒のかたまりであるがために、毒の加減をすることも難しい。そういう意味では、決して優秀な暗殺者とは言えない。  好事家の悪趣味な所有物として飼われるのが通常だ。  毒の影響で多くの子供が若くして髪が全て白髪になるため、見た目が良ければ観賞用に、いざという時は暗殺道具にというわけだ。  いくら見目が整っていても、一回の口づけで、性行為で命を奪われるかもしれないと知っていたら、破滅的な嗜好でもないかぎり抱くものはいないだろう。 「この子が『蠱毒』か? 目は少し青みがかった黒だな。アジア人が混ざってる?」  その男の顔を見ても、何故かまったく印象に残らなかった。  若いのか、それなりの歳なのか、顔や声で判別ができない。背の高さも高すぎず、低すぎず。声音もどこにでもいそう。フロックコートと帽子にステッキ、少しだけ色の淡いグレーのズボンと、それこそどこにでもいそうな紳士だ。  印象に残らなかったことを、彼は「興味がないから」と解釈した。この男が自分を買おうが買うまいが、飼い殺しにされるか、誰かを殺すために送り込まれるかしか選択肢はない。 「この子は夏蝶という」 「シア・ティエ……言いづらい名前だね」 「名前は君が後で好きにつけるといい。どうせこれも仮の名だ。英語でいうとサマー・バタフライだね」 「へえ、いつもそんな風に名前をつけてやるのかい?」 「いや。春先の蝶に比べて、夏の終わりの蝶はヨタヨタと飛ぶだろ。羽根が削れていくからだ。つまり、死にぞこないって意味だよ。こいつはそれほど身体が強くなくてね。それでも生き残ったし、見た目は悪くないからせっかくだし売りにだそうかってことになったんだ。何せ、『蠱毒』はもう作っている業者もあまりいないから」  売人の酷い説明にも、さして興味は惹かれなかった。死にぞこないも何も、死ぬために生かされているようなものなのだから、今更寿命が少しくらい伸び縮みしたところで些細なことだ。  羽根が削れた、死にかけの毒蝶。冬を越すことはできずに、死に絶える個体。  そういう風に名づけられた時点で、自分の運命にはなにひとつ期待していない。赤子の頃に自分を売り渡したのであろう親が、どこかでのたれ死んでいればいいが、それも知る術はない。 「まぁ、いいや。この子を買うよ。気に入った」  気に入ったのなら、寿命まで飼い殺しだろうか。  毒のせいでずっと熱を持った身体は、常に気だるく思考は鈍い。なるべく早く寿命が着て欲しい。その方が楽だ。単なる見世物になるのなら、せめてその期間が短いほどいい。 「俺が教育して、こいつを一人前の暗殺者にしてやろう」  ふと。  耳を疑って、顔をあげた。売人の男も、理解できない風に、彼を見ていた。  彼はどこまでも印象に残らない顔で、だけど笑っているのは理解できた。 「楽しみだな。弟子を取るのは初めてだ。よろしくたのむよ、シア・ティエ」  そして、夏蝶は彼に買われた。  彼の名は知らない。本当の名前はわからない。  それはどうでもいい。夏蝶だって自分の本当の名前を知らない。 「俺はジャックだ。顔のない男、ジャック」  顔のない男――特徴が恐ろしいほどなく、誰の印象にも残らない。どこにでもいる顔。どこにでもいる男。見た目から声、名前に至るまで全てにおいて凡庸である。そのために彼の顔は、存在は、記憶にも残らない。だから「顔のない男(ジャック)」だ。  そして、この顔のない男に買われて、アジトだという古びたアパルトマンに案内された後。 夏蝶は彼に身体を開かれた。奥まで触れられて、口を吸われて、初めて知る快楽に意識を飛ばされて、乱れて果てた。  粘膜に触れただけでも、唾液や涙の一滴さえも猛毒であるはずのこの身体を、容易く組み敷いて暴いて、彼の中でどこまでも溺れる感覚を味わった。  目が覚めた後、喘ぎ過ぎて嗄れた喉に甘い蜂蜜入りのミルクを差し出しながら、彼――ジャックはこう言ってのけた。 「そりゃあ、俺はお前と同じく、赤子の頃から育てられた根っからの暗殺者だ。毒の耐性なんて、お前よりもずっとある」  驚くほど印象に残らない笑顔でそう言われた時、彼が本気で自分を弟子にする気なのだと気が付いた。 「とりあえず、お前自身が死なない程度に、これから毎日俺の毒で中和する」  何をどうしたら毒が中和できるのかわからないが、これだけはわかった。  これから自分は、毎日この男に抱かれてあんな風にみっともなく寝台の上で乱れさせられるのだ。  それこそ、死にかけの蝶が展翅されるような気持ちだった。  それを師匠である彼に伝えたのは、ずいぶん経ってからだったけれど――。  彼は、やはり全く印象に残らないいつもの笑みを見せたが、その瞳の奥にあるほのかな優しさに気付くことができる程度には彼を「覚えて」いた。

ともだちにシェアしよう!