105 / 191
3−46
「聞こえなかったわ。今、なんて?」
「帰れっつったんだ。今のは聞こえたろ」
「は?」
強引に押し返そうとしてきた師走の腕を掴むが、すぐ振り払われる。
「意味わかんないんだけど。いきなり何?」
「今すぐ帰れ」
何だコイツ、と思いながらこっちも食い下がると、苛立ったように舌打ちされた。
「お前の顔も見たくねえ人がいんだよ」
ぐいぐいと押されながら、師走の後ろで様子を窺ってくる女を見て事情を理解した。
「あ。なに? そういう感じ? ナミちゃんの彼氏って生徒だったの。ヤバ」
笑おうとしたとき、頬に熱い衝撃が走った。
「ぶっ」
吹っ飛んだ体がドアにぶつかってけたたましい音を上げる。同時に甲高い悲鳴も聞こえた。
「師走くん!!」
おれに馬乗りになった師走の後ろから、血相を変えた先生が駆け寄ってくるが、奴はそれを怒鳴って止める。
「来んな! あんたは下がってろ!」
びたっと止まって口元を手で覆った彼女は、「待って、すぐ他の先生呼んでくるから、危ないことはしないで」とだけ言って教室を出て行った。
「あーあ、せっかくカッコつけたのに見捨てられちった」
腹に乗っかられたまま茶化すと、師走は意外にもにやりと笑みを見せた。
「何抜かしてんだこのタコ。先生が邪魔な奴ら連れてくる前にケリつけるぞ」
また一発頬を殴られて耳鳴りがする。こいつの拳は、今まで喧嘩してきたどの相手よりも重い。
痺れるような痛みを噛み締めて、おれも殴り返した。
「痛ってーなァ、顔殴んじゃねぇクソ!」
「ぐっ!」
ガラ空きだった鳩尾に拳を叩き込むと、のしかかっていた体が退く。それを契機に体勢を逆転させて、胸や腹に何発も入れてやった。
「急に人殴りやがって!」
鈍い音を立てて何度も腹に衝撃を喰らっているが、師走は落ちる気配がない。硬い。
顔を掴んで床に叩きつけたが、それでも伸びなかった。どころか、
「痛 っ!」
隙を突かれて掌に歯を立てられる。皮膚を喰い千切る勢いで噛まれ、手からボタボタと血が滴った。
「――なんでもアリかっ、の野郎……!」
咄嗟に手を引いたのを掴み戻されて、また床に引き倒される。
口からおれの血を垂らしながら、師走は学ランの襟を掴み上げてきた。
額に青筋を立てて、瞳孔の開いた目でおれを睨みつける。
「まずあの人の名誉のために言っとくが、俺と先生はそんな関係じゃねえ。先生はただ教師として生徒の俺を気遣ってくれてるだけだ」
一発殴られる。こっちも殴り返した。
「今日も、ただ進路相談をしてもらってたんだよ。
だがやけに浮かねえ顔してやがるから、『何かあったのか』って訊いてみれば、てめえに随分な目に遭わされたと」
殴られる。殴り返す。唇の端が切れて、鉄の味がした。
「随分な目? っは、先生が地味にエロいからちょっとからかっただけじゃん? “先生とヤリてー”って――はぶっ!」
「恥ずかしくねえのか!」
三回殴られた頬が熱く滲んで、早速腫れていく感じがする。
こっちも本気で殴り返そうとしたが、おれの三発目は師走の手に抑えつけられた。
「俺は正直な話、お前に会うのを楽しみにしてた。今回のことがあるまでは」
「は、はあ……?」
ともだちにシェアしよう!