115 / 191

3−56

 広いエントランスを抜けてエレベーターに乗り、指定された病室に向かう途中で、荒センはぽつりぽつりと喋った。  「……すまん。なんの説明もなく連れて来て」  「どういうこと? 母さんが倒れたの?」  問いながら、違うんだろうな、と思っていた。それなら学校を出るときでも車の中ででも話せたはずだから。  言うのもはばかるような事が起きたんだろうな、と。  「悪い。なんと言ったらいいか分からなくて……ただ、お母さんは命に別状はないそうだ」  は、とずっと詰めていたような息を吐き出して、  「だが、お前のお父さんは今、警察署で事情聴取されている」  角刈りにジャージの体育教師がちぢこまっていると変な感じだが。からかう気にはなれなかった。  病室を訪ねる前に荒センが話したことには、義父が母さんを殴って、騒ぎを聞きつけたアパートの住民が警察と救急車を呼んだらしい。  とんでもない騒ぎだったんだろう。  義父が母さんに手を上げたことは腸が煮えくり返るほど憎かったけれど、一方で、あまり驚いていない自分がいた。  「説明下手で申し訳ない。事情は分かってもらえただろうか」  「うん。ありがと、荒セン」  「お兄さんはその場にいたとかで、警察で一緒に事情を聞かれているそうだ」  兄貴は中学の終わり頃からおれに負け始めて、自信でも失ったのかロクに外にも出なくなった。  世の中全部に不満を抱えているような膨れっ面を思い出して、嘲笑が漏れた。  「あんなジジイ一匹も止められねえで、母さんが殴られるのを傍観してたってわけか。さすが血繋がってねえだけあって、分かんねえ神経してるわ」  ぼやいてから、何も関係ない荒センを困らせてしまったのは申し訳ないなと思った。  先生を病室の外で待たせて、一人だけで『如月美香』と名札が入った部屋の中に入る。  個室には一つしかベッドがない。  窓際に置かれたその薄いベッドの上で、頭に白い包帯を巻いた母さんが静かに眠っていた。  身内の人間が来たと連絡が入ったのか、少しして担当医が現れた。  「どうも。この度は大変なことでしたね」  中にいたのが学ランの未成年一人だけだと分かるとやや不安げに眉を上げたが、医者はそのまま母さんの状態について説明した。  「美香さん――お母さまは、鎮静剤を投与しているので今は眠っていらっしゃいますが、少しすれば目を覚ますだろうと思われます」  「鎮静剤?」

ともだちにシェアしよう!