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 店を出て、スマホで時刻を確認すると、もうすぐで午前十時だった。  如月はまだ寝ているだろうか。  まだどこかで時間を潰すべきかと思案していると、持っていたスマホが振動した。  (今日は事務所には顔出さねえっつってたんだがな)  発信元を確認すると、電話をかけてきた相手は狗山だった。  舌を打つ。他の舎弟ならいざ知れず、狗山は無駄な連絡はしてこない。  「……俺だ。どうかしたか」  案の定、伊吹が電話を取るなり急いだ声が返ってきた。  『お休み中にすんません。  水無月の件で、すぐ兄貴の耳に入れてえことがありまして』  「何か分かったのか」  ええ、と相槌を打った狗山は端的に、しかし重大な事実を伝えた。 ・・・  『……てわけで、これはすぐ兄貴にお伝えした方がいいと』  電話を握り締める手に力がこもる。  「ああ、そうだな。助かった」  『この後はどうしますか?  一応水無月の尻尾が掴めたんで、こっちはいつでもカチコミかけられるように準備はしてます。  あっちもいつ動き出すか分かりませんから』  「お前の判断が正しい。すぐ動いたほうがよさそうだな」  狗山は『そうですか』と、提案が受け入れられて安堵した風な空気で付け足す。  『如月さんには伝えますか?』  言外に“これ以上堅気に戻った人間を巻き込むのか?”と問われたようだったが、伊吹はそのつもりだった。  如月もここで蚊帳の外に追いやられたら納得しないだろう。  「ああ。あいつにも最後まで付き合ってもらう。  ちょうどこれからあいつに会うところだったから、俺から伝えておく」  『分かりました。いつ合流します?』  「あいつに事情を説明したらまた連絡する。詳しいことはそのときに決めよう」  通話を切った伊吹は、表通りから裏路地をゆき、【大冒険】が入ったビルに着いた。目的はその上の階にある如月の住まいだが。  狗山から予想外の報告が入り、あまり長話をする時間はなさそうだが、言うことはすでに決めてある。そう手間はかからないだろう。  鉄階段を上がって、如月の家の前に立つ。  大きく息を吸って呼び鈴を鳴らそうとしたとき、後ろから階段を上がってくる音がした。  振り返ると――。  「お前」 ――アキがいた。  「……師走さん」  俯き気味に立っていた彼女は、勤務中と同じように女性らしい格好をして、長い巻髪を肩に垂らしていた。  妙に引っかかる。  アキの顔は、いつもよりどこか覇気がない。疲れているんだろうか。  そして今は昼前であり、大冒険の開店までは当分時間がある。  そのため(なんでここに?)という疑問が浮かんだ。が、店に忘れ物でもしたんだろうと自己解決して訊ねた。  「どうした? 忘れ物か――」  あいつに用があるなら、俺もちょうど行こうとしてたところで。  そう言おうとした。  だが、できなかった。  「ごめんなさい」  「っ!?」  項垂れたアキが不意に近付いてきたかと思うと、体が急激にこわばった。  横腹のあたりがじんと痺れ、手足が言うことを効かなくなる。  白い手にスタンガンが握られているのを見つけたときには、鳩尾に重い衝撃がめり込んでいた。  「なっ…………」  アキの手が、自分の腹を殴っている。  なんで、という言葉は声にならず、ひゅ、という気息が代わりに零れる。  女にしか見えない華奢な体の、一体どこにそんな力があったのか。  (クソ……油断した)  体が大きくぐらついて地面に倒れ込む前に、脇から複数の男が出てきて抱えられる。  どこに隠れていたのか、ずっと張っていたらしい。  まず考えられるのは彩極組の手先だ。奴らが動き出した……。  すぐ目の前にあるインターホンを鳴らそうとしたが、伸ばした手は届かない。  「……わ、りぃ……み、とう」  どうかお前は捕まってくれるなよ――そこまで口にする前に、意識が途切れた。  「ママ……ママの大切な人に、ごめんなさい」  霞んでいく視界の端で、アキが泣きそうな顔をしていた――気がする。

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