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 「組長さん」  ミフユはその目をじっと見つめ返す。  元々自分が組を出奔したのは伊吹にたいして後ろめたいところがあったからだ。  けっして、極道という世界そのものを嫌っていたわけじゃない。  自分と母を生かすため、やむをえず入った業界ではある。  けれど組長をはじめとして、裏社会に生きているくせにやたら気の良い人々ばかりに囲まれて、結構楽しかった。生い立ちを振り返ってみればむしろ子供の頃よりも人に恵まれていたとすら思える。  鳳凰組で過ごす日々を、ミフユはそれなりに気に入っていた。  そんな場所へ戻らせてもらえるなら、どんなにいいか。  だが、  (……アタシは)  瞼の裏に【大冒険】の店構えやそこにいる同僚たちの顔が浮かぶ。  ミフユは知れず、笑みを浮かべていた。  「そんな風に言ってもらえるなんて思わなかったです。身に余るけど……すごく嬉しい。  でも、組長さん」  そして、ゆっくりと首を横に振る。  「アタシ――今さら戻るには、表の世界に大事なものを作りすぎちゃったわ。  ……だから、組には戻れない」  「すみません」と詫びてから頭を上げる途中、伊吹がどんな顔をしているのかが気になってちらりと横を見やる。  失望するかと思ったが――彼はあらかじめ承知していたかのような落ち着いた様子で、ミフユの話に耳を傾けていた。  (……伊吹ちゃん)  その様子を見ていると、伊吹が今の自分を認めてくれているように思えた。 ――都合のいい思い違いだろうか。  「今いる居場所で生きていきたい。  アタシ、今の自分(わたし)が好きなんです」  迷いのない口調で告げると、大鳥は仕方なさげに笑ってそうか、と頷いた。  「良い表情(かお)するようになったな、美冬。 ……そういうことなら堅気の世界で立派に生きていけ。  応援してるさ――なに、住む世界は違っても親子の縁は切れん」  「……はい」  この日初めて、今までずっとミフユの心にのしかかっていた重石が溶けていく気がした。 ・・・  「はぁ~……なんか、ドッと疲れたあ」  大鳥の私室を後にしたミフユは、伊吹と連れ立って廊下を歩いていた。狗山はまだ大鳥に事後報告があるというので、二人だけ先に帰宅の途についている。  ちょうど真上まで昇った太陽に照らされた廊下を歩きながら、伊吹がミフユに視線をくれる。  「ま、これで一件落着ってわけだ。後味悪くはねえだろ」  「そうねえ。最後、伊吹ちゃんが倒れたときにはどうなることかと思ったけど」  こうして、思わぬ形で過去の清算もできた。  緊張から解放されて体が重くはあったが、気分は軽い。  (……あとは、最後の始末をつけるだけね)  そう思ったミフユは、隣をゆく伊吹を見つめた。 ――先日、病院で言い損ねたことがある。  (ちゃんと伝えなくちゃ。いつまでも前に進めないわ)  とはいえ、どこで話を切り出そうかと考えをめぐらせていると、声をかけられた。  「この後の用は?」  「ないわよ。無理言って今日も休みとらせてもらったから」  「そうか。じゃ、ちょっと付き合え」  「え? うん……」  向こうから呼ばれたことに戸惑いつつ、顎でしゃくられ、玄関までの道からは外れて進んでいく。  伊吹はミフユの訝しげな視線を気にした様子もなく大股に歩いていき、敷地の隅に造られた池のほとりで足を止めた。

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