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毎日はな六⑤

 サイトウははな六を懸命にいたわり、介抱した。 『気にすんな、はな六。すっきりするまで、ここで全部吐いちまえ』  いくら吐かれようと、はな六が吐くものはほぼ水なので問題ない。しかし、もしもはな六が有機物でできた人間だったとしても、サイトウは嫌な顔ひとつせずに素手で吐物を受け止めただろうし、甲斐甲斐しく世話を焼いたことだろう。なぜなら、あの女の子のときもそうだったからだ。女の子も、初めてのセックスを終えた直後に嘔吐した。サイトウはそのときも懸命に介抱した。当時はまだ若かったので、少し慌ててしまったものの、ちゃんと介抱し、女の子を慰めることは出来たのだ。女の子は『ごめんなさい』と『ありがとう』を何度も言った。  ところが、はな六は……。 『ばか!』  胃の中がすっからかんになるまで吐ききった後の、第一声がそれだ。 『サイトウのばか! ばかばかばかばかばか!』 『えぇ、何で……?』  別に感謝して欲しくて介抱した訳ではないのだが、しかし馬鹿呼ばわりされるなど、思いもよらなかった。はな六はひとしきり『ばか!』とサイトウを罵ると、子供のようにびゃんびゃんと泣きわめいた。 『こんなの酷いよぉー! おれはセックスしたいなんて一言も言ってないのにー! 無理矢理滅茶苦茶されたから、口から何かいっぱい出たー! サイトウの大馬鹿野郎ー!こんなの犯罪だぁーーー! うぎゃあーーー!』 『ちょ、悪かった、悪かったよ。だからもう泣くなよ、な?』  外は既に明るく、雀がチュンチュンと鳴いていたし、車の走る音も頻繁に聴こえてくるようになっていた。そんなに大声で犯罪者だの何だのと泣きわめかれては、近隣住民が驚いて警察に通報してしまうではないか。 『マジでごめん。何でもするから、泣き止んでくれよ。お願いだから』 『じゃあ』  はな六はスンと鼻をすすり上げた。 『気持ち良くして? おれが言う通りにして、気持ち良いセックスしてくれたら、許す』 『結局やるんじゃねぇかよ! 何が違うんだよ、それと、さっきまでしてたことはよぉ!』  思わず声を荒げてしまった。はな六は怯え、また大粒の涙をぽろぽろと溢し始めた。上州生まれのサイトウの言葉は、ただでさえ語気が強く荒く、よその人間には怒っているように聴こえる。かつてそのようにマサユキから忠告されたのを、すっかり忘れていた。サイトウは狼狽した。はな六があの女の子のように逃げ出して、何もかもを罪だったことにしてしまうのではないかと、恐れた。 『わかった、わかったから! ちゃんと気持ち良くしてやっから、機嫌直してくれよぉ、はな六ちゃーん』 『ん。許して貰いたかったら、キスしてよ』  はな六はサイトウの胸倉を掴んで引き寄せた。サイトウは大人しく従い、はな六にちゅっと口付けた。  その日の午前中は全く仕事にならず、午後もくたくたに疲れて、呻きながらなんとかかんとか働いた。遅れたぶんをリカバリーするには二日ほどかかった。  以来、はな六はサイトウが間違う度に、泣いて怒って、サイトウを正しい方向へと導いた。はな六のお陰で、サイトウははな六を正しく可愛がれるようになった。二ヶ月ほど経つと、はな六の抱き心地は元の“お前”のように柔らかくなり、そしてまたしばらくすると、“お前”以上になった。はな六は身体を開くと同時に心も開き、すっかりサイトウに懐いた。はな六は言った。 『おれはセクサロイドだから、誰とセックスしてもすごく気持ちがいいんだけど、なんだかサイトウとするのは、特別いいみたいだ』  “このはな六”はサイトウに添い遂げる為に生まれて来たのだと、サイトウは確信した。そして年の暮れ、思いきってはな六にパートナーにならないかと打診した。 『いいよー』  はな六は事も無げに承諾した。その声色がまた、はな六がサイトウの運命の相手だということを証明していた。 「さぁて、着いたど」  助手席のドアを開けてやり、はな六が車から降りるのを手伝ってやった。はな六はよろよろと立ち上がると、辺りを見回した。一月の境内にひとけはなく、線香の匂いもあまりしなかった。 「ここがお墓なの? この建物とあの建物以外、何にもないよ」 「あれが寺で、これが墓だ。そしてこっちは六地蔵」  サイトウが教えてやると、はな六は首を傾げた。 「おめぇ、墓参りは初めてか?」 「そんなことないよ。“あのはな六”だった頃に、師匠や偉い先生のお墓参りには、時々行っていたもの。でもこんな四角くて大きなお墓って、初めてだから」 「ほっか」  サイトウは六地蔵に線香をあげた。それからはな六と手を繋ぎ、納骨堂の急な階段を一段一段昇った。事前に話を通しておいたので、納骨堂の鍵は開いていた。重い観音開きの扉を開くと、籠っていた線香と灰の匂いがむっとあふれてきた。  お堂の中には、正面に大きな如来座像があり、左右にずらりとロッカーが並んでいた。明かりをつけ、左側の一番奥へと歩く。  一つの扉を開け、骨壺の前に置かれた空のコップに持参した焼酎を注ぐ。そして、線香にライターで火を点けて、振り消してからはな六に二本手渡した。 「これがお墓。おれ、こういうの初めて見たよ」 「社長には墓の面倒見てくれる親類がいなかったからよ。永代供養して貰えるように、社長が自分でここを選んだんだ」 「へぇ」  社長というのは、サイトウが少年院を出てから独立するまで雇ってくれていた、鈑金屋の社長だ。少年院上がりの子供を雇うような、ボランティア精神のある経営者は珍しかったが、幸運にもサイトウは社長にめぐり会えた。社長はサイトウの勤勉な性格を気に入ってくれ、仕事だけでなく暮らしのことも何くれと面倒を見てくれた。サイトウが女の子を“誘拐・監禁・暴行した罪”で裁かれ、服役した後も、クビにせずに雇い続けてくれた。サイトウが起こした事件に、社長は絶句し、サイトウは無実だなどと庇うことはなかったが、しかし、罪を犯したからといって世間から排除するべきではない、と言ってくれたのだ。   サイトウは社長に恩義を感じ、社長が亡くなって数年経つ今も、線香を供えにこの納骨堂を訪れていた。 「社長、今日はおれの嫁を見せに来ました」  サイトウは骨壺に手を合わせて言った。 「嫁じゃなくて、パートナーです」  はな六も手を合わせて言った。 「はじめまして、社長さん。おれはセクサロイドのはな六です」  サイトウははな六の頭にポンと手をのせた。 「おめぇ、余分なこと言わなくていいから」 「なんだよぉ、余分って。おれがセクサロイドだからって何が悪い!」  他に誰もいないお堂の中に、はな六の声がビンビンに響いた。 「誰もいねぇからって大声出すんじゃねぇの。寝てる仏さん達がみんな起きちゃうだろうが。すんません、社長。コイツマジで賑やかなんすよ。小せぇことで一々キャンキャン五月蝿くって」  サイトウは苦笑しながら骨壺に語りかけた。 「でもコイツのお陰で、過ちを犯さずに済んでるんッス。俺が間違うとすぐ、騒いでくれるから。コイツがいる限り、俺は大丈夫です。だから心配しないで、そこでゆっくり寝ててください、社長」  サイトウは手を合わせて、深々と頭を下げた。手を下ろしてふと隣を見ると、はな六も神妙な顔で社長に手を合わせていた。 「さて、そろそろ帰ぇるか」  サイトウは供えていた線香を二つに折り、灰の中に埋めた。焼酎を注いだコップは外の洗い場で中身を捨てて濯いだ。コップを元の場所に戻し、ロッカーの扉を閉めた。納骨堂を出て、寺の住職に声を掛けてから、車に戻ろうとすると、はな六がサイトウの袖を引いた。 「ねぇ、サイトウ。おれ、ちょっと散歩がしたい」 「あぁ?」 「だって、今三時だし、三時は散歩の時間だから。天気も景色もいいし、ね?」 「へいへい、わぁったよぉ」  サイトウははな六と腕を組んで歩き出した。まだ春には程遠い、灰色と枯れ草色ばかりの、郊外の住宅街と田園の境い目の風景だ。この時間なのに風が吹いてはいないものの、サイトウの故郷のイセサキシティーに良く似た、何もないこざっぱりとした景色だった。 「ま、オメェには俺様に合わせてもらってばっかりだもんなぁ。たまにはこういうのも、悪くねぇな」  サイトウはケケケと笑いながら、辺鄙な田舎道をはな六と歩いた。 (おわり)

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