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第1話
「針川 くーん」
心臓がひとつ、大袈裟に脈拍を打った。
俺は彼の声を聞くと、自分としての形を保てなくなる。
「球技大会なんだけどさ、どの競技にするかもう決めた? つってももうサッカーかバレーしか余ってないんだけど、あっ、ちなみに俺はバレーな。まあこれは参考程度にってことで、どっち選んでくれても全然いいよ」
彼は汚れなく笑い、俺の机に腕を乗っけた。彼の友人たちが、そんな光景を遠巻きに見て表情を引き攣らせているのは、空気感でなんとなく解る。
「ぁ…………」
心臓の動きがバクバクと普通じゃない。
言わないと、答えを出さないと。答えようとして口を開き、息を吸ったのと同時に、彼の友人たちの中の一人がいとも簡単に言葉を発した。
「楓 〜。たぶんアレだよ、アレ。参加しちゃいけないやつ」
「え? なになに、どういうこと?」
「だーから、言わせんなよ! そのさあ、解るっしょ? 針川くん、去年も参加してなかったやん」
「……っあー! そういうことか……! わ、わりい! マジで忘れてた! ごめん!」
「……」
精悍な眉をハの字に下げて謝罪する彼を無視して、俺は席を立ち教室を出る。「マジでごめん!」という情けない声が背中に当たって砕けた。
十秒もしたら彼は、俺に無視されたことで沸いた感情なんて全部忘れているだろう。俺とは違って。
俺は後悔していないし、現状に不満もない。
だけど、こんな自分があまり好きではない。
春田楓 くん。同じクラスの学級委員長だ。
明るくハスキーな声が印象的な彼は、勉強もスポーツも人並み以上にこなし、クラスメイト、さらには教師たちから溢れんばかりの人望を集めている。彼が学級委員長に任命されたのも、担任教師が直々に彼を指名したからだ。そしてクラスメイトは誰一人として、教室の端から端まで誰も余さず、それに不満を示さなかった。
人々は困難に直面すると彼に頼り、そして彼もまた持ち前の優しさと器用さで人々を完璧に救済する。
……俺のことも。
俺はクラスメイトから敬遠されている存在だ。いや、敬遠されているだけじゃなく常日頃から陰口を叩かれてるってことは知ってる。頭皮から僅かに地毛が伸びていること、耳たぶに開いたピアス穴のこと、全校集会でクラスの列に並ばないこと、世間一般に流通していないパッケージの水を飲んでいること、昼休みの開始を告げるチャイムが鳴ると足早に教室を出て行くこと、球技大会などの行事ごとに参加しないことーー数え出せばキリがない。つまりはそれほどに俺は、周囲と調和できない人間だってことだ。自覚がある。……いや……自覚“させられた”と表現した方が適切だけれど。
なのに。楓くんだけは違う。
どんなに汚いゴミ箱の底にも手を伸ばして、ほんのわずかだけれど、それでも確かな光を見せてくれる。まあ簡単に言えば、俺を「ただのクラスメイトの一人」として扱ってくれてるってことだ。その裏にどんな気遣いやお人好しな性格が含まれているわけでもなく、ましてや学級委員長としての責任感がそうさせているわけでもなく、ただありのままの楓くんが俺を受け入れてくれている。……ように、感じるだけかもしれないけど。俺はそう信じている。
あんなに優しい眩しさを放つ人間って、この世に存在するんだと思った。だから今年は去年よりもほんの少しだけ、学校が憂鬱じゃない。
さっき、楓くんの言葉に、上手な言葉を返せなかった。
俺が勝手に変な自意識を抱いただけなのに、楓くんを無視してしまった。
……楓くんと話がしてみたい。
だけどそんな勇気もきっかけも無いまま、時間は俺の気持ちなど顧みず規定通りに過ぎ去っていき、ますます俺を悶々とさせる。
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