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ハッピーエンドを目指して_3
離島の夏は毎日がお祭りのように騒がしくなる。
観光客で溢れる七月の連休初日。高気圧に覆われた晴天の空とは裏腹に、俺は今にも雷雨になりそうな曇天の気分で空港ロビーに立ち尽くしていた。
長かった髪を肩までばっさりと切り、何やら明るい印象になった旧姓榊綾乃が花柄のワンピースを着て手を振っている。その隣で申し訳なさそうに身を縮めているのは、夫の村瀬時臣だ。
そして二人の後ろから、大きな荷物を引くお付きを従えて現れた一人のご夫人。ロングワンピースに白いつば広帽とサングラスという、フィクションの中のお忍び女優のような出立ちすら決まってしまう、俺がリアルで知る最高のアルファ女性。
「あらぁ、思っていたよりも随分と蒸し暑い所なのねぇ。日本の夏が嫌で避暑に来たのに、ちょっぴり残念だわ」
「お、お、お久しぶりです。お……榊のおば様」
「まあまあ、亮介くん。本当にお久しぶり。なんだか少し、膨よかになられたかしら。幸せ太りかしらねぇ」
「はは、そ、そうですか。自分ではよく分からなくて」
「若い頃のつもりでいると、あっという間よぉ。ところで、翔平は何処なのかしら」
「あ、いま車を取りに行って、その、すぐに戻ります」
「そう、うちの翔平が車を取りにねぇ。あらそーあの子がねぇ」
ほほほと微笑む翔平の母親、つまり今の俺には義理の母にあたる人からの圧力に、晴を抱えた俺は涙目で立ち尽くすしかない。お義母さんとか呼んだりしたら、冗談抜きで次の瞬間に首が飛びそうだ。
これはなんのドッキリかと綾乃の方に視線を向けると、こちらはニコニコと笑いながら手を振りかえしてくれるだけだ。
友だちって、友だちってお義母さんのことですか。そこはキチンと知らせておいてもらわないと、こちらも心の準備が間に合いません。
「お待たせ、車回してき……げっ!」
暢気な様子で現れた翔平が、義母の姿を見たとたんに蛙が潰れたような声を上げる。
それはそうだろう。何処もかしこも空気が緩々の夏の離島。スラックスにシャツを羽織ってきた俺はマシな方だ。せめて柄パンはやめさせるべきだったと、今さら後悔したところでもう遅い。
「翔平さん。なんですか、その、だらしの無い格好は」
「か、母さん、なんで此処に」
すっかり常夏の男になってしまった息子の姿に、翔平に似た面影のある綺麗な顔が不快そうに歪められる。
いま義母の胸の内で渦巻いているであろう様々な感情を思うと、こちらの胃もひっくり返るどころが内臓が飛び出てきそうだ。
「二人ともお久しぶり、お元気そうで嬉しいわ。ほら、時臣さんもきちんとご挨拶をして。あとお詫びもね」
「あ、あの、村瀬時臣です。その節は、本当にとんでもないことを……なんとお詫びしたら良いのか、その」
「大丈夫よ。きちんと水に流したから、こうして訪問を許していただけたんじゃないの。ね、翔平さん」
「……ソウダネ、気ニシナイデ」
常夏の島の空港で、この辺りだけ空気が凍りついて見えるのは錯覚ではない。ニコニコと笑っている綾乃と所在なげな時臣はさておき、中央で睨み合う竜と虎、ではなく母と子を行き交う人々の遠巻きにして避けて行く。
「あら、なんだか片言。それでは叔母さま、荷物は中野さんに運んでもらって、私たちは翔平さん達の新居に案内して頂きましょうか」
「えッ」
「そういう予定でしたでしょう?」
「そそそ、そうでしたね」
確信犯の綾乃に抵抗をしても無駄だ。無論、来客があるということで家中片付けてあるし、もてなしの用意もしてある。
しかし友人用と義理の親用では、ちょっとばかり事情が違って当然ではないか。どちらにしろ義母の口には合わないだろうが、せめてこの島で一番上等の茶葉を買いに走りたい。
「チャイルドシートがあって乗り切れないから、二人はタクシー使ってもらえるかな。ああ、綾乃さんは是非、うちの車に乗ってよ。積もる話もあるからさ」
「あらあら、大歓迎」
笑顔で青筋を浮かべた翔平と、それを意にも介さない綾乃が笑いながら先に立って歩いて行く。待ってくれ、このメンバーで置いていかないでくれ。
「貴方は荷物を持ってチェックインしていて。後は呼び出すまで休んでいていいわ。ご苦労さま」
「かしこまりました」
いつもは運転士をしている中野さんが、義母の言葉に一礼をする。あるわけは無いが、家に泊まるつもりだとまで言われなくて良かったと、心の中で涙を流す。
「あの、こちらです」
必死の営業用スマイルで義母を促すと、サングラス越しの視線が娘を凝視しているのが分かった。
そういえば紹介もしていなかったと、慌てて晴を抱え直す。
「あの、娘の……」
「ばーばっ」
晴ですと俺が言うよりも先に、耳元で娘の大きな声が炸裂した。この子、いまなんて言った。頭が真っ白になるとはこのことだ。
「ばー」
「すすすす、すみません、違うんです。保育園に行き出してから園の子の影響受けちゃって、お年寄りは誰でもばー、あわッ、いや、違いますッごめんなさいッッ」
フォローしようとして盛大に自爆した俺に、サングラスの下から冷ややかな視線が突き刺さる。晴の馬鹿、俺の馬鹿と心の中で叫んでも、言ってしまった言葉はもう取り消せない。
「あの……」
「中野、行きましょう」
情けなくも俯いてしまった俺たちの横を、ヒールの音を響かせながら義母が通り過ぎて行く。
それは青天の霹靂でもあり、先送りにしていた俺たちの自業自得でもある、あまりに突然すぎる夏の再会だった。
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