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第38話
それからは、いつ先輩が来るかわからないおかげで緊張感が保てて、だいぶ寡黙で真面目なバーテンダーとして働いていたと思う。
場所が場所だけに、注ぐだけのドリンク類に加えて夜景に合わせた写真映えするカクテルを頼まれることもあり、普段とは違う環境に危うくテンパるところだったけど。
幸い変わった注文はムラサキさんで慣らされているおかげで余裕を持てた。
まったく、人生なにが役に立つかわからない。
「ジンフィズ」
そんな状況の中、一言端的に告げられた注文に一瞬だけ肩が跳ねる。
ジンフィズは、材料がシンプルがゆえに作り手のスタイルが出やすく、またシェイクやステアなんかの一通りの技術が詰まっているからか「バーテンダーの腕を試すカクテル」なんて言い方もされている。
お酒好きのお客さんはギムレットやマティーニで腕を試したりするけれど、どちらかと言えばジンフィズはもうちょっと専門的な見方をする時に頼まれたりする。
もちろんそれ自体は定番なものではあるからよく頼まれるものではあるんだけど、そういうわけだから一杯目に頼まれるとほんの少しばかり構えてしまうんだ。
まあそんな意地悪な目線で見る人なんて、最近はムラサキさんくらいしか会っていないけど。
とりあえず笑顔で承ってグラスを用意した。
いつも店で作るのとは少々違うレシピになるのは、用意されたもので作っている側としては仕方がない部分でもある。
ドライジンにレモンジュース、いつもは砂糖のところ今日はガムシロ、そして氷をシェーカーに入れシェイク。いまだにシェーカーを振っている時はバーテンダーしてるなぁとしみじみ思ってしまうのは秘密。
そして手早くグラスに注ぎ、ソーダを満たして炭酸が抜けないくらいに軽くステア。この一連の動作がどれだけスマートに、手早く手際よくできるかが同業者が同業者の腕を見るポイントになったりする。
だからこそ逆にそれが気になって外ではあまり頼めないんだよな。
「ふふふ、もしかして俺試されて……れ?」
独自の味の追及はまだ探っている段階でも、手際の良さはさすがに身についてきた。だからいかがでしょうかとグラスを滑らせ反応を見ようとして初めて頼んだ人を見て。
「なにぼーっとしてんだよ、夕」
一瞬、それが誰だかわからなかった。
いや一瞬じゃない。その人の瞳がこちらを見て、その唇が俺の名を呼ぶ声を聞くまで、俺はそれが誰かという想像さえできなかった。
「ムラサキ、さん……?」
名前を呼ばれ反射的に呟いたものの、その名と目の前の人がいまいち結びつかない。
だって、別人だ。
着ているものは緩いTシャツじゃなくて、カジュアルなドレススーツ。前髪を上げるように撫でつけた髪は無造作ながらにセットされ、普段隠している顔を晒してくれている。
厚い前髪に隠れていた顔は思っていた以上に整っていて、どうやら磨けば光るどころじゃないポテンシャルの持ち主だったようだ。
意志の強そうな太い眉毛と少しタレ目気味の目元。しっかりとした鼻と意外と厚い唇は確かにムラサキさんのものだけど、いつもは猫背気味の背中もシャンと伸びているせいで身長も少し高く見える。そのせいか、思っていた以上に若い気がする。
なんだこの極上なイケメン。
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