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第37話
「本当は田淵にも中のバーを受け持ってもらうはずだったんだけど、ギリギリでこっちにもあった方がいいってなってさ。急にもう一人探さなきゃいけなくなって慌ててたんだろうな。ホント、ちょうど手上げてくれた方がいたから良かったけど」
どうやら色々と苦労があるらしく、ため息をつく仕草さえ哀愁を帯びていてかっこいいんだから、まったくこの人は。
「おっと愚痴ってる場合じゃないな。申し訳ない。用意をお願いします」
一つ息を吐いたことで切り替えたのか、先輩はすぐに仕事の顔を作って頭を下げた。でもその頭が上がる頃にはまた先輩の顔に戻って。
「あと、デッキは寒いから、適当なところで中に入ってあったまるんだぞ。上着とかあるか?」
「過保護ですよ、先輩。俺もう大人ですから」
「わかってるよ。知らないうちにこんな立派になって。でも、なんか心配にさせるんだよお前は」
くしゃくしゃと俺の頭を掻き回すように撫でて、「あ、悪い」といたずらっぽく笑う先輩の笑顔は昔のまま。こうやってみんなに親しくて世話焼きだから、おのずと先輩の周りには人が集まってくるんだ。先輩なら立派な誘蛾灯になれる。
「じゃあまた後で様子見に来るな。足りないものとかあったらすぐ言ってくれ」
そんなことを言って颯爽と去っていく先輩。
その背をにこやかな笑顔を保ったまま見送って、その姿が見えなくなったところで体中の空気が抜けるようなため息が洩れた。
……うっそだろ……。
まさかこんなところで先輩に会うなんて。
しかもあの時のまま見事に大人になって、変わらないのにめちゃくちゃ大人の魅力に溢れてて、最高にイイ男になっているじゃないか。
色んな衝撃に思わず腰が抜けそうになってよろけてカウンターに手をつく。
噂をすれば、というやつだろうか。
それにしても、レンと話をして何年ぶりかにその名前を意識した途端こんな再会の仕方をするなんて。
本当に、困った。
絶対に船を下りるまでにいい男を捕まえようと意気込んでいたのに、そのタイミングで先輩に会うなんて、まるでくだらないことをしているなと釘を刺された気分だ。
まっすぐとかっこいい大人になった先輩が現れて、俺が選べない「正解」を突き付けられたような気になるのはたぶん俺の思い込みなんだろうけど。
それでも正直諦めていて良かった、と思ってしまった。
あのときに現実を見ずに夢を見続けていたら、大層こじらせて、それこそストーカーでもするような人間になっていたかもしれない。
「そう考えれば、俺ってかなり健全な人間じゃない?」
そして性欲の定期的な発散も健全な人生には必要だと思う。
最近は特に規則正しく生きている上に禁欲までしているんだから、仕事終わりに少しばかり楽しんだって全然悪いことじゃないはずだ。
……そう、誰にでもなく言い訳をして、ともかく真面目に仕事をこなすべく先輩の置いていったチェックリストを手に取った。
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