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第7話

「この間は君にしてやられたよ。狙ってたの?」  その顔に怒りはない。ぼんやりと天井を見上げたあと、視線だけがこちらに動いた。俺は少し気まずい気持ちで首を横に振る。 「いえ、たまたま」 「たまたまねぇ……。君は、誰にもバレずに宝が盗めるなら迷いなく手を出す人間だよね」 「……すみません」 「なんで謝るんだ。僕はそういう人間の方が好きだよ。良心って鎖に囚われてチャンスをただ口を開けて待つよりよっぽどいい」 「……はあ」  どう反応していいか分からず、俺は曖昧に返事をした。何が正解かは分からないが、素直に喜ぶってのだけは間違っているだろう。 「君が気に入ったんだよ。だから君を買ったんだ」 「口止め料ってことですよね。大丈夫ですよ、誰にも言いませんから」 「矢名瀬。お前、なにか勘違いしてないか?」  突然淡路の声が低くなって空気が重たくなった。悠然と座っていた彼が身を起こしてこちらに近寄った。そして低い声のまま、言葉を続けた。 「バレたらやばいのはお前だって一緒だろう。それなのにどうして僕が金を払うんだ」 「……俺と淡路さんとは背負ってるものが違うっていうか……」  思わぬ反論に言葉を窮した。情事の時は戸惑っていたから、男の部下に掘られたという事実はもっと脅えるものだと思っていた。だが隣の男は脅えるどころか強気に迫ってくる。 「へぇ。じゃあ、今ここで言ったらどうだ。俺は淡路と寝たって」 「いや……」 「ほら、言えよ」  組んだ足で脛を蹴られた。  俺は何も言えなかった。淡路の言う通り、あの情事は諸刃の剣だ。自ら暴露する勇気など持ち合わせていない。 「僕の立場は君の戯言ぐらいで崩れるもんじゃないんだよ。それぐらいどうだって出来る。どうだってね」  幾度も修羅場を潜ったであろう鋭い眼差しが間近で俺を刺す。獲物を狙う肉食動物と同じだ。狙われた無力な獲物はただ気配を消して相手が立ち去るのを待つ。間違っても相手に視線を合わせるなんてできない。  俺はじっとテーブルの端を見つめたまま動けなかった。  視界の端で淡路が煙草を灰皿に転がした。俺に戦う意志がないのを確認した彼は息を吐いて張り詰めた空気を和らげた。 「僕がね、君にお金を出したのは君を買うためだよ」 「買うって……」 「一回一万、五回分」  いっかいいちまんごかいぶん。  言葉の意味が分かっても事態が飲み込めず、言葉だけが脳内をぐるぐる回る。あの金の意味を知って足先から冷たいものが這い上がってきた。この人は俺を本気で買う気だったんだ。あと五回、いや四回か? とにかく何度もこの男と寝ないといけないということか? そんな売春婦みたいなことはごめんだ。  混乱する俺を尻目に淡路は笑いながら追い打ちをかけてくる。 「妥当な金額だろ」 「いや……、でもそんなの聞いてないし……」 「まさかあれが一回分のお金だと思ったの? さすがにあれに五万の価値はなかったと思うなぁ」 「いやでも……」 「まあ、無理強いは良くないよね。君が嫌だと言うなら諦めよう」  心の底から安堵する。それが言葉通りの意味ではないことなんて鉄壁のポーカーフェイスを見れば明らかなのに、俺はそんなことに気づく余裕もなかった。

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