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第1話

     1  ベッドは天蓋付きがいい。  こんなことを思う日が来るなんて二年半前までは想像もできなかったな……と、深山(みやま)凌(しのぐ)は小さく笑い、ふかふかの掛け布団を鼻先まで引き上げた。  以前は天蓋などただの贅沢な装飾だと思っていたし、そもそも知識として知っているだけで実物を見たことがなかった。もし寝転ぶ機会があったとしても、「落ち着かないので」と断っていただろう。まさか、むしろ落ち着くものだったなんて。 (よく考えたら、これって一種の小部屋だもんな)  天蓋布を引けば、まるで野外に張ったテントの中のような安心感。もちろんここは屋内だが、寝室が広すぎるせいで、ベッドが剥き出しだと心許なさを覚えてしまうのだ。  それは凌が貧しい家庭で育ったからだろうか。それとも、セレブな人たちもそういう理由で天蓋付きベッドを愛用しているのだろうか。 (貴砺(たかと)さんも天蓋付きの方が落ち着くのかな?)  ちらりと隣に視線をやると、最愛の伴侶は穏やかな寝息を立てていた。彼の特徴ともいえる力強い漆黒の双眸が見えなくても、その精悍さは隠しようもない。かっこいいな……としばらく見つめたが、瞼は閉じられたまま。深く眠っているようだ。そのことが嬉しくて、布団に隠れて口元を緩めてしまう。  圧倒的な力で人々の上に君臨するこのひと――塔眞(とうま)貴砺が、こんなにも無防備な姿を晒してくれるのは、たぶん自分にだけだから。  出逢った当初は、こんな穏やかな空気を共有できる関係になるとは微塵も想像できなかった。罠に嵌められたり、軟禁されたり、力ずくで手籠めにされたりと、なかなかハードなスタートで、その頃の凌はこのひとを憎んでいた。  貴砺は香港に拠点を置く日系一族の、本家の三男だ。  塔眞家は商社の経営により、表向きには経済界の実力者として世界中に名を轟かせている。しかしその裏で、中国の黒社会に絶大な影響力を持つと囁かれていて、それを感じさせられる場面に凌も何度も遭遇している。  一族の全体像はよく分からない。知る必要はないと貴砺から言われている。伴侶として悔しい気もするが、貴砺には貴砺の立場がある。知らずにいることが貴砺のためになるなら、悔しさくらい自分の中で処理してみせる。そして自分が必要とされていることに、ただ真摯に、精一杯取り組んでいこうと心に決めている。  そんなふうに気持ちを整理できるのは、自分にしかできない役割があるからかもしれない。  凌は『劉人(りゅうじん)』という、一族にとって宝のような存在だ。  塔眞家には不思議な力を秘めた家宝が三つ――『黒龍(こくりゅう)』『劉宝(りゅうほう)』『劉人』が密かに代々伝わっていて、そのうちのひとつ『劉人』と呼ばれるものだけが、生身の人間なのだ。 『劉人』は遺伝せず、いつどこに現れるか、まったく予測がつかない。  家宝である『劉宝』を用いて奇跡を起こせる人間のことをそう呼び、『劉人』は一族に繁栄をもたらすと頑なに信じられているため、一族は常に『劉人』を探している。  現在、確認されている『劉人』は凌ただひとりだ。  だから同性でありながら一族内では正式な伴侶として認められているし、『劉人』の能力を必要とする事象には凌が取り組んでいた。  役割があるというのは、とても重要だ。たとえ一族の全貌が見えなくとも疎外感を感じずにいられるのは、自分が『劉人』という替えの効かない役割を担っているからだと思う。  貴砺の役に立てている。このひとのパートナーと名乗って恥ずかしくない。その思いが凌を支えていた。  生まれ育ってきた文化や価値観の違いから意見が食い違うことも多々あるが、ぶつかり合って、互いに歩み寄ることで解決してきた。  凌のために変わろうと努力してくれる貴砺が愛しい。そして貴砺との生活の中で変わっていく自分が、照れくさいけれど誇らしい。  貴砺と出逢う前の自分がいかに狭量で、小さな世界に生きていたか……振り返って考えてみると、自分でも別人のように感じて驚く。  以前の凌は、家族だけが大事だった。  幼い頃に父を亡くし、母と四歳下の妹との三人でひっそりと寄り添うように生きてきたせいで、自分が家族を守るという気持ちがとても強かった。けれどその想いは、逆に家族への依存になっていることに自分では気づいていなかった。  気づかせてくれたのは、貴砺だ。正確には貴砺に軟禁されていた間に家族と距離ができたことで、思いがけない妹の強さや母の想いを知ることができたのだが、貴砺との出逢いがすべてのきっかけだった。  そしてはじめは憎んでいた貴砺の、孤独感や淋しさに気づいた時、このひとを抱きしめてあげたいと願った。この腕で、自分が、抱きしめてあげたい。他のひとに譲りたくない。それが家族以外に初めて抱いた特別な愛情で、その想いはやがて恋になり、またさらに深い愛を知った。

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