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 イオの家から南の方向へ進んでいくと、森はひととき終わりを迎え、丘陵地帯に差し掛かる。そこが、イオの小さな世界の終わり。その先へと行くことは、堅く禁じられていたし、決められたことを破ろうなんて思いもしないイオだった。  季節ごとに綺麗な花々が咲き誇るこの草原は、イオにとって、一人の淋しさを緩和することができる場所だ。  一人でいても、生きることには困らない。だけど、誰もいない淋しさだけは常に心の奥底にあった。 「ゆるして、くれるかな」  そうコスモスへ話しかけたイオは、「ごめん」とひと言呟いてから、一本ずつ丁寧に、咲く花達を摘みはじめる。 『お前が悪い』とナギは言っていた。  ならば、彼の態度が急変したのはきっとイオのせいだろう。摘んだ花を彼に渡して許されるとは思わないが、今のイオにはこんなことしか頭に思い浮かばなかった。 「ナギ……」  声に出してその名を呼べば、胸がギュッと絞られる。イオ一人では処理しきれない強い感情がわきだしてきて、目の奥のほうがツンと痛くなり、視界が奇妙に歪みはじめた。 「……イオ!」  それでも花を摘まなければと桔梗の花へ指を伸ばし、それを手折ろうとしたイオの耳へ、遠くから……自分の名を呼ぶよく知る声が聞こえてくる。 「あ……あ」  隠れなければならないなどとイオが思ってしまったのは、追われれば逃げる動物的な本能からくるものだった。しかし、急に立ち上がろうとしたイオは、激しい目眩に襲われ前へは進めない。再びその場へしゃがみ込み、小さな身体を震わせていると、土を蹴る音が近付いてきて、イオの背後でピタリと止まった。 「イオ」  頭上から響く男の声に、身体がビクリと震えてしまう。  昨晩よりはだいぶ薄れたが、鼻孔へと届く彼の香りに、熱を帯びる自身の身体がイオには理解できなかった。 「顔を……見せてくれないか?」  昨日までとはまるで違う、心配そうな優しい声音。弾かれたようにイオが背後を降り仰げば、「よかった」と呟いた彼が腕をこちらへ伸ばしてきた。 「ごめんなさい。ごめんなさ……」  反射的に身体をすくめて謝罪を紡ぐイオの姿に、驚いたように動きを止め、それからナギはそっと優しく長い黒髪へと触れてくる。 「どうして謝る」  うずくまるイオの前へ膝をつき、髪の毛を緩く弄びながら、そう尋ねてくるナギの表情は、涙の膜で歪んでしまい、おぼろげにしか見えなかった。 「花、渡そうって……怒って……から」  なにから言葉にすればいいのかも分からなくなってしまったイオが、今しがた摘んだ小さな花束をナギのほうへと差し出せば、「綺麗だ」と答えた彼はそれを受け取り、イオの頬へとキスをする。 「怒っていると思ったのか?」 「嘘、ついたから……」 「理由があるのだろう? もう怒ってない」 「本当?」  イオの涙を優しく拭ったナギの長い指先が、唇へと触れてきたから、イオは口を薄く開いた。これは、反射的な行動だから、性的な行為という自覚はない。 「上手だ」 「んっ……」  褒められたことがただ嬉しくて、イオは無心にナギの指先へ舌を絡める。薄れたとはいえナギの香りは、イオの思考を痺れさせ、甘い愉悦が臍の奥から背筋へと這い上がってきた。 「発情が終わっても、匂いは消えないのだな。おかげで探す手間が省けた」  花を傍らへと置いたナギが、何かを呟いているけれど、一心に指を舐めしゃぶっているイオの頭には入ってこない。ただ、怒っていないと言われたことと、優しいナギへと戻ったことが、心の底から嬉しかった。

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