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第1話
私の頭上を銀色に鈍く光る小さな影がかすめるようにして空に白線をひきながら滑っていく。おそらくあの機体はここではない別の街に炎の雨を降らせに行くのだろう、茜色に染まる遠いようで近くの空を眺めながら私は思った。第二次世界大戦とかいうのが始まって以来毎日こんなことばかりではあるのだが、今戦火の中にいるということにはまったく実感がなかった。
兵役訓練所からの帰り、鉛のように重くなった足を交互に持ち上げながら下宿先への帰路を歩む。私の父と兄は兵士として米国の戦場で命を落とし、母と一緒に叔父の家に入ったが、体の弱かった母はまもなく病に罹り、日を置かず亡くなってしまった。叔父も叔母も子供がおらずとても優しい人達で、私のことを実の子供であるかのように接してくれている。とてもありがたく思ってはいるが、やはり肩身の狭い思いをしていることは言うまでもない。その心中を叔父たちも察してくれているのだろう、来週からは学生向けの寮への入居を手配してくれている。
入寮日当日、叔父と叔母は寮の部屋の前までずっとついて見送ってくれた。その少し寂しそうな表情を見ると私は心苦しく思った。
この寮は二人一部屋の相部屋で私のルームメイトは半年前に入った私と同い年の学生だという。私は荷物を抱え、緊張しつつ部屋の扉を開けた。
「し、失礼…」
そう声をかけて部屋に入ると勉強机に向かう例のルームメイトと目が合った。
「よろしく、僕は新井久之。」
「よろしく。俺、吉野康介。」
「君のベッドは下だよ。机は左。荷物は好きなところにおいて。」
「あ、うん。」
部屋は10畳ほどの広さで奥の壁に大きめの長細い窓がはまっていて、そのすぐ下に背の低い学習机が二つ並んでいる。玄関からみて右手に二段のベッドが置かれていて、それ以外の場所には物が散らかっていた。どうやら本当に”好きなところ”置けばいいようだ。
「康介は訓練場どこ?」
「自分は牧校の校庭です。」
「じゃあ、俺たち一緒だ。」
「そう…ですか。」
「そんな硬くならなくてもいいのに。」
「あ、うん。」
苦手だな、と思った。私はあまり会話というものをしてこなかっただけに感情を露出させたり、人とコンタクトをとるということに関して極端に苦手であり、特に初対面の人間が相手となると尚更だった。
私は荷解きをするふりをして新井との会話を断ち切ろうとしたのだが、彼は私とは対極の人間なのだろう。基本的にはずっと何かを話しかけてきていた。どこから来たのか、趣味はあるのか、こちらも少し慣れてきて適当に答えていると、部屋の戸を叩く音があった。
「ちょっとー?今日の食堂係!」
続いて聞こえてきた女性の声に首をかしげていると、小さく新井が
「あ、忘れてた…。今行く!」
そう言うと慌ただしく部屋を出ていこうとしていたので、どういうことかと尋ねると
「この寮では食堂の食事の用意は持ち回りで担当するんだよ。」
「そういう大事なことはだな…。」
「文句は後で聞く!」
私が言い終わるより先にさっさと彼は部屋を出て行ってしまっていた。
台所につくと、彼はすでに下ごしらえを始めていた。遅れた私も手を洗いながら
「何をすればいい?」
「ここにある野菜の皮むきを頼む。あとはてきとうに切ってくれ。」
「わかった。何を作るつもりなんだ?」
「あり合わせでてきとうに作る。」
「そうか…」
「ところでお前今まで交際はしたことあるか?」
「……それ、今関係あったか?」
「ないんだな。」
「勝手に決めんな。」
「あるのか?」
「……。お前はどうなんだよ。」
「さぁて、そろそろ火を通すかなぁ」
「おい。」
「そ・れ・で?何をどうしたらこんなにまっずいものつくれるのかしら?」
眉間に深い皺を寄せながら一人の女学生が私たちに向かってブーブーと文句を垂れている。彼女の顔は笑っていたが、目は笑っていなかった。原因は言わずもがな、目の前にあるお椀の中身だ。そんな彼女の文句に対して新井も新井でぶつくさと
「そんな…ド直球に言わなくてもさぁ…。」
と言い返した。
「じゃあなんていえばいいのかしら?こんなの人間の食べ物じゃないわよ!こんなのに使われた食材が可哀想よ。」
なにおう!と言い返そうとする新井を私が軽く窘めると今度は彼女の怒りの矛先が私に向いた。
「あんたもあんたよ!」
「へっ?」
「一緒に作業してたんでしょ?横で見てたのに何でこんなことになったのよ!?」
「あ、いや、慣れた様子だったから…。」
「だったとしてもよ!味見もしてないの?」
「「…。」」
「味見もしてないようなもの出したの!?もう、どうなってんのよ!!」
いよいよが尾を真っ赤にして怒鳴りだした彼女をなだめるものはこの場にはいなかった。そのまま彼女の気の済むまでこっぴどく文句を言われ、解放されたのは別の人がもう一品作り、それを全員が平らげるほどの時間が過ぎた後だった。
食堂での一幕のあと、ようやっと部屋へと帰ってきた私は何か一言文句を言ってやろうと新井のほうを向くと、もうすでに床に入り、寝息を立てていた。
「なんで寝てるんだこいつは…。」
私から浴びせかけられる怪訝な視線にも気付きもせず、気持ちよさそうにすーすーと呑気に寝入っている姿を見ていると、悪戯心というか、妙な嗜虐心が湧いてきた。
頬を少しつついてみる。思いの外弾力があり、まるで子供の様なぷにぷにとした感触があった。思わず顔を覗き込んで見る。
「こいつ、意外にかわいい顔を…。」
思えば、ここにきてから一度も彼の顔をよく見ていなかったことを思い出した。そのまままじまじと見つめていると
「そうか、お前はそういう趣味があったんだな。」
「えっ。おま、起き…?」
「へーぇ?なるほど?」
「ち、ちが…。そ、そんな目で見ん…な。」
「…。」
「…。」
「…えっち。」
「…ッ⁉」
「痛ッ‼ねぇ、ねぇ……?」
その後もしつこくあーだのこーだのと言ってきたが、私は無視をしてそのまま眠りに就いた。
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