1 / 17

1年生編:第1話:新入学

 初春、一枚の桜の花びらが視界の中を舞い散る。横を向けば大きな桜の木、それをゆっくりと見上げると視界いっぱいに桃色の花びらが広がる。綺麗に咲き誇る桜を見ていると苦しかった受験生活を忘れさせてくれる。そんな桜の木を通り過ぎ見えて来たのは一つの五階建ての大きなレンガの建物。その建物の門には”駿河学園高等部寮(するががくえんこうとうぶりょう)”の表札。表札を見て間違いがないことを確認してから門内へと足を運ぶ。新しい生活への期待でウキウキと心躍る気持ちが自然と足を速めていた。 「治弥ー! 部屋割り出てるよ!」  寮の玄関先の連絡板に部屋割りの紙が新入生の全員分連なられて貼られている。 浮足立って小走りに連絡板へと向かいながらも一緒に入学する治弥へと声を掛ける。そう俺、泉 明都(いずみ あきと)とその幼馴染みの花沢 治弥(はなざわ はるみ)は、長い受験生活を終えて、念願の私立駿河学園高等部に合格。この高等部は全寮制で、入学式の前日に入寮することになっている。 「んー? 入寮案内書にも書いてあっただろ?」 「一応、確認しないと」 「明は113号室、俺は114号室。今更見てもかわりませーん」  そりゃぁ。変わらないけど……。治弥と同じ部屋が良かったな。昔からの仲だし、何かと楽なのに。そんな事を思いながらも張り出されている部屋割り表の自身の名前を確認する。自身の名前を見つけ同じ部屋ではないことを再確認すると心は自然と落胆する。隣へと立つ治弥を見上げては小さく言葉を漏らしてしまう。 「治弥と一緒が良かった」 「俺は一緒じゃなくて良かった…」  言葉を漏らした俺に一度目線を向け再び部屋割り表を見上げる治弥は、"色々と"と小さい声で付け足していたのを俺は聞き逃さなかった。聞こえていたのが俺の表情に出ていたのか、それに気付くと治弥は苦笑に顔を歪め、宥めるように俺の額を軽く指先で小突く。小突かれると無意識に治弥睨んでいた。  どうせ、俺の面倒見なくて済むとか思っているんだ。 「治弥のばぁあーかっ!」  俺が投げ付けた言葉に反応もせずに、治弥はそのまま俺をその場に置いて寮の玄関へと足を進めていた。   ……治弥の馬鹿 -1-  明は何も分かっちゃいない。  家が隣同士で、親同士も仲が良いから、幼いときから常に一緒にいた。幼稚園も小学校も一緒で、何をするのにも一緒でそれを嬉しく思い、自らも望んで明の傍にいた。昔はこの感情がなんなのか分からずに、ただ隣で笑う明を愛しく思っていた。  常に隣に居る存在、隣に居るのが当たり前。年数が経つにつれて、隣に居るだけでは満足出来なくなっていった。思春期になった俺は、この感情が男の明に対して持つことは、世間体には許されない事を知った。  この感情は明に気付かれてはいけない、気付かれたら明が隣に居なくなる。隣に居るだけではもう満足出来ないけれど、傍に居なくなることの方が耐えられない。だったらこの感情は、押し殺す。だから、同室じゃなくて丁度いいんだ。  もし、同室だったら……。  自分を止める自信がない。 「はぁーるぅーみぃ!!」  先に寮に入った俺を明が大声で呼びながら追い掛けてきた。部屋割りで宛がわれた部屋の方へと続く廊下を他の新入生の視線を集めながら明は走ってくる。 「はぁーっ、もー! 同じ部屋じゃなくても、隣の部屋なんだから置いてくなよ!」 「…………」  追いかけてきてくれた事の嬉しさに、表情の緩みを抑えながら明の顔をジッと観察する。なんでこんなに可愛くて男なんだ?  目はクリクリの真ん丸で、背は、本人は165はあるって言ってるけど……。ないな。そこら辺の女子より可愛いこの容姿と、この懐っこい性格がいけないんだ。俺の感情がおかしいんじゃない。そう思いたい。 「なっ、何?」 「別に」  不思議そうに明は、俺と視線を合わせながら問いてくるのを、首を軽く左右に振り短く返答する。明は一度首を無言で傾げるも、直ぐに気にする様子もなく、自身の部屋へと足を進み始める。一つ一つ部屋番号を確認しながら進み続ければ、該当の部屋へと到着する。明の部屋のドアの前で足を止め、部屋番号の下の名前の表札を確認する。 「俺の同室の人は……、ごじゅうあらし…くん?」 「明……それは、"いがらし"って読むんだぞ」  113号室のドアに付けられているプレートの明の名前の隣に書いてある名前を読む。五十嵐 昭二(いがらし しょうじ) 、明の名前と一緒に並んであるその名前に少し、嫉妬。 「治弥の同室は……?」  隣の部屋である俺の部屋の方へと同室の名前を確認しに、明は足を向ける。俺はそれについて行き、その名前を読み上げる。 「武藤 朋成(むとう ともなり)」 「武藤くんいいなぁー。治弥と同じ部屋」  唇を尖らせる明は羨ましげな表情を浮かべながら、その名を見つめ小さく呟いていた。    まだ言ってる…。本当……何も分かっちゃいない。 -2-  いいなぁ……、同室。本当に治弥と同室が良かった。入寮案内書が家に届いた時、一番に確認した。治弥と同じ部屋番号なのかどうか。結局は隣って事でしばらく落ち込んだけど。同じ中学出身では望みは薄かったから、期待はしてなかったけど、もしかしたらってどっかで期待してた。  俺のルームメイトどんな奴だろう? 話しやすい人だといいけど。 「明。荷物一人で片付けられるか?」  自分の部屋の前に移動して緊張しながら、ドアノブに手を掛けたままでいると、その様子を見ていたのか治弥の声が耳に届く。治弥の方を見ればどこか馬鹿にしたような表情で治弥は俺を見ていた。 「それくらいできる!!」  治弥はすぐ俺を子供扱いする。判ってるけど、小さい頃から治弥は俺の事を、助けてくれている事に気づいてるけど、同い年なのになんでこんなにも差がある。俺が苦戦して実行することを、簡単に成し遂げてしまうのが治弥。治弥からしたら俺はきっと、手間の掛かる幼馴染でしかないんだ。 「片付けた物は、どこに片付けたか分かるようにしろよ。俺、一緒に探してやんねーぞ」  また子供に言い聞かせるような発言をしては、治弥は俺に片手を二、三度振りながら自身の部屋へと入って行った。 「べーーっだ!!」  なんだかそんな態度が無性に腹立たしくて、俺は治弥の部屋の方に向かって、声が部屋の中に届くように言い放っては舌を出していた。自分の部屋のドアに、身体を向き直す。深く息を吸っては、ゆっくりと吐く。緊張しながら俺は、そのドアをゆっくりと開けた。  部屋のドアを開け、部屋内を見渡すと一人の人物が荷物を片付けていた。きっと、同室のごじゅう……違う、五十嵐 昭二君に違いない。背負っていたリュックを部屋の入り口に下して、靴を脱ぎ、備え付けの下駄箱の中へと並べる。部屋の中に足を踏み入れて、その人物に近づく、座ったまま片づけをしているその人は、俺に気づかない様子だった。その隣に正座をし、後ろから覗き込み顔を確認しながら、俺は緊張したけど声を掛けた。 「あっ、あのぉー……。お……俺、同室になった泉 明都です、一年間よろしくお願いします!!」  軽く会釈し言うと、振り向いた彼は驚いたようで目を見開いて、暫くじっと俺の顔を見てから、彼は表情を和らげ口許を緩めて笑った。 「五十嵐 昭二。昭二でいい……、よろしくな?」  言いながら彼は手を差し出してきたから、俺はその手に答えた。 「俺も明都でいいよ」  良かった……。優しそうな人だ。 -3-  ああ、やって、本気で怒る辺りが可愛いんだよな……。ホント、可愛い。部屋の外で明が騒いだけど、そのままにして部屋の中に入る。明の騒いでる声はホント、子供くさくて思わず顔が緩んでしまうのを止められなかった。 「……いいことでもあった?」  初対面の相手に開口一番に言われてしまうぐらい、顔が緩んでしまっているらしい。ドアを後ろ手でゆっくりと閉め、靴を脱いで部屋に足を踏み入れる。俺の段ボールであろう荷物の上に、持っていた手荷物のカバンを置く。 「いや。……武藤朋成君でいいんだよな?」 「朋成でいいけど……。そっちは花沢治弥君?」 「俺も治弥でいい。よろしくな」 「うん、よろしく」  その段ボールの荷物を、開けやすいように移動させながら言葉を交わす。荷物って言っても、家具などは備えつけだから、自分の服や勉強道具等を箱から出すだけ。  ダンボール箱で三つ位。冬になれば、ここにある服を実家に送って、実家から冬服を送ってもらう。一年ごとにクラス替えと部屋替えがあるから、そうしないと、来年移動が大変になる。  明はどうするかしらないけど……。ダンボールが七つだったのを、俺が三つに減らしてやった。何を入れたらあんなに荷物が多くなるのか不思議なもんだ。手荷物のリュックも相当重そうだった。 「よし。終了」  ダンボールを一通り片付けた。あとは後々、使いやすいようにしてけばいい。決めたわけじゃなく話し合いをしたわけじゃなく、二つ並べられた机はどちらが使うのか自然に決まって、窓際の方が俺の机になっていた。その学習椅子を引いて座り心地を確かめるよう腰を下ろす。 「このあとは、……説明会だっけ?」  丁度同じように片付けが終わった朋成が話しかけてくる。机の方を背にし椅子を回転させ朋成に身体を向き直す。 「食堂に集まるんだよな?」 「ちょっと早いけど行く?」 「んー……、俺は隣によってから行くから、先に行っててくれるか?」  明のことだから、まだ終わってないだろうしな。明の事が気がかりで、俺は悩んでからそう答えていた。 「……隣?」 -4-  これは……ここで、これは……ここ。  んー? 違うかな……、こっちかな?  勉強道具とかを机の引き出しにしまっては、何か違和感がありまた取り出し、違う場所に仕舞い直す、その繰り返しを何度もしていた。そんな時、ドアが小さく音を立てて来客を知らせる。俺は来客を出迎える為に、振り向き立ち上がろうとすると、それを昭二は静止した。 「明都いいよ。俺が出るから」 「う、うん。…ありがとう」  既に片づけが終わっている昭二が、ドアに向かって行ったのを目線で確認すると、俺はまた荷物の段ボールに向き合い片づけを再開させる。 「……ごめん。明いる?」  背後から聞き慣れた治弥の声がして、俺は振り向いた。治弥も部屋の中を申し訳なさそうに覗き込んでいて、俺と視線が絡み合う。治弥の顔を見たら、なんだか安心して、俺は情けなく治弥の名を呼んでいた。 「はぁーるぅーみぃー……」 「やっぱり終わってない」 「だって……」 「わかった。手伝ってやるから。……わりぃ、お邪魔します」  治弥は、昭二に一礼してから靴を脱ぎ部屋に入ってくる。一直線で俺の元に来ると、治弥は驚いた表情で、俺の段ボールの数を指折りで数えていた。 「……荷物減らしてやったのになんでまだこんなにあるんだ?」 「うー。だって、必要かな? って思ったらこんなになった」 「……あほ」  立ったままの治弥は、呆れたように言葉を呟いて、座っている俺の頭に片手を置いた。 「あーー! あほって言ったー! 今、あほって言ったな!!」 「分かったから、早く片付けるぞ」  俺が抗議するのに気にする様子もなく、治弥はまだ手も付けていない段ボールのガムテープを器用に開け始める。次々と空になっていく段ボールを俺は畳むだけで精一杯で、気付いた時には、俺があれ程片づけ直していた机の中身が使いやすい位置に勉強道具が置かれていた。タンスの中身を種類別にどこに何を入れるのか、俺に言い聞かせながら治弥は次々と仕舞っていく。 「よし。終わり」 「……さすが治弥」  畳んだ段ボールを束にして、部屋の隅に片づけているうちに、俺の荷物は簡単に設置されていた。 「明都? 知り合い?」  すっかり片付けるのに夢中で、昭二の存在を忘れていた。声を掛けられて昭二に目線を向ける。疑問符を頭に浮かべている昭二の様子を見て、慌てて治弥の腕を引く。 「あっ! ごめん、しょっ! んぐぅ!?」  俺が治弥を紹介しようとすると、治弥に口を手で抑えられ話せなくなる。 「俺、明の保護者だから、よろしく」  保護者ってなんだよ!! って言いたいけど、口抑えられてて話せない俺。目線だけ昭二と治弥の顔を交互に見比べる。 「へぇー。俺、五十嵐 昭二。よろしく」  昭二は治弥の顔をじっと見ながら言っていた。  どうしたの? 二人とも?  一見普通の挨拶に聞こえるけど、その漂わせている雰囲気は、どことなく違って感じた。さっきまでの俺の荷物を片付けている治弥とは変わって、表情がちょっと怖くになってる。 「治弥?」  治弥の手が俺の口から離れ、話すことが自由になった俺は治弥に問い掛ける。 「明行くぞ」 「どこに?」 「……食堂」  あぁー、説明会。治弥の答えを聞き、食堂で説明会するって入寮案内書に書いてあった事を思い出す。早く部屋から出ようと、治弥は俺の腕を引き歩き始める。引きずられるように付いて行きながら、目線は昭二を捕らえる。 「昭二も一緒行こう?」 「あぁ」  折角だからと昭二も誘ったら、俺の腕を掴む治弥の手の力が、強くなった気がした。  気のせいかな? -5-  あいつ……。片付けてる間、ずっと明を見てた、俺と目が合えば誤魔化すように目線を逸らして、宙へと仰ぐあいつの目線。 気付かない振りをして、片づけを再開させれば俺を睨む。そういう事ね……。  同じ感情を持つ人間というのは解りやすい。  食堂に着き朋成の姿を探し、食堂内を見渡す。食堂の端の方で朋成の姿を見付け、新入生の人混みをかき分け、明の腕を引きながら朋成の元へと急ぐ。 「待たせた」 「今度は、何か嫌な事あったの?」  俺は、そんなに顔に出るのか? 俺の言葉には朋成は気にしてないというように首を左右に振るが、仕草とは裏腹な言葉が返ってくる。 「治弥の同室の?」  そんな様子を見ていた明が俺の後ろから、ひょいと顔を出し朋成の顔に目線を向けたまま聞いてくる。 「武藤 朋成です。よろしく。……隣の子?」 「俺の幼馴染み」  朋成は軽い調子で挨拶をすれば、明を指差しながら聞いてきた。 挨拶をされると明は俺の背後から姿を出して、朋成の前に歩み寄り目を細めて笑みを浮かべた。 「始めまして! 泉 明都です」  明は小さく会釈をし、自己紹介をする。そのままついてきていた五十嵐に目線を向けると、明は続けて紹介した。 「こっちは俺の同室の、五十嵐昭二君ね」 「よろしく」  明の紹介に合わせながら、一言言うと明と同じように会釈をしている五十嵐。一通り挨拶を済ませると、説明会が始まるだろう時間になったことに気づき、俺たちは食堂の空いている席に適当に座る。  当たり前のように明は、俺の隣に座った。 テーブルを挟んで俺の向かいに朋成、明の向かいに五十嵐が座る。 暫くすると、三年の寮長と管理人が出てきていろいろ説明している。 門限だの、点呼時間だの、消灯時間だの。 外泊は許可が必要。 年末年始だけは寮が閉鎖されるらしい。食堂の利用方法とか寮の規則を、次々と説明していく。大抵は事前に送られてき、入寮案内書に記されている通りの事だった。 「年末年始は実家に帰れって事かな?」  明がコソッと話しかけてくる。 「……だろうな」  夏は部活とかある奴がいるから開いてるらしい。 「実家に帰っても、明の面倒を見るのは変わんないしな」 「なんだよそれ!?」  明は冗談っぽく俺の座る椅子を、ガダガタと蹴り始めた。 そうこうしてるうちに、寮の説明は終わった。 -6-  説明会も終わり皆が部屋に戻る中、治弥に呼び止められる。 「何?」 「ジュースでも飲むか?」 「奢ってくれるの?」 「しょうがないな…」  治弥はポケットから小銭をいくつか出して、俺に差し出してくる。自然にそれを受け取ってしまう。 「え? パシリ!?」  治弥は俺に小銭を渡すと、何も言わずに手をヒラヒラさせて、早く買いに行けと急かしてきた。  奢ってもらえるのだからと、仕方なしに廊下に出る。食堂より少し廊下を歩くと、売店の前に自販機が見えてくる。その自販機の前に人影を見掛け目を凝らして確認する。自販機の前に立っている人物は、昭二だということに気づき俺は駆け寄った。 「あれ? 先に戻ったのかと思ってた」 「明都がいつの間にか居なかったから、何かあったのかと思って」 「治弥とジュース飲むだけだよ?」  昭二からの問いかけに受け答えをしながら、右手に握りしめた小銭を確認する。一枚一枚自販機の中に入れてボタンが光るのを待つ。  今時珍しく百円で買えるんだ?  そんな事を思ってると、左右の視界に腕が伸びてきた。 「昭二?」    え? なにこの体勢?  俺の背中にピッタリとくっついて、横から逃げられないように両手が自販機を抑えている。 「俺さ……、好きなひと出来た」 「へ……、へぇー」  でも、なんで話の内容とは関係ないこんな体勢? 「一目惚れなんだ」 「うん? ……頑張ってね。」 「明都は応援してくれる?」 「う? ……うん」  だって、同室だし。入寮して始めての友達だし。治弥は除くけど。そう俺が返事をすると、昭二の右手が俺の顎を掴み目線を合わせられる。 「え?」 「じゃ、……応援よろしく」  何もなかったように俺の頭を軽く撫でつけて、そう言うと昭二は身体を離して部屋に戻って行った。  えっと…。今のは何? 顎を掴まれて少し顔だけを後ろに向かせられて……。頬に昭二の唇が微かに触れる。   ―――……一目惚れなんだ  確に昭二はそう言ったけど……。  だからってなんでこの行動に繋がるんだ?  自販機のボタンを押すと、誰もいない廊下に、ジュースが落ちる音だけが鳴り響いていた。 -7-  正直、五十嵐 昭二と同じ部屋に帰したくなかっただけだった。  今までも、明にちょっかいをかけて来る奴はいたけど、女と間違えたりとか、可愛いってのでチヤホヤしてるだけのやつとか。たまに男だと判っても本気な奴もいたけど。  全部未然に防いできた。全ては明が俺の隣に居たから出来たこと、今更ながら同室だったら良かったと思う。 「はぁーるぅみぃ……」 「うっわ! なんだ!?」  ジュースを買いに行っていた明が、両手にジュースを持ったまま背後から俺に抱きついてきた。振り向けば直ぐに身体を離し俯いている明。 「俺……分かんない」  立ったままの明の顔は座っている俺からは俯いていても表情を確認できる。落ち込んでる表情でもなく、悲しんでる表情でもなく、何処か混乱している表情。 明の両手を自分の両手で包み込む、顔を覗き込みながら優しく問いかける。 「どうした?」 「昭二が……。一目惚れしたって」  目線を上げた明は小さく声を出した。 「……誰に?」 「分かんない……」  俺は明を隣の席に座らせてやりジュースを受取り蓋を開けた。 「分かんないって」 「でも、俺……ホッペにチュウされた。」    はい?  ほっぺにチュウだと!!!!! 俺もしたことないのに!!!!! 「俺………からかわれたのかな?」  そして、気付いてない鈍い明に少し感謝。なんで、どうして、いつの間にそうなる?  今日の今日だろ!! おい! アイツ……手早すぎ。 同室………マジで心配になってきた。 「なぁー? はぁーるーみぃー……」 「からかわれたんだろ?」  俺は、明の頭を撫でてやりながら、一年間が無事に終わるのを願った。 -8-  はぁ……。結局昨日は、ドキドキしながら部屋に戻ると。 「明都早かったな?」  普通に何もなかったように出迎えてきた昭二。 「さっきの? 応援してくれるお礼。深い意味はないけど?」  しどろもどろになっている俺に気づいて昭二は笑いながらそんな事を言ってきた。俺が深く考えすぎ? 気にしすぎ? ……なんだね、きっと。 「明ー、準備出来たかー?」  ドアの外から治弥の急かす声が聞こえる。早く行かないと入学式が始まってしまう。俺は首元のネクタイを何度も結び直す。 「…………」  新しい制服はなんだけど……、なんて言うか。 ブレザーの制服で中学とは違いネクタイがゴムじゃないんだ。 中学の時はゴムで簡単につけることが出来た。まさかこんなにネクタイを結ぶのが難しいと思わなかった。 「明都? ネクタイ出来ないのか?」 「う……うん」  そんな様子の俺に気付いて、昭二がネクタイをしてくれる。慣れた手付きで、ネクタイを締めてくれる昭二。それを眺めながら俺は言葉を発していた。 「上手だね」 「うちの中学は、ゴムじゃなかったからな」  ネクタイを簡単に結び終えると、昭二は笑みを浮かべながら俺の前髪を軽く整えた。  準備も出来て部屋を出る。部屋の外には廊下の壁に寄りかかり治弥と朋成君が待っていてくれた。 「よく、ネクタイ出来たな?」  うっ。ばれてる。俺のネクタイの結び目を治弥は軽く指先で突いて聞いてくる。 「うん。…昭二にしてもらった」  突いてくる治弥の手を握り答えると、一瞬、治弥が怒ったような表情を見せたが、すぐにいつもの笑顔に戻る。 「今日帰ったらネクタイの特訓な」  俺の頭を撫でながら治弥は笑顔で言った。 「はい。よろしくお願いします」 -9-  ネクタイ ネクタイ ネクタイ  あぁーもう!!!!!!!  入寮前に教えておくべきだった。  寮と学校は目と鼻の先、歩いて五分ぐらいだ。 「明ちゃーん」  学校に到着すると校門の前では、俺の母親と明の母親が待っていた。 明の母親が明を呼ぶ。明は一人っ子だから両親には大事にされている。 「治君。明ちゃんをよろしくね」 「いえ、こちらこそ。明にはお世話になってます」 「何で礼儀正しいの? 治弥」 「入学式ぐらいは礼儀正しくしなくちゃね。治はいつもいい加減だから」  そう言いながら、俺の母親は明の頭を撫でていた。俺の母親も明の事は気に入っていて 、明の母親と一緒になって甘やかしている。 「明ちゃんも、ちゃんと治君の言うこと聞くのよ?」 「お母さん……治弥を信用しすぎ」  頬を膨らませては、明は拗ねた様に言う。いつもの事だから、母さん達は何も気にしてはいない。むしろそれが可愛くて見たくて言っている。心配なのは心配だから校門で俺たちが来るのを待っていたんだと思うけどな。朝から母さんにメールもらったし。明をちゃんと起こすようにって。我が息子の心配よりも明の心配が優先だからな、母さん。 「じゃぁ……お母さん達はもう式場で待ってるね」 「明ちゃん、ちゃんとするのよ」 「分かってるよ!」  母親二人は俺たちに手を振りながら体育館へと移動していった。 「治弥を信用しすぎだよ…」 「日頃の行いがいいからな」 「……ぶっ」 「朋成?」 「朋成君笑いすぎだよ……」  母親達とのやり取りを遠慮してか距離を取って遠くからで見ていた朋成は、片手で口を押え声を殺していたが、肩が揺れているから笑っているのは明にでも判る。 「ごめっ! ……仲良いね。うちの母親なんてきっともう体育館だよ」  謝るけれども笑う事は止められずにいる朋成を引き連れて俺達は校舎へと足を向けた。 -10-  新入生は寮の部屋割りがクラス事になっているから自然に同室の者同士が仲良くなる。教室に着きドアを引いて中を見渡すと、やはり同室同士話ている人が多かった。 110号室から129号室までが一年A組。みたいな感じで、だから俺と治弥は同じクラス。  席順は出席番号順になっているようで窓際から指差し数え、自分の席を確認する。席まで移動すると、机の上には入学案内書や、生徒手帳、胸につける花まで置いてある。 「あれ? 昭二、俺の前?」 「五十嵐に泉だからな」  出席番号が前後なのがちょっと嬉しかった。席に腰を下ろし黒板を見るが、何か落ち着かない。これからの学校生活に不安と希望とが入り混じってて、すごく複雑な気持ち。落ち着かずに机の上にある花を指で弄る。 「花つけれるか?」  後ろを振り向き昭二が聞いてくる。昭二の声に花へ向けていて目線を昭二へと変えて答える。 「うーん? ………無理っぽい。」 「明都は不器用だな……」  そう言いながら、昭二は俺の手から花を受け取ろうとした時。 「俺がつけてやる」  あれ?  脇からいつの間にか傍に来ていた治弥が昭二から花を取り上げる。 「これぐらい、自分でやれよ」 「だぁって……」  俺の右の胸元に治弥は花をつけてくれた。”祝・新入学” そう書いてある花飾りは斜めになることなく俺の胸元で揺れていた。 「だってじゃない!」 「べーっだ」  俺の頭を軽く叩く治弥。その手を両手で掴んで少し対抗。その仕草を見て治弥は笑っていた。 「んんっ、ごっほん!」  わざとらしい咳払いに我に返り、その方向に目線を向ける。皆の話声でざわついていた教室内も静まり返っていた。 「入試トップの花沢治弥君? 貴方の席はあっち」  いつの間にか教室に担任の先生が来ていた。 治弥の席を指差し担任はそう告げる。 「はい。はい」  治弥はばつが悪そうに頭をポリポリと軽く掻いて席に戻って行く。 それにしても、入試トップって……頭良いのは知ってたけど。  ―――治弥凄すぎ。 -11-  席まで前後かよ! 花沢の姓を呪うよ? 俺は……。気が気じゃない。担任の入学式の説明も半分で聞いて、明達を横目で見ていた。五十嵐は平然と明に何度も話し掛けている。明は笑ったり驚いた顔をしたりとこっちから見ると楽しそうだった。  視界の端には、肩を震わせ笑いを堪えている朋成。分かってるよ。……また俺、顔に出てるんだろ?朋成を軽く睨むと声に出さずに朋成は両手を顔の前に合わせて”ごめん”と言ってきた。担任の話なんてまったく耳に入らず、明が気になり何度も明を見る。 「花沢君? ……花沢治弥君!」 「うっわっ! は、はい!」  そんな時、急に担任に呼ばれて驚いて思わず俺は席を立ち上がった。 「新入生の挨拶、ちゃんと準備は出来てますか?」 「あぁー。一応大丈夫です」  担任の問いかけに首を縦に振り答えて席に着く。面倒くさい。入試、もうちょっと手抜けば良かった。明のレベルに合わせてこの学校にしたんだよな。 「俺も治弥と同じ学校受ける!」  そう、明が言い出した時は、嬉しかったな……。明も俺と同じ気持ちで居てくれた事に嬉しさを感じた。でも担任は困ってたけど。明が受かるであろう志望校のギリギリのラインを上げて、俺は四つくらいまで下げた。  正直、明と一緒の高校ならどこでも良かった。明を楽させたいからもっと下げたかったけど、中学の担任が許してくれず。それで決まったのがこの駿河学園だっただけの話。ギリギリまで上げた明は毎日の猛勉強。そんな明を近くで毎日見てたら、必死に受験勉強してんのに俺が落ちるわけにいかないと思って、本気を出してしまった。  それがこの新入生の挨拶をする羽目になった結果。  ―――あぁー面倒。 -12-  新入生の挨拶だって。凄いや治弥。  俺達は入学式に出るために、廊下に列で並ぶ。 出席番号順に並んで半分から次の列に並ぶと丁度隣に治弥が来た。 「…明」 「なんか変な感じ…」 「なんだそれっ」  体育館へと入場する。二階の観客席には父兄が座っている。一学年8クラスあるこの駿河学園では新入生とその親を体育館の競技場では収まらない為、父兄は二階観客席に座っていた。観客席に目線を向けると俺と治弥の母親達が手を振っていた。  入学式開式の挨拶が終わり並べられたパイプ椅子へと腰を下ろす。校長の挨拶やら難しい話が次々と続く。在校生の挨拶が終わると。 「新入生の挨拶。代表一年A組花沢治弥」  隣に座っていた治弥は返事をすると立ち上がり真剣な表情で壇上へと向かう。 壇上に向かう姿はやっぱり男前で、男の俺でも見惚れてしまう。なんて、思っていると。 「入試トップがやるんだろ?新入生の挨拶って」 「すっげぇーなぁ……」  周りからそんな声が聞こえてきた。  えへへ。すっげぇーだろう? 俺の自慢の幼馴染みだぞ!  治弥が幼馴染みで本当に嬉しく思うよ。俺は……。 自分の事を言われてるわけではないのに何か誇らしげになっていた。 「苦しい受験勉強を終えて、私達は無事にこの春を迎えました……」  なんて真面目な事を凛々しい顔で話す治弥。あの文章って治弥が考えたのかな? だとはしたら、いつのまに考えたんだろ? 考えてるとこ見てないなー。 「――在学生の先輩方、担任を含め教師の皆様、どうか暖かいご指導よろしくお願いします。新入生代表一年A組花沢治弥」  一礼をして壇上を降りる治弥。席に戻ってきた治弥に気になったから俺はコソッと問いかける。 「いつ考えたの?」 「ん? 今」  原稿と思われた紙を受け取るとそれは、白紙だった。どんだけだよ。治弥。 -13-  あぁー、やっと終わった。  やっぱりこういう肩苦しいのは嫌いだ。入学式も終わり体育館から退場すれば、皆、緊張から解放され安堵の表情を浮かべながら、教室に向かう為廊下を歩いている。入学式に向かう時とは違い帰りは担任が付き添ているわけでもないので、各々自由に歩いていた。両腕を上げて背筋を伸ばし、硬くなった身体をほぐす。 「はるみぃー! お母さん達帰るところだよ!」  教室に向かう廊下の途中の窓から外を見ながら歩いていた明は、母さん達を見つけて近くの窓を急いで開ける。その窓から身を乗り出し大きく片腕を振る明。同じ窓から外を覗くと、母さん達も手を振っていた。 校門近くに居る母さん達は何か言っているがこちらまでは届かない。しばらく手を振り続けてから再び母さん達は歩き出し、校門から外へと行ってしまった。切なそうな顔で母さん達の後ろ姿を見送っている明。振る腕も徐々にと小さくなっていく。 「寂しいのか?」 「ん? そうじゃないけど……暫く会えないんだなって。」  明……それを寂しいと言うんだぞ? 慰めるように明の前髪を分け目に合わせて整える。髪を触られたことに心地いいのか明は軽く瞼を閉じていた。閉じた後、瞼をゆっくりと開き俺を見上げ明は目元を緩めると満面な笑みを見せた。 「……でも、治弥が居るから大丈夫!」  こいつは…… 。 わざとか? わざとなのか?  そんな事言われたら、嬉しくて仕方がないじゃないか。嬉しさのあまりに頬が緩むのを悟られないように堪える。明から目線を逸らして隠す様に口許を手の平で覆った。その時朋成は俺の肩を軽く二度叩く。 「あのさ……治弥? 顔の緩みを抑えた方がいいよ」  朋成が遠慮深げに耳元でそう伝えてきた。抑えたつもりで抑えられてなかったようだ。そんなやり取りにも気付かずに未だに窓から校門を眺めている明。その後ろ姿に愛しさを感じ俺は明の後頭部を無意識に撫でていた。 「今のは俺は不可抗力だ」 「まぁ、判らなくはないけど」  明に聞こえないように朋成に小声で言うと、朋成からは意外にも同意の言葉が返ってきた。 -14-  今日は入学式だけだから、HRが終わった後寮に戻ってきた。明日から本格的に学校が始まる。春休みがいつもより長いのでその癖が抜けない。入寮の時もそうだったけど、久々の早起きはちょっとつらい。 「明ー?」  うとうとしてベットに横になっていると、部屋の外からの声が耳に届き朦朧としながらも返事を返す。 「ふわーい」  二段ベッドの下段から降りてドアに向かう。俺は眠気眼を擦りながらドアをゆっくりと開けた。 「アイツまだ戻ってないのか?」  ドアを開けると治弥が立っていた。 アイツ? あぁー昭二の事かな? 「まだだよ?」 「寝てたのか?」 「んーん。寝るとこだった」  首を左右に振りそう答えると、よしよしと優しく治弥に頭を撫でられた。 「今寝たら夜寝れなくて、明日遅刻するぞ?」  分かってるけど眠い。 「制服ぐらいはまず着替えろよ」  制服……、着替えてなかった。 「明………いいこと教えてやる」  治弥はそう言って、俺のネクタイを触る。ゆっくりと緩められるネクタイに俺は目線を下ろしていた。 「ん? ……治弥?」  ある程度緩くされたネクタイが輪になったままでの俺の頭を通る。そのネクタイを俺は自然と目線で追いかけていた。 「こうすると、明日はネクタイ結ばなくても、ここを引っ張れば一人で出来るだろ?」  ネクタイの輪の部分をネクタイの紐を引いたりして、細くしたり、太くしたり治弥は説明してくれた。俺にとってはその画期的な方法は眠くなっていた俺を簡単に目覚めさせてくれた。 「わー! ありがとう!」  そのネクタイを治弥から受け取る。それを俺は大事に抱きしめた。 「一人で居るなら俺の部屋来るか?」 「ん、うん、行く」  横になったらまた寝てしまいそうだしと思い俺は治弥の部屋に行く事にした。 「……着替えてからだぞ」 「はい…」  誘われたその足で治弥の部屋に行こうとしたら、自身の部屋へと促す素振りをされながら注意されました。 はい。 -15-  まったく……、アイツは。俺は明を部屋に戻ったのを確認してから、先に自身の部屋へ戻る。 「………治弥」 「朋成の言いたいことはよく分かる」  ドアを開けるとその音に反応した朋成は机に向かっていたのを振り向いて俺を見ていた。  はい。顔に出てるんだろ? でも、明の事を考えると顔の緩みは止まらない。愛しさはいくらでも膨れ上がる。 「よく、明都君は今まで気付かなかったね」 「あいつは鈍いからな…」  その言い方じゃ、朋成はとっくに気付いたんだな。 「俺………おかしくないか?こんな感情持ってて」 「それが、治弥にとって大事な感情ならいいんじゃない?」  俺にとって大事な感情。諦めなくはいけないと何度も思った。諦めようと何度も試みた。でも諦めることなんて出来なくて、出来ないというよりもこの明を好きな感情を失いたくないと思ってしまう。 そう思う事が俺にとっての大事な感情なのだろうか。  ドアをゆっくりと閉め靴を脱ぎ、部屋の中央に置いてあるテーブルの前に座る。胡坐をかきその足に目線を向けながら俺は朋成に問いていた。 「気持悪く……ない……のか?」 「捉え方は人それぞれだけど、俺はなんとも」  悩む素振りもなく俺に気を使って言ったわけでもない、そんな調子で朋成は平然と返してきた。俺は明が好きだと今まで誰にも言った事はない。同性同士だという理由で否定的な言葉を受けると、俺の明への気持ちも否定されているような気がしてくるから自分からは誰にも言ったことはなかった。  朋成から返された答えに嬉しくなり俺は立ち上がり朋成の方へ向かうと、朋成の肩に腕を回した。 「おっまえ!! いい奴だな!!」 「ちょっ…! 苦しいって!!」  もとい、ふざけながら首を絞めた。 「危なっ!」  勢いあまって音を発てて椅子ごと一緒に転倒。 「いったぁー…」 「朋成悪い! ………」  顔をあげるとドアを開けた明がこっちを見ていた。 そんな明と目線が合う。 「……俺」  後退りをする明。それもその筈、俺は朋成の体に覆い被さる形になって、如何にも襲っているように見えるから。 「邪魔だよね」 「え? 明!! 明、待って!」  いやいや、誤解だって!  明はそのまま自分の部屋に戻って行った。 「あぁーあ……。行っちゃった」  そのままの体制で呆れたように言葉を発する朋成。 なんでそこで、誤解するかな? 普通するかな?  俺の恋は前途多難だ。  ともあれ明日からは、新学期が始まる。 -16-

ともだちにシェアしよう!