1 / 13

第1話

 見渡す限りの原野も、物言わず立ち尽くす針葉樹たちも、この世界のすべてが降りしきる雪で真っ白に染められていた。 ――けれど俺は、この雪が真っ赤に染まることも知っている。  止まらない血。青ざめていく頬。腕の中で冷えていく小さな身体。 『生きろ! お願いだ、生きてくれっ』 「おい、エルネスト、本当にあの男を信じる気か?」  その声に、ロッキングチェアに腰かけて窓の外を見ていたエルネストは、バッガスを振り返った。 「奴は現政府、ゴダール政権の高官って話だ。このまま出世すれば人生安泰。金もたんまりともらってるだろう。なのに危険を冒してまで俺たちに協力するメリットなんて、これっぽっちもねぇはずだ」  暖炉に寄りかかってイライラとした表情で煙草を吸っているバッガスが、煙を吐き出しながら言う。  風呂嫌いは相変わらずなのか、ブラウンの髪はぼさぼさで、カーキ色のジャケットの襟元は薄汚れている。身なりには頓着しない粗野な男だが、エルネストとは幼馴染であり、彼の直感と大胆な行動力には、これまでに何度も窮地を救われてきた。誰もがバッガスをエルネストの右腕と呼んでいる。 「それを確かめるために、俺たちは今ここで待ってるんだろう?」  そんなバッガスを落ち着かせるように、エルネストはのんびりと椅子を揺らしながら答えた。 「だが……」  それでもバッガスが反駁しかけたとき、扉がノックされた。 「入れ」  エルネストの声に、扉を開けて顔を出したのは、ロイだった。諜報活動を主に務める、二十歳の赤毛の青年だ。 「遅くなり申し訳ありません。連れてきました」  ロイに続いて入ってきたのは、上等な布地で作られた紺色のスーツに身を包んだ、背の高い男だった。あんな服、この国では限られた人間しか着ることはできない。  政府の高官という話はどうやら本当のようだな……。 エルネストは冷静に男を見遣った。 「おまえがリヒャルトか」  バッガスが近づいて、挑発するかのようにその顔を眺め回すが、リヒャルトの表情は微動だにしない。  二十代半ばほどだろうか。シルバーブロンドの髪は横に撫でつけられ、一糸の乱れもなかった。通った鼻筋に切れ長の碧眼。エルネストたちの隠れ家のひとつである、雪山のこの古びた山荘では、その存在がまるで嘘かのような、美しい男だった。 「で? どうだったんだ」  エルネストが促すと、ロイはちらりとリヒャルトを見上げたあと、口を開いた。 「はい。この男の言った通りでした。レガス山の麓に、とてつもなくでかい建物があり、大勢の村人が働かせられていました。もっと調べてみなけりゃ詳しいことはわかりませんが、建物は数棟に別れていて、精製工場と倉庫じゃないかと思われます」  そこで、ロイは忌々しそうに唇を噛んだ。 「もしあそこで作られているのが本当に麻薬なら、あんな大規模な密造、ゴダール政権が主導しない限り、絶対に不可能です」 「そうか……」  エルネストも渋面になり顎髭を撫でた。 「そこが奴らの裏の資金源だったってわけか」  暖炉からは、パチパチと薪が爆ぜる音がしている。エルネストの左頬に残る一筋の傷痕に、揺らめく炎が映っていた。 「よし、わかった。リヒャルト、おまえを俺たちの仲間に入れる」 「おい、馬鹿言うな、エルネスト!」 「なんだ、まだ反対する気か、バッガス? こいつの持ってきた情報は裏付けできた。何の問題もないじゃないか」 「おいおい、よく考えてもみろよ!」  バッガスは煙草を暖炉に投げ捨てた。

ともだちにシェアしよう!