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アオの未来 4
「あれ?雅史さん、なんでジャケットを…?」
抱きしめられたその服から、夜空の匂いがした。思えば、アオを抱きしめている雅史は外行きの服を着ていた。
「ああ、今日は一色と会っていたんだ。それから取材で寄る場所があったから、少し下見しに行ってきた。」
「今取り掛かっている小説のですか?」
「ああ。良い所だったから、今度は一緒に行こうか。」
クンクンと雅史のジャケットの匂いを嗅ぎながら、アオは肯いた。抱きついたまま顔を埋めていると、頭上から小さく笑う声が聞こえる。
「きみ、やっぱり子どもコアラみたいだな。」
「子どもじゃないです!」
アオは頬を膨らませて雅史を見上げる。そこには少しだけ驚いているような、それでいて苦笑しているような、何とも言えない表情をした雅史がいた。
「アオ。上目遣いは、反則だ。」
「…へっ?!うわめづかっ……んぅ」
そんな意図は無かったと伝えたかったが、雅史にすぐさま唇を塞がれてしまう。そのまま廊下の壁へと押さえ付けられ、深く口腔内を舐め取られる。少しだけコーヒーの味がする口付けに、そっと自身の舌を雅史の舌に絡ませて、アオもぎこちなく応える。すると、雅史にぐっと腰を強く引き寄せられ、舌先を強く吸われた。性感を煽るような深い繋がりに、アオの慎ましいペニスも硬さを増していく。
「ふっ、んぁ、ま、まさし、さん……」
「きみを抱きたい」
雅史の兆したものを押し当てられ、耳元で囁かれる。その熱さにアオの身体は僅かに震えた。
「あしたも、ばいと、はやい…」
「手加減、するから。」
強請るように、雅史がアオの首筋に吸い付く。その刺激だけでも、アオは緩く達してしまいそうになる。
「ろうか、じゃなくて、ベッドがいい…」
「寝室へ、きみをエスコートしよう。」
せめてもの反抗と我儘も、雅史の甘い微笑みには、敵わなかった。
◇◇◇
「あっ、あ、あ、あん」
「アオ、ここに、いいか?」
「うん、ほし、い」
正常位で繋がっていると雅史がそっとアオの下腹部を撫でて告げた。アオも雅史の首の後ろに腕をまわして応えれば、片脚を肩に担がれて繋がりは更に深くなる。汗で湿った身体が密着する度に、互いの体温が身体の中で行き来してゆく。つんと奥に響く違和感も、アオにとっては既に快楽でしかなく、無意識に結合部を締め付けてしまった。その締め付けに雅史も熱い吐息を漏らす。
「アオ、深く、呼吸をして。」
「む、むり、ふぅ、はぁ、あっ!」
深呼吸を、と言ったはずの雅史に強く奥を穿たれて、アオは一際大きな嬌声をあげてしまう。
「もう!いじ、わる、です!」
「ふっ、ハハッ。きみに睨まれるのも痛くないな。」
ぽたりと雅史の汗が、アオの鎖骨へと零れ落ち流れた。結局、アオは全てを許してしまう。
「あ、あ、ふぅ、う、あ」
奏でるように最奥を拓く抽送に、アオの控えめな喘ぎも遂に追随してゆく。
「このまま、このまま雅史さんと、溶けてしまえればいいのに……」
「俺はきみと一心同体だと感じているよ。けれども、人は難しいものだ、とも思うんだ。どんなに番という強固な絆があったとしても、きみの抱える悩みをすぐに察知することができない。今もこうやって、きみの中にいるのにな。」
トンと奥の奥まで雅史が入り込む。
「あうっ!」
アオの慎ましやかなペニスから白濁が飛び、中もまた収縮を繰り返す。じんわりと腹の奥に熱さが広がり、雅史も緩やかに果てたのであった。
◇◇◇
チャーミングでマイペースな有賀の妻は、一ヶ月後、無事に帰ってきた。賑やかな夫妻は、アオの前で熱い抱擁を交わし、再び二人で店を切り盛りしていく約束をしたのだった。アオもそんな二人の姿を見て、雅史の誕生日を祝う意気込みを新たにする。
一ヶ月分の給与は、有賀の人柄と心遣いから、アオが想定していた当初の額よりも大幅に上乗せされていた。
「えっ!あの、こんなにいただけません!」
「まさか、少ないくらいだよ。アオは本当に丁寧な仕事をしてくれた。これは俺たちからの餞別だ。」
封筒の中を確認したアオは、必死に受け取ることを固辞したが、有賀の押しに結局負けてしまった。
「うちはまだ開店したばかりで、きみを今後も雇用する余裕がないんだ。けれども、これから必ず繁盛させるから、その時はきみに戻って来てもらいたい。」
「えっ…?」
「そうだな、一年だ!あと一年で、きみに再び声をかける。それまで、どうか他の店のものにならないでくれよ!」
大柄な店主は豪快に言い切る。そして、アオへと手を差し伸べた。
「ありがとうございます!」
アオは泣き出しそうになる気持ちを必死に堪えて、有賀と力強く握手をした。
◇◇◇
(雅史さん、絶対に似合う!)
一年前にも訪れたデパートで、アオは丁寧に品定めをしていく。一つひとつあらゆる店を巡っていく中で、ぱっと目を惹かれる物があった。その時ふと、一年前に万年筆を取り扱っていた店で、接客をしてくれた女性のことを、アオは思い出したのだった。
――これが、その時、なのかな。
それは、カシミアでできたチャコールのチェスターコートだった。何故だか、そのコートが自分を買ってくれ、ときらきら輝いて見える。そしてアオもまた、ここで買わなければ二度と出会えない予感がしていた。
コートがしっかりと包まれた紙袋を持って、アオは自宅への道を急いでいた。早く雅史の元へと帰って、雅史のことを去年よりも盛大に祝いたい、そんな心地がアオを自然と駆け足にさせる。
「去年はバイトの許可は降りなかったんだよな…」
軽い散歩程度は勧められていたが、働くことは雅史にも嘉月にも止められていた。それが今では、アルバイトで稼いだお金で雅史へのプレゼントを買って、こんなにも浮き足立っている自分が、確かに存在しているのだ。アオの心は暖かな充実感で満ちていった。
――生きていて、よかった…!
軽やかな足取りで、リビングへと向かう。時刻は18時を少しまわっている。雅史は、あと一時間ほどは書斎から出てこない。その間に、アオは昨夜仕込んでおいた、沢山のおかずを皿に盛り付けてゆく。
(ふふっ、今年は塩釜で鯛を焼きますよ!)
去年の雅史の驚いた顔を見てから、アオの中で塩釜焼きは誕生日恒例行事にすることは決定している。また、あの顔が見られるかと思うと、アオの手際は益々良くなってくるのだった。
――あなたはいつも、僕に光をもたらしてくれる。燦々と降り注ぐ陽光のように。
◇◇◇
「アオ、今年もありがとう。歳をとっていくのが、本当に楽しみになったよ。」
いつもの食卓で、いつもより少しだけ豪勢な料理を二人で平らげた後、雅史が言った。
「僕も、雅史さんの色々な顔が見られるから、楽しみなんですよ。」
「そうか。それならば、毎年、きみの前だけで見せてあげようかな。」
そうして、アオがプレゼントしたチェスターコートを羽織って「どうだ?似合うかな?」と雅史はくるりと回った。その姿が小さな子どものようで、アオはクスリと笑った。
「雅史さん、愛しています。」
「俺も、愛しているよ。」
そう言って目を細める雅史が、何よりも尊い存在だとアオは思った。
「そうだ、アオ。きみにもプレゼントがあるんだ。」
雅史はコートを着たまま、書斎へとアオを連れて行く。散らかった机の上に一冊の本が置かれていた。その色は、美しく光彩を放つ薄藍色。
「これを、きみへ。」
柔らかく微笑む雅史の顔が、僅かにぼやける。アオは、泣いていた。幸せな涙を、その薄藍から零していた。それを、雅史がそっと拭う。
――誠実に日々を紡ぐ大切な彼へ贈る
『燦々と青がいた』
それは、二人で迎えた二度目の11月。
仄かに香る冬の匂い。その透明度が、二人の背中を確かに後押ししていた。
(アオの未来 終わり)
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