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貢サイド-1-
太陽の光が目に痛い。
俺、志野原 貢 は六日間も寝ていない所為で血圧が高いのだろう。
心臓も耳の奥もドクドクいっている。
睡眠不足で身体の調子も気分も最悪だ。
本当は学校に行くのはかったるいが、誰も居ない家に一人で居るよりもまだマシ。
たったそれだけの理由で重い身体を引き摺って行った。
家から学校までは歩いて十五分程度の距離だが、体調不良のためか遥か遠くに感じる。
永遠にたどり着けないような気にさえなってくる。
それ程身体は重かった。
幾つ目かの角を曲がり、大通りに出たところで学校へ向かう人間が急に増えて来た。
すると、見知った顔の人間が声をかけてくる。
「オッス! 志野原、相変わらず顔色悪いな。ちゃんと寝ているのか?」
「おはよう志野っち! うわっクマ酷いねぇ大丈夫?」
俺の顔を見るや否や口々にそう言った。
言われなくても自分の顔色の悪さは分かっている。
俺は「ああ」や「まぁね」などと曖昧な返事を返し、うんざりしながら学校へ向かった。
学校に着くと、さっきよりも多くの人間に声をかけられた。
中には名前も知らなければ見覚えもない奴に挨拶されたが、適当に返事をしておいた。
中央階段から三階へ上り、二年B組と書かれたプレートがかかっている教室に入ると挨拶もそこそこに自分の席へ着き、机に突っ伏した。
クラスメイトの女子どもが何やら話しかけてきたが、登校と挨拶で気力も体力も限界に近かった俺はとにかく無視した。
始業を知らせる鐘が鳴り、数学の教師が入って来ると日直が号令をかける。
俺は重い身体を起こし、形ばかりの令をしてまた机に突っ伏した。
授業中に聞く教師の話は眠気を誘うのが相場だ。
今日こそは俺を眠りに誘ってくれよと、微かな期待を込めて祈った。
……。
…………。
………………。
確かに今日も授業は詰まらないものだった。
教室を見回せば一時間目だと言うにも拘らず、うとうとしている奴が何人もいるというのに、俺の睡眠欲は一向に刺激される事はなかった。
一時間目が終わり、二時間目、三時間目と俺は眠る事も出来ず、ただ無為な時間を過ごした。
四時間目が終わった直後、二人組みの女が近付いて来た。
「志野原君お昼一緒に食べない?」
『食べない!』
心の中で即座に答えた。
何で俺が、見ず知らずの人間と昼食を取らねばならないんだか。
目の前に立つ女の胸元を見ると赤いリボンが目に入った。
俺の通う学校では学年を色で分けている。
青が一年、二年は赤、三年は橙色。
その事から目の前の女達が同じ学年だと分かったが、顔に見覚えが無い。多分他のクラスの人間だろう。
やはり一緒に昼飯を食う義理なんか無い。
「私たち志野原君の分のお弁当作ってきたんだ」
二人は手に二つずつの弁当を持っていた。
どうやらこのコンビは、俺に二つの弁当を食わせる気でいるようだ。
俺はそんなに大食漢に見えるのだろうか?
体調が万全なら食べられない事もないが、今は睡眠不足のため食欲不振だ。
例え体調が万全だったとしても、見ず知らずの人間が作った物など、気持ち悪くて食う気にはなれないだろう。
「食べたくない」
正直な気持ちを飾らずそのまま伝えた。
すると二人は同時に「えぇそんなぁ~」と不満を漏らした。
二人は「少しでいいから食べてくれ」と「受け取るだけでもいいから」と食い下がったが、食べたくないものは要らないし、要らないものは邪魔なだけだから受け取りたくも無いと伝えると「酷い」と言われた。
「折角志野原くんの為に作ってきたんだから、一口くらい食べてくれてもいいじゃない!」
折角だか触角だか知らないが、俺は頼んでいない。
勝手にやった事なのだから、結果が付いて来なくても仕方が無いだろう。
好意は受け取られて当然か?
受け取るのが礼儀なのか?
そう信じるのは勝手だが、俺にそれを押し付けんな。
全く持って迷惑だ。
「知らない人間が作ったものなんか怖くて食えない」
それだけ言い捨てて二人を残し、俺は教室を後にした。
また誰かに捕まると面倒なので、誰も来ない屋上に避難しようと、二年の教室がある三階から二階分を上り、五階にある屋上の扉前までやって来た。
屋上の扉は校舎に一つだけで、その扉は何時も鍵が掛かっている。
そして鍵は職員室で管理されていて、何か用でもない限り貸し出しはして貰えない。
つまり、絶対に人の来ない良い場所なのだ。
俺は中学の頃まで素行の悪い連中と付き合いがあり、ピッキングの遣り方はマスターしているから、複雑な作りの鍵でなければ十秒も掛からずに開ける事が出来る。
懐から七つ道具を取り出し、鍵を開けようとドアノブに手をかけると、妙な違和感を感じ、ドアノブを回すと鍵は既に開いていた。
屋上の鍵が開いている事など今まで無かったので、訝しみながらドアを押した。
ドアを開けると屋上の真ん中付近に黒い物体が横たわっていた。
一瞬その物体の正体が分からず踏み止まったが、良く見ればソレは人間だった。
黒い物体の正体が分かり無遠慮に近付いて見ると、黒い物体はただのガクランを着た男だった。
横になっているから正確な事は分からないが、多分俺よりも大きい。
身長もそうだが、身体のパーツ全てがガッシリしている。
扉の方に背を向けて横になっているから顔は見えないが、上履きの色が青いので一年だろう。
規則正しく身体が上下する事から、ただ寝ているだけらしかった。
見れば左手には屋上と書かれた木の札の付いた鍵を握っている。
どうやって職員室から鍵を持ち出したかは分からないが、屋上の鍵を開けた張本人はこいつらしかった。
ただ昼寝の為だけに鍵を持ち出したのだとしたら、本当にご苦労様である。
ある意味素晴らしい。
そのアホさ加減は好意に値するな。
そんな事を思いながら一年坊主の背中の間近に腰を降ろした。
こんなに近くに寄っても全然起きる気配がない。
熟睡中である。
不眠症の俺からすれば、ここまで集中して眠れる事は羨ましい限りだった。
どんな間抜け面して寝ているのか見てやろうと、そして笑ってやろうと覗き込んだ。
男の顔に俺の頭の影が落ちる。
やはり起きる気配は無い。
ドキッとした。
屈託なくすやすや眠る顔が綺麗だった。
綺麗と言っても美人という事でなく、あくまで顔は男らしいのだ。
それなのに何故か綺麗だと感じてしまった。
その時、不意に風が吹いた。
甘い匂いが鼻をかすめた。
甘いと言ってもお菓子の様な甘さではなく、なんと形容していいのか分からない。
初めて嗅いだ匂いだった。
もう一度今の匂いを感じたいと思い、辺りを見渡すが、屋上で匂いを発生しそうなモノは俺の隣で健やかに眠っている一年坊主だけだ。
息を潜めて一年坊主の項に顔近付け、匂いを嗅いでみる。
やはり匂いの元はこいつだった。
匂いのあまりの甘さに、俺は全ての匂いを吸い尽くさんばかりの勢いで匂いをかいだ。
きっと今、この場を誰かに見られたりしたら変態だと思われるかもしれない。
いや、絶対思われる。
変態決定だ。
それに、これだけ密着しているのだから目の前のこいつが何時起きてもおかしくない。
もし、起きてしまった場合どう言い繕っても俺は変質者だな……。
そんな事を思いながら、匂いを嗅ぎ続けた。
そうしているうちに段々眠れそうな気がしてきた。
一年坊主の背中にぴったりくっつくように横になり、顔を近寄せた。
背中は男の俺から見ても大きく広かった。
息を吸う度に甘い匂いがしてたまらなかった。
何故か安心した。
次第に俺の意識は薄くなっていった。
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