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貢サイド-2-
重い瞼をこじ開けるとコンクリートが見えた。
一瞬自分が何処に居るのか分からず混乱し、ダルイ身体を起こし辺りを見渡してみる。
自分が学校の屋上に居る事が分かり、今度は何故屋上にいるかを思い出そうと記憶を探った。
グランドの方から野球部の声が聞こえて来る。つまり今は放課後か?
放課後?
靄のかかった頭が急速にクリアーになり、重大な事に気付く。
二時間飛んでいる。
授業をサボるのは日常茶飯事なので、ソレは大した事ではない。
重要なのは二時間も熟睡出来たという事だ。
最近では殆ど眠る事が出来ず、寝ても十五分程度の仮眠状態だった俺が……。
世界中の殆どの人間はその程度の事と思うかもしれないが、俺にとっては二時間眠れた事は重大な事件だった。
眠れた事に少し感動していた。
睡眠の手助けしてくれた一年坊主に感謝したい気持ちで一杯だった。
だが、一年坊主は俺が寝ている間に消えてしまっていた。
起きた時はさぞかしビビッタに違いない。
知らない人間、しかも男にぴったりと寄り添われていたのだから、気持ち悪いを通り越して恐怖を感じただろう。
一体どんなリアクションを取ったのだろうと想像したら笑えた。
急いで帰り、クラスの人間に今日起きた恐ろしい出来事を話したに違いない。
どんな風に話したのだろうと、想像しているうちに俺の口から小さい笑い声が漏れていた。
硬い場所で眠った所為で身体のあちらこちらが痛んだが、俺の気分はすっかり良くなっていた。
これもやはり一年坊主のおかげだろうと礼の一つも言いたい気分だったが、名前はおろか顔すらおぼろげで、もう一度会っても多分分からないだろう。
残念だがアイツの事は諦めよう。
そう気持ちに踏ん切りを付け、立ち上がると一年坊主が置いていった屋上の鍵を拾い上げ、施錠し、鞄を取りに教室に向かった。
二年B組と書かれたプレートがかかった教室の扉を開けると、教室には数人の暇人たちが残っていた。
「志野原何処行っていたの?加藤(先生)怒ってたぞ!」
「ちょっとね」
俺は言葉を濁した。
一々説明するのは面倒臭いし、する必要もないからだ。
鞄を取る為ロッカーの鍵を開けていると暇人の一人が俺に近付いて来た。
「帰るのか?さっき伊東 が探していたぞ。約束しているんじゃないのか?」
「伊東が言ったのか? 約束しているって……」
「ああ」
おかしい。
俺が伊東と約束をするなんてありえない。
伊東は偶然同じ学校の、偶々同じ学年の、何故か同じクラスになってしまった人間だ。
下の名前すら思い出せない人間と俺が約束する訳がない。
嫌な予感がした。
絶対に会いたくない。
今日は気分が良いんだ。
別れの挨拶もそこそこに、一階へ向かった。
下駄箱のある中央玄関で待ち伏せされている可能性があったので、東昇降口にある窓から上履きのまま出た。
少し行くと二メートル程のフェンスがあり、それを乗り越えればもう学校の外である。
フェンスを越え、大通りに向かって歩いていると携帯が鳴り出した。
「はい?」
俺は不機嫌そうに電話に出た。
『志野原? 俺、伊東だけど今何処に居んの?』
手前の知った事かよ。
「別に何処だって良いだろ」
『今日さぁ、聖女の子達と合コン予定していて……』
俺の不機嫌なオーラは電話の向こう側には届いていないらしく、訊いてもいない事をダラダラと喋り始めた。
長くなりそうだし面倒で鬱陶しいから無言で電話を切る。かけ直し防止のためそのまま電源をOFFにし、鞄の中に放り込んだ。
上履きのまま何処かへ寄る気にもなれなく家に真っ直ぐ帰る事にし、大通りから幾つ目かの角を曲がると白い十五階建てのマンションが現れた。
大通りから少し外れたこの辺は静かで煩わしい近所付き合いがなく俺に合っている。
今日は二時間も眠れたからか、家に帰って横になれば直ぐに眠れそうな気がした。
一階に設置されている郵便ポストには目もくれず、エレベーターに乗り込み、十五と書かれたボタンを押した。
少しして最上階の十五階に着いた。何処かから電話のベルが聞こえる。
音は自分の部屋に近付く程近くなる。
電話の相手が誰か凡その予想が付いていたので放っておいた。
何回か呼び出し音がして切れた。
漸く静けさを取り戻した部屋にまた、電話のベルが鳴り響いた。
キレた!
電話ではなく俺が!
俺は元来キレやすい性質の男なのだ。
それは周知の知るところで、それが不眠症と食欲不振でちょっと大人しくしているだけなのだ。
そんな俺にここまでしつこくするからには余程の用事があるのだろう。
なければキレる。
既にキレているが、よりいっそうキレる。
多分そうなれば明日は身体がだるかろうが重かろうが伊東の奴を二度と俺に関わりたくないと思うくらいボコボコにしてやる!
「あぁ?」
『あっ! 志野原? 俺、伊東だけど』
知っている。
下の名前はどうやっても思い出せないが、お前が伊東だという事は分かっている。
『っていうかぁ、お前が来るって言ちゃったんだよね俺』
はぁ?
何を言っているのだこいつは?
最初に「っていうかぁ」と言う言葉をもって来るのも意味が解らないが、その後に続く言葉の意味が更に解らない。
俺が何だと?
「何の話だ? 話が全然見えねぇよ」
『だから、聖女と今日合コンするんだけど、お前が来るって言っちゃったんだよ』
絶句した。
用事のくだらなさと、この男の身勝手さに。
俺が黙っていると伊東は更に続けた。
『いやぁお前の名前を出すと女の喰い付きが全然ちがうよ、顔のいい奴は得だよな。お前と友達でホント良かったよ!』
昔から俺を利用しようとする奴は結構居た。
都合のいい時だけ友達面する輩は、無視するに限る。
電話を切ろうと、耳から受話器を離そうとするが、身勝手な話は聞こえてくる。
『これから出て来られるだろ? お前が来てくれないと困るんだよ』
勝手に困ってろ。
『俺の面子もあるし、俺の顔を立てると思ってさ』
自分の事ばかりだ。
「お前の事なんか知るかよ」
『そんな事言わないでさぁ。一番可愛い子お前に譲るし……』
いい加減うんざりした。
「俺を本気で怒らせて学校辞めた奴いるの知っているだろ? 自分がそうなりたくなかったら俺が穏やかに話しているうちに引けよ」
声のトーンを落とし凄みを利かせて言うと、鈍い伊東にも漸く俺の苛立ちが届いたらしく、電話の向こうから緊張が伝わった。
『悪い』
それだけ言うと、すぐさま電話が切られた。
俺は受話器を置き、その場に座り込んだ。
気分は最低になっていた。
少し前まであんなに気分が良かったのに。
あのアホの所為ですべて台無しだ。
また、元に戻ってしまった。もう、眠れる気がしない。
屋上で会った一年の事を思い出した。
アイツが居ればまた眠れるかもしれない。
男を見つけ出す手がかりを得ようと、必死に屋上での事を思い出す。
同じ学校の一年、俺よりも大きい体格、顔はどうだっただろう?
綺麗だと感じた事は覚えている。
美人と言う事ではなくあくまで男らしい顔立ちだった。
そう感じた事は覚えているが、どんな顔だったかは全然思い出せない。
溜息を吐き、倒れこむかたちで床に転がった。
暫くそのままぼんやりしていたが、ある考えにいたり、重い身体を起こすと電話の受話器を取った。
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