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貢サイド-11-
心が渇く。
光が居る。
手を伸ばせば届く距離に……。
腕に、髪にその存在自体に触れる事が出来るのに俺は一人だった。
光が笑うと嬉しかった。
光の甘い匂いに包まれると安心した。
光に触れられる度に、泣きたい気分になった。
光の全てが愛しくて、堪らなかった。
でも、光が優しいのは俺だけにではない。
光は困っている人間が居れば、手を差し伸べるだろう。
泣いている人間が居れば、優しく微笑みながら頭を撫でるに違いない。
今、俺の隣に居る間も他の人間の心配をしているかもしれない。
嫌だ!
他の人間の事なんか……。
見ないで欲しい。
触れないで欲しい。
考えないで欲しい。
光の目を隠し、耳を塞ぎこの部屋に閉じ込めてしまいたかった。
俺だけになって欲しい。
俺だけ見て
俺の声だけ聞いて
俺にだけ触れて
俺の事だけ考えて欲しい。
俺だけを!
そんな事を望めば望むほど虚しくなった。
決して叶う事の無い望みだと分かっているから……。
精々嫌われない様にしよう。
一分でも一秒でも長く俺の傍に居てもらう為だったら光の望む事を何でもする。
それでも何時か来るだろうその日が来たら死んでしまおう。
光のお陰で俺の心のバランスは大分保たれるようになったと思う。
夜、光の腕の中で泣く事はなくなった。
記憶が引き出されるような変な気持悪さも起こらなくなった。
俺の不眠症や精神状態が通常に戻れば、光は俺から離れていくに違いない。
元になど戻らなければいい。
そうすれば光は俺から離れられなくなる。
いや、そうとは限らないか?
どんなに根気よく病気を治そうと努力をしても一向に症状が改善しなければ人は疲れしまい、諦めてしまう事もある。
光が俺から離れていく時、その時が来たら、自らの手を下すまでもなくこの身体は勝手に朽ち果てていくだろう。
光が居なければ眠る事も食べる事も出来ない身体だ。
光の代わりなど居ない。
探すつもりもない。
光が俺を諦めた時は俺も諦めよう。
全てを……。
光以外はこの世界の全てのものに未練なんか無い。
光は俺の光り。
俺を唯一変えることの出来る温かいモノ。
失って残るモノは冷たい闇。
全ては終わる。
カーテンの隙間から青白く明けた空が見える。
目覚ましの音を聞いた記憶は無い。
見れば、右隣に無防備な光の寝顔が気持良さそうな寝息をたてていた。
まだ起きるには早い時間のようだった。
二度寝をする事は出来そうにもなかったので、光の寝顔を見ている事にした。
ああ、やっぱり綺麗だ。
屋上で初めて見た時も感じたが、光は寝顔が綺麗だ。
穏やかに眠るその顔にそっと触れてみた。
起きる気配は無かった。
疲れているのだろう。
学校では生徒会として働き、学校が終われば店の手伝いをし、それが終われば俺の所に来て俺の子守りをしなければいけないのだ。
疲れない訳が無い。
薄く開いた唇をなぞってみた。
キスをしたら起きてしまうだろうか?
指で触れても起きないのだから、唇で触れても大丈夫だろう……。
ゆっくりと顔を光に近付ける。
光との距離が無くなれば無くなるほど心臓は早鐘を打つ。
全身が心臓になったかのようにうるさい。
身体が熱い。
今更キスくらいで何故こんなにも緊張するのだろうか?
初めてSEXをしたのは十三歳の時だった。
晃の家庭教師をしていた女に誘われるままにした。
何の感動もなかった。
その後も、生理的嫌悪感を感じない女とだったら誘われれば誰とでも何処ででも何でもした。
だが、ただの一度たりとも心が動いた事はない。
相手を愛しいと思った事も、自分から相手に触れたいとも思った事が無い。
俺は初めて自分から人に触れる恐さを感じた。
触れる事によって新しく始まる事もあれば終わる事もあるのだ。
相手にどう受け入れられるか分からないから恐い。
そんな当たり前の事を光に会うまで知らなかった。
光が相手だと寝ていても恐さを感じる。
あとほんの数センチで唇が触れる。
目を瞑るのが恐かった。
もし目を閉じ、開けた時に光の目が開いていたら?
そう思うと目を閉じる事が出来なかった。
目を伏せ光の唇に自分の唇を重ねる。
軟らかい唇の感触を感じ心が騒いだ。
勢いよく身体を引き離す!
心臓がこれ以上ないくらい早鐘を打っている。
ヤバイ!
俺を突き動かす何かが騒ぐ。
光に触れろ!
自分を深く刻み込めと騒ぐ!
今なら……手に入れられる。
吸い寄せられるように光に近付く。
布団を被っている身体そっと手を忍ばせる。
腹の辺りから胸の方へとゆっくり手を這わせていく。
このまま自分のモノにしてしまおう。
そうすれば手に入るのだ。
身体だけ……。
そう、そして全てを失うのだ。
今にも暴走しそうな身体を理性が引き止めた。
光を失う事を考えたら身体が固まった。
まだ身体中がざわついている。
自分を落ち着かせようと目を閉じてみる。
手に力がこもる。
「……先輩?」
不意に光の声がして身体がびくついた。
驚いて目を開く。
見れば、俺は光の胸に爪を立てていた。
起こしてしまったらしい。
「どうかしたんですか?」
起きたばかりの光は寝ぼけたように訊いた。
光に対して後ろめたさを感じ、俺は逃げるように光から目線をそらした。
「……恐い」
「え?」
「夢を見た」
「夢?どんな夢ですか?」
お前を失う夢だ……。
心の中で呟いた。
何時もなら制服に着替えるため家に戻り、そのまま登校してしまうのだが、今朝の俺の様子が変だったのを光は感じ取ったのだろう。心配して戻って来て一緒に登校した。
休み時間は忙しかったのだろう俺のところには現れなかったが放課後は迎えにやって来た。
光と一分でも一秒でも長く居たいと思う反面、一緒に居たくなかった。
光が傍に居ると、心はバランスを取り戻しながら崩れていくから。
大切にしたいと思う気持と同じ強さで、何時か傷付けてしまいそうで恐い。
朝は思い止まる事が出来たが、次もまた自分を引き止められる自信なんてない。
光が居なくては生きて行けない身体のくせに一緒に居る事が苦痛だなんて……。
肩を並べて歩く事にも気が引けて光の半歩後ろを歩いた。
「先輩大丈夫ですか?」
心配そうな顔で俺の方へ振り向く。
光と一瞬目が合う。
気まずくなり「ああ」と返事をして目を逸らした。
玄関から校門までの数十メートルの距離がやけに長く感じられた。
ドン!
前を歩いていた光が急に立ち止まったので、光の身体に思いっきりぶつかった。
……?
光の視線の先を追いかける。
門の傍に他校の制服を着た女が立っていた。
不意に女の顔がこちらを向く。
小走りで駆け寄って着た。
「良かった。会えて」
「加奈子……どうしてここに?」
光は驚いた顔をしている。
「やだ、忘れたの?今日私の誕生日だよ!」
女は恨みがましい目で光を睨んだ。
「あっ!」
光の顔は「しまった」と言う顔だった。
「酷いんだ。最近全然連絡もくれないし……」
「ごめん。忙しくて……」
申し訳なさそうに誤る。
「もしかして、私以外に彼女出来たんじゃないの?」
「違うよ!」
血の気が一気に下がった。
この女は……光の彼女?
目の前が真っ暗になった。
今までそんな素振りを見せなかったから、光に女が居るとは思わなかった。
足元が崩れていく感じがする。
グラグラと……。
「先輩、紹介します。彼女はに西村加奈子。幼馴染と言うか、腐れ縁と言うか……」
「何よそれ。ちゃんと彼女だって紹介してよ!」
女の腕が光の腕に絡み付き、軽く揺する。
腹ただしかった。
女の身体が光に触れるたびに怒りを覚えた。
「何時も光がお世話になっています」
「私の」とは言わなかったが明らかに俺には自分のモノだと主張しているように感じ取れた。
胃が気持悪い。
ゴロゴロと手の平の上で転がされているようだった。
幸せそうに微笑む女。
光を映す目も、光の名を呼ぶ声も、光の身体に触れる身体が疎ましかった。
「誕生日くらい一緒に居てくれるんでしょ?」
言われて光は困った顔をした。
俺がもし「俺と一緒に居てくれ」と頼んだら一体どっちの方を選ぶだろうか?
喉まで出かかった言葉を飲み込む。
訊くまでも無い。
ただの知り合いの俺と彼女では彼女を選ぶだろう。
ハッキリと光の口からそう言われるのが恐かった。
「彼女と居てやれよ」
「先輩?」
光は驚いた顔を俺に向けた。
「俺の方はいいから……」
「でも……」
「心配するな。今日は晃の処にでも行くから……」
嘘を吐いた。
自分が傷付きたくなくて、俺は逃げたのだ。
光と別れてから真っ直ぐ家に向かって歩いていた。
勿論あのクソガキの処になど行く気は全く全然無いから。
今日は光が来ない。
光と初めて会った夜に買った酒を全部飲んでやろう。
そんな事を考えていた時だった。
タバコの自販機に目に止まった。
もうずっと吸っていない。
何故止めたのかは思い出せないが、二年くらい前に吸うのを止めたのだ。
タバコは好きではなかった。
むしろ嫌いな方だった。だが吸えば気持が落ち着いたから吸っていた。
タバコを吸えばこのイライラは落ち着くだろうか?
自販機にコインを落とし、以前吸っていた銘柄のボタンを押すと機械から小さな箱が吐き出された。
俺は箱をポケットの中に押し込み、家に向かって歩き出した。
家に戻ると着替えもせずにソファに腰を落とした。
何時もなら光の為に夜食の準備をするのだが今日は何もする事が無い。する気も無い。
俺はポケットからタバコを取り出し、火を付けてみた。
やはり美味くなかった。
でも、何もしないでいるよりずっとマシだった。
今頃光はあの女と一緒にいるのだ。
誕生日だと言っていた。
光はあの女の為に何かをしてやるのだろうか?
タバコを吸っているというのにイライラは収まるところかドンドン増していく。
タバコが精神安定剤だと言っている奴の気が知れない。
俺は力任せにタバコを壁に押し当て消した。
白い壁には黒い跡が残った。
情けなくても何でも、光に俺と一緒に居てくれと頼めばよかった。
あんな女と一緒に居ないでくれと……。
そんな事を考えれば考えるほど惨めな気持になった。
時間がゆっくりだ。
まるで永遠の時のように時間が過ぎるのをゆっくりに感じた。
夜中の一時を過ぎた頃、買ってあった酒は底をついた。
睡眠を誘うどころか酔う事すら出来なかった。
夜が明けるまで大分ある。
酒を調達しようと立ち上がった時インターフォンが鳴った。
まさか……。
そんなはずはないと思いながらもインターフォンに駆け寄った。
「光か?」
『夜分にすみません。稔川です』
俺は急いで一階のロビーの鍵を開けた。
鍵を開ければ何分も掛からずに来ると分かっているにも拘らず、いてもたってもいられず玄関を飛び出した。
エレベーターの前まで来るとエレベーターが上に向かって動いている。
光は既にエレベーターの中にいる。
そう思うとたった数秒の時間がもどかしかった。
エレベーターが十五階に着き、扉が開く。
光の姿を認めるや否や、俺はエレベーターの中に入り壁に押し付けるように光に抱き付いた。
「先輩?」
戸惑いながらも光は俺を優しく包み込むように抱きしめた。
「先輩大丈夫ですよ。俺は傍にいますから……」
俺はただ、ただ嬉しくて
「何処にも行きませんから……」
光が何故そんな事を言ったのか分からなかった。
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