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光サイド-8-

 急に泣き出した俺を見て、父も兄も面食らったようだった。 「ごめん。何でもないんだ……」  慌てて袖先で顔を拭う俺に兄の竜也は優しく背中に腕を回し、ポンポンと優しく叩いてくれた。  志野原晃と会う事は兄には話してあったので兄は何かを察したのかも知れない。 「有難う。大丈夫だから……」  俺が微笑んで見せると兄はやはりあの微笑を見せた。 「話あるなら聞くけど……」  言いかけて兄は父を見た。  父は仏頂面に皺を作りいかにも不機嫌そうな表情を作り 「店なんか俺一人で閉められるんだよ。 余計な気ィまわすんじゃねーよ」  シッシッ、っと猫を追い払うように手で俺たちを追い払った。 「部屋行くぞ」  兄に引っ張られるまま二階に有る兄の部屋に入った。  部屋の三分の一を占領しているベッドをソファ代わりにして2人で並んで座り今日知った志野原先輩の事について話した。 「お前達は同じだったんだな」  志野原先輩の過去の話を聞き、兄はそう言った。 「志野原貢はお前に自分と同じ匂いを感じたんだろうな……。だからお前に助けを求めたんだ。お前は成功者だからな」  成功者。  兄に言われ恥ずかしいような後ろめたい気持になった。  ずっと上手く騙せていると思っていた。  ばれるようなヘマはしない自信があった。  あの日まで……。  十三才の夏まで……。  母に連れられて稔川の人間に初めて会ったのは五才の時だった。  俺が生まれてすぐに父は死んでしまっていた為、看護士をしていた母は女手一つで俺を育てていた。  仕事に家事に追われていて母が疲れているのは分かっていた。  だから「再婚しないで」とは言えなかった。  自分が我慢する事で母が楽になるのなら我慢しよう。  頑張って新しい家族と打ち解けようと、心に決めていた。  母が再婚相手に決めた稔川(みのりかわ) 竜次(りゅうじ)はガッシリとした体格にスキンヘッド、顔は仏頂面と一見強面の印象だったが、笑うのが苦手なだけの不器用な人だとすぐに分かった。  表に出すのは下手だが思いやりのある優しい人だった。  竜次の連れ子、稔川 竜也(たつや)は俺よりも五つ年上で、人懐っこい笑顔と日に焼けた肌が印象的だった。  本人は「兄」という役柄をやる気満々らしく、稔川の家に行けば必ず俺の手を取りとっておきの川や公園に連れて行ってくれた。  2人ともとても好意的で、家族をやるには問題ないように思えた。  実際再婚後、稔川の家で暮らすようになってコレといって問題はなかった。  不器用ながら温かい新しい義父。  面倒見の良い友達のような義兄。  表に出て仕事をしなくてもよくなり、ゆとりが出来た母。  毎日が穏やかに過ぎて行き、こんな日がずっと続くと思っていた。  今日があったから明日もあるんだと……。  当たり前のようにそう感じていた。  夏が過ぎ……秋になり……冬が終わろうとしていた時だった。  飲酒運転の車に撥ねらた母は重傷を負い、再婚してから二度目の春を迎える事のないままこの世を去った。  母を失ったショックから暫くは何も考えられないでいたが、日が経つにつれ自分は独りなんだと感じた。  母がいて初めて自分の居場所が許されていたのに、母というピースを失い自分は稔川の人間とは切れてしまったのだ。  不安だった。  母には肉親は一切なかった。  ココしか……稔川の家でやっていくしか自分には残されていなかった。  考えた。  自分の居場所をどう作るか……。  自分の存在価値をどうアピールするか……。  使える人間になろう。  頼まれた事はなんでもやろう。  ただ、何でも義兄の竜也を上回ってはいけない。  竜也の立場を脅かす存在になっては何時かは疎まれてしまう。  何事も控えめに……竜也の影で存在が薄れるくらいでいい。  そうすれば稔川の家に居る事が許される……本気でそう考えた。  誰から見ても「良い子」と映るように努めた。  周りの人間のうけは良かった。  義父と義兄の態度は母が居た頃からなんら変わる事はなく、自分の居場所確保が成功しているとホッとした。  表面だけの薄っぺらい家族ごっこだとしても、ごたごたするよりかは全然ましだ。  そう思い、神経を尖らせながらずっと息を殺して過ごしていた。  ただただ平穏無事に日々が過ぎる事を願っていた。  独りで暮らしていけるようになるその日まで……。  だが、俺の願いとは裏腹に中学になって初めての夏に事件は起こってしまった。  同じ学校の男子三人が万引きをした場にたまたま居合わせてしまった所為で、俺まで仲間だと思われ、捕まってしまったのだった。  自分は無関係だと何度も店の人間に説明したが、信じてもらえず、本来この場で取り調べを受けている筈の三人はまんまと逃げてしまい俺は自分の無実を証明するすべが見つからなかった。  名前を訊かれたが、言えなかった。  実際は無実だとしても、万引き犯として捕まっているのだ。  引取りになんて来てくれとは言えない。  無実を信じてもらえなかったら……。  そう思うと恐くて名前を口にする事は出来なかった。  結局制服から学校が割れ、稔川の家に連絡をされてしまった。  担任の先生を伴って義父は何時もの仏頂面で本屋の事務所に現れた。  もう、終わりだと思った。  今日まで必死に築き上げてきたものが全て壊れてしまう……。  不意に義父と目が合い、恐怖からか言葉が出てこなかった。  自分の無実を訴えなくてはいけないのに、言葉は出てこなかった。  石になってしまったように動けず、ただ義父を凝視していると、本屋の主が義父に事のあらましを説明し始めた。  俺は事実とは違う説明を他人事のように聞いていた。  ……義父は怒るだろうか?  ……飽きれるのだろうか?  俺には謝ることしか残されていない。  そんな事を考えていた時だった、静でドスの利いた声が店の主に話出した。 「ウチのヤツはやってねぇよ」  一瞬何を言ったのか俺は理解出来なかった。  店の主は困った顔をした。 「あのねお父さん、親は大概は皆さん『自分の子に限って』って言うんですよ。信じたくない気持は分かりますがこれは事実なんですから……」 「あんたは俺の息子がモノをガメタところを見たのか?」 「えっ、いや……」  義父の質問に店主は自信なさそうな答えを返した。 「盗んだモノを持っていたのかよ」 「商品は持っていませんでしたが、万引き犯達の仲間ですから……」 「何をもって仲間だとあんたは言うんだ? 制服か?」  義父の威圧に店主は言葉を失ってしまった。  担任の先生も普段の俺の素行の良さを話し聞かせ、万引き犯達とは関係無い事を 必死で訴えた。  店主はそれまで存在を忘れていた防犯カメラのテープを慌てて見ると、俺がただの客だったと分かり「スイマセンでした」と何度も何度も頭を下げて謝った。  俺は自分の無実が認められてホッとした。  義父は来た時と同じ仏頂面で「帰るぞ」と俺の腕を引っ張って歩き出した。  帰る道中義父は一言も言葉を発しなかった。  俺は言いたい事や訊きたい事が沢山あったが、ただ義父の背中を追いかけるように歩いた。  義父は何故俺が万引きをやっていないと断言出来たのだろう?  担任の先生のように、普段の行いからやるはずがないと思ったのだろうか?  自宅まであと数メートルという所で「なんで俺が万引きやっていないと思ったの?」やっとその一言だけを搾り出した。  義父は足を止めゆっくりと振り返った。  俺を見る目を細めて静に言った。 「お前は良い子でないと家に居られないと思っているんだろ? 家を追い出されないように気を使っている。そんなヤツが万引きなんか出来るかよ」  ばれていた……。  足元が崩れていくような気がした。  グラグラして立っているのがやっとだった。  傾く身体を必死で立て直しながら義父の背中の後を追った。  どうやって自分の部屋まで辿り着いたのか分からなかった。 「大丈夫か?」  何時からそこに居たのか義兄竜也が部屋の出入り口に立っていた。 「顔、真っ青だぞ」  グラグラする……。 「そんなにショックだったのか?俺達が知っていた事」  何……?  竜也兄さんは何を言っているんだ?  頭が上手く働かない……グラグラする……。 「悪かったな気付いていない振りしてて」  もう、立ってはいられなかった。  その場に崩れるように座り込むと義兄は「大丈夫か!?」と心配そうに覗き込んだ。  俺は壊れた人形のように項垂れた。 「お前があんまりにも頑張るものだから、俺も親父も気付かない振りしちまったんだ」  俯いたまま独り言のようにブツブツと「知っていた……知っていたんだ……」と繰り返した。  竜也義兄さんは両手で俺の顔を挟むと、優しく自分の方へ向き直させた。  目が合った。  竜也義兄さんは恐いくらい真っ直ぐ俺を見ていた。 「きっかけが必要だったんだ。俺達にもお前にも。でも、これでやっと本当の家族になれるな……」  それまでハッキリ見えていた竜義也兄さんの顔が急に歪んだ。  何かが頬を伝いポタポタと落ちて行く。  震えが止まらなかった。 「もう、我慢しなくていいんだ。お前が家に来た時から家族として認めているんだ。良い子であっても、悪い子であってもどんなお前でも構わないんだよ。悪なら悪で首根っことっ捕まえて正しい道に戻すからよ……」 「俺……俺……」 「自分を殺すな。見ているこっちが苦しいんだ。一緒に幸せになろう」  頭は混乱したままだったが、ただ嬉しくて、竜也義兄さんにしがみ付いてボロボロに泣いた。  ずっと新しい群れで上手く暮らしていく事だけを考えていた。  独りは恐かったから……。  何時も怯えながら暮らしていた。  不安で不安でたまらなかった。  常に息を殺していたから、苦しくて独り立ち出来る様になるまでもつかどうかも不安で堪らなかった。  その必要が無いと告げられ急に呼吸が楽になった。  安堵感で全身の力が抜けた。  あの日の嬉しさは今日まで忘れた事がない。  俺も志野原先輩も母親に置いて行かれ、新しい群れで暮していく事を余儀なくされ、俺は群れに溶け込めたが、先輩は群れに入る事は許されなかった。 「俺は思うんだが、経験した事のない痛みは分かんないもんだ」  突然竜也兄さんは言い出した。 「親の居る人間に親の居ない人間の気持なんか分からねーよ。『分かる』なんてただの言葉だ。想像でしかない。失って初めて実感として分かるんだ。そうだろ?」 「うん……俺もそう思うよ」  兄さんはニッっと笑った。 「お前には経験がある。志野原とは違うが似た様な経験をしている。そして志野原の欲しかったモノを手に入れている。それがお前の強みだ」  兄さんはあの日と同じように両手で俺の顔を挟んで自分の顔に近寄せ、額と額をくっつけた。 「頑張れ。お前が本気で志野原を助けたいと思うなら出来る!!」  竜也兄さんにそう言われると不思議と出来るような気がした。  ずっと不安だったのに……。 「兄さん……俺先輩の家に行って来るよ」  そう告げて何時ものように支度をして志野原先輩の待つマンションに向かった。

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