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第17話 当たってみたら見事に砕けた -1
外は雨。
ジメジメとした空気が纏わりついてダルくなる。
猫じゃないけど、こういう時期はだらーっとして動きたくなくなる。
せめてもの救いは、教室にエアコンが付いていること。
中学には無かったから、本当にありがたい。
教室に行くと、いつもはオレより遅い藤堂がもう登校していた。
珍しい。
「おはよう」
「あ、おはよー」
オレが近付いて声を掛けると、藤堂は顔を上げていつもと変わらない挨拶をしてきた。
「今日は早いな」
「うーん、ちょっと早く起きすぎちゃってさ。すること無いし、とりあえず学校に来てみた」
遅刻よりはマシだろ? と笑っているけど、だからと言って学校に来て教室で座っているかな。
「いつから居たの?」
「えっと……7時半前には教室に着いていたかな」
「早っ」
ちなみに、朝8時半から朝のHRが始まるから、生徒はそれまでに登校すればいい。
その一時間も前に教室に着くなんて、やる気がありすぎた。
朝練のある部活の部員なら学校に来ているだろうけど、そういう生徒は教室には寄らずに直接部室に行くし。
変わっているなぁ、藤堂。
□ □ □
「なっちゃーん」
その日の午後、ぼーっと廊下を歩いていると、背後から嫌な呼び方をされた。
校内でオレをそう呼ぶのは、あの集団しかない。
恐る恐る振り向くと、廊下の端に予想通りの人物たちがいた。
「なっちゃん、ちょっと」
コイコイと手招きをしているのは黒見だ。その横には仲井もいる。
行きたくない……。
躊躇いを打ち消す為に溜め息を一つ落としてから、オレは二人の所へと足を向けた。
「……なんですか」
やる気無く訊ねると、例によって黒見が頭に掌を乗せてきた。
「若いのに元気ないなぁ」
「一つしか違わないじゃないですか」
手を払いながら言った。
なんでいちいち頭に手を置くんだよ。
オレの背が低いのがそんなに楽しいか。
「一年の教室に何の用です?」
刺々しく訊ねると、二人は顔を見合わせて言い澱んでしまった。
言うかどうか迷うような事なら、わざわざオレを呼ばなくてもいいのに。
「カオリちゃんの様子、どお?」
は?
神妙な表情で仲井が言ったセリフに、一瞬固まってしまった。
なぜここで藤堂のご機嫌伺いなんだ?
「……普通、だと思いますけど?」
訝しがりながらもそう答えると、二人はまた顔を見合わせて黙ってしまった。
何なんだよ。カンジ悪いなぁ。
「用件はそれだけ? だったらもう行きますけど」
「ちょっと、待った」
立ち去ろうとした所を、黒見には頭、仲井には腕を掴まれて二人がかりで引き止められた。
屋上でのこともあって、身体がビクリと怯えの反応をしてしまった。
それに気づいたのか、仲井はすぐに手を離した。
黒見の方は話を聞いていないのか、オレが突然掴まれて驚いたと思っているようだ。
「悪い。そんなに驚くとは思わなかった」
とか言いながら、ガシガシと頭を撫でてくる。
謝るなら、まずそれをヤメロ。
「弓月がさ、彼織ちゃんと喧嘩したみたいなんだよな」
声を潜めて黒見が言った。
藤堂を見る限りでは、誰かと喧嘩してきたようには見えなかったけどな。
「それで弓月の機嫌が最悪でさ……」
「既にエースケが犠牲となって、さっき保健室へ運ばれたよ」
誰だよ、エースケって。
それよりも問題は、保健室送りになったという所か。
噂通り、恐ろしいキレっぷりだ。
「でさ、それとなくでいいからカオリちゃんに弓月と仲直りするように言ってくれないかな」
「自分で言えばいいじゃないですか」
そんなことの為に人を呼ぶなよ。
と言うか、そんな事に巻き込まないでくれ。
「嫌だって。ただでさえ悪い弓月の機嫌をこれ以上悪化させられるかっ」
黒見は両腕を擦って大袈裟に恐ろしがってみせる。
「はぁ?」
「だから、弓月抜きで俺らがカオリちゃんと喋ると怒るんだよ」
「心の狭い人ですね」
「同感。でもそれ、本人の前で言うなよ」
真剣な表情で忠告されたけど、本人に会うこともなさそうだし、会ったとしても言わないよ。
でも他の人喋るだけで機嫌を損ねるなんて、藤堂も大変じゃないのかな?
あれ?
同じクラスの奴はいいのかな?
「何してんの?」
立ち話をしている場所は人通りもある廊下で、ザワザワとした雑音が絶え間なく聞こえている。
でもその声は、雑音なんて気にならないくらい明瞭に聞こえた。
「おっ、いい所に来た」
「塚本―」
振り返ると、場違いな二年生を不審そうに見る塚本がいた。
「何でお前らがここにいんの?」
塚本の出現を喜ぶ二人とオレの間に割って入って、少し不機嫌に言った。
「うっわ、もしかして機嫌悪い?」
「寝起き?」
二人は相変わらずの調子で塚本の肩を叩いた。
塚本の寝起きは「不機嫌」というより「無気力」と表現した方が正しい。
これは寝起きとはちょっと違うんじゃないのかな。
ちらりと見上げると目が合ってしまった。
「何かされた?」
されたんじゃなくて言われたんだけど、そんな眉間に皺寄せて聞かれると困ってしまう。
「ひっでぇーな、まるで俺らが何か危害を加えようとしていたみてぇな言い方」
なぁ? と黒見に同意を求められて、仲井は困ったようにオレを見た。
前科ありだもんな。何も言えないよな。
「じゃあ頼んだよー」
「よろしくね、なっちゃん」
気を利かせたのか、ニヤニヤと笑いながら二人は去って行ってしまった。
オレはまだ承知してないのに。
「ちょっと待って……」
と言っても全然届いてない。
すっげぇ自分勝手な人たちだよな。
それに、塚本と二人になるのは特に珍しいことじゃないし、なったからと言って何かある訳でもない。
それでもちょっと意識して見上げると、塚本は僅かに首を傾げていた。
「なっちゃん……?」
……あ。
その呼ばれ方、何だかんだ言って定着しつつあったから油断していた。
塚本が不思議そうにこっちを見ている。
笑うがいいさ。
どこぞの清涼飲料水かよ、とバカにすればいい。
「それは、オレの名前が奈津だからって勝手に付けられたの!」
照れ隠しに逆ギレになってしまった。
「ナツ……」
なるほど、と納得した呟きだったけど、塚本に名前を呼ばれた新鮮さにクラクラする。
不意打ちだ。
「何、頼まれたんだ?」
「藤堂と弓月さんがケンカしたらしいから、仲直りを促せと言われた」
「それだけ?」
「それだけ」
ふーん、と気の抜けた返事の後に「またか」と呟いた。
二人がケンカするのは「また」なんだ……?
「あの二人は、放っておいた方がいい」
元からそのつもりだったけど、言い逃げされちゃったし。
「確かに他人のケンカに口挟むのはどうかと思うけど、犠牲者出てるらしいし」
言うくらいならいいかな、とも思う。
でもさ、藤堂はいつも通りで誰かとケンカしているなんて微塵も感じないんだよな。
そういう奴に何て切り出そう?
「犠牲者? 誰?」
「さぁ……聞いたことの無い名前だったけど。エー……スケ、とか何とか」
「ああ。うん、分かった」
やっぱり知っている人なんだな。
その人の名前を聞くと、塚本はふらーっと教室とは逆方向に歩き出した。
今は授業の合間の10分休み中で、その休みももう終わる。
今からどこかに行っていたら、確実に授業には間に合わない。
「どこ行くんだよ」
「見舞い」
「今から? もう授業始まるぞ」
「こっちのが大事」
立ち止まって振り返って、当然のように言った。
ああもう、そのエースケって人が羨ましい。
そりゃさ、塚本にとって二回目の授業なんて大して重要じゃないんだろうけど、そんな風に言われると少し妬けてしまう。
「付いてっていい?」
思わず言ってしまった。
何でかは自分でもよく分からない。
塚本が「大事」とか言うから嫉妬したのかもしれない。
「授業始まるぞ」
驚いた表情で、さっきオレが言ったセリフを返してきた。
「塚本に言われたくない」
そう言って笑って隣に並んだ。
オレの行動は塚本を戸惑わせてしまったみたいだけど、基本的にどうでもいいのか、それ以上は何も言われなかった。
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