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第79話 文化祭1日目 -6【森谷】

 俺たちが椅子代わりに座っているのは、校舎三階の階段の上から二段目。  すぐそこの廊下は、それほど多くはないが人通りが絶えない。  それでも俺たちが邪魔にならないのは、階段の右壁から左壁に渡された紐に貼られた 手書きの「部外者立ち入り禁止」の紙のおかげだろう。  この校舎が文化祭で公開に使用しているのはこの階まで。  ここから上には、学校関係者しか入ってはいけませんということになっている。  と言っても、実際には紐引っ張って紙貼ってあるだけで、入ろうと思えば余裕で入れる。  入ったところで、得になるような何かもないけど。  俺より一段下には、三年の浅野先輩が座っている。  用も無いのに俺を連れ出した張本人。 「はい」  先輩がどこからか取り出したのは、校内の自販機で売っている缶コーヒー。  俺の目の前に差し出してにっこり笑う。 「……どーも」  断るのもなんなので素直に受け取っておく。  プシュッと封を開けて口をつける。 「飲んだな」  何かを企んでいるような低い楽しそうな声で先輩が言った。 「……これ、くれたんじゃないんですか」 「タダで、とは言ってないだろ」 「詐欺じゃないですか、それ」  先輩は、俺の浴びせた非難になんて全く動じる事はない。  それどころか、ありえない事を言い出した。 「キス一回で手を打とう」 「……」  呆れて物も言えない。  と言うか、言われたこっちが恥ずかしい。 「嘘だって。拉致ったお詫び」  俺が何も言えずに固まっていると、先輩がケラケラと笑いながら肩を軽く叩いてきた。  一瞬、この場合はどっちのが安いんだろう、なんて考えた俺も大概だけど、そんな嘘を平然と吐けるこの人もこの人だと思う。  俺は安堵の息を吐きながら、さりげなくジリジリと先輩と距離を取った。  それを見た先輩が苦笑する。 「同じ人類だろ。そんなに怖がるなよ」  だからと言って、先輩は無理に引き寄せようともしないし、自分からも寄ってはこない。  それにしても「人類」とは、また大きな括りできたもんだ。 「今にも食われそうで怯えずにはいられません」  思わず溜め息が漏れる。  なんで俺がこんな目に合わなきゃいけないんだ。 「だったら食えば?」 「はぁ?」  どうやってそういう発言に辿り着くのかは理解できないが、冗談なのか本気なのか判断に困る口調でさらに続ける。 「よく言うだろ。『食われる前に食え』って」  言わねぇよ。 「初めて聞いた言葉です」  そんな逆説っぽい言い方をしても騙されてやらない。  結局は、先輩の告白を受け入れろって事だろ。 「まぁ、とにかくだな。俺は美味しくいただかれちゃっても一向に構わない、という事だ」  この人は、めげるという事を知らないらしい。  そんな事言われても、俺が構う。 「……美味しいんですか」  ……って、俺も何を聞いてるんだか。 「食えば分かるって」  俺の間の抜けたセリフに、満面の笑みでそう言う。  そうくると思ってたよ。 「イヤですよ。そんな闇鍋みたいなのは」  闇鍋なんて実際にしたことなんてないし、これからもするつもりはない。  だから、断るのが俺としての道理だろ。 「手強いなぁ。ハルくんは」  クスクス笑って、呼ばれ慣れない呼び方で俺を呼ぶ。 「その呼び方、どうにかなりませんか」 「なりませんねぇ」  のんびりと他人事のように言う。  せめて、「くん」は止めて欲しい。 「先輩は、俺なんかのどこがいいんですか」  それが最大の謎だ。  好かれるような事、した憶えなんてないのにな。  だけど、先輩の口からは俺が聞きたかった質問の答えは出てこなかった。 「『なんか』とは何だ。俺が惚れた男だぞ。侮辱は許さん」  イヤ、そんな事言われても、俺の事なんだけどな。  しかもズレてるって。 「自分の事でも駄目ですか」  方向を修正するのも面倒になって、脱力したままそう言った。  そしたら、先輩は今までとは違う真面目な表情になった。 「自分の事だから駄目なんだよ」  ………。  この人って、結構……。 「ハルくんは、好きな人がいるって言ってたよな」  何なんだよ、いきなり。  人がせっかく評価を上げようとしているのに、突付かれたくない部分を針先で刺されてその気が失せた。 「ええ、まぁ」  俺に好きな奴がいることは、告白された時に伝えてあるので今更隠す事じゃなかった。 「告白はしたのか?」 「……振られましたけど」 「ほら見ろ。自分の事を『なんか』とか言ってるからだ」  勝ち誇ったように言われた。  別に、そんな理由で振られた訳じゃないと思うけど。 「言っときますけど、俺が自信無くしたのは振られてからです。その前までは、それなりにありましたよ」  思わずムキになって本音が漏れてしまった。  俺が好きなのは、同じクラスの瀬口。  その瀬口は、これまた同じクラスの塚本と付き合っている。 「奪えるとは思ってなかったけど、あそこまでシッカリくっ付いてるとは思わなかったよなぁ」  矛盾していると言われれば認めるしかない。  瀬口が意識しているのは塚本だけで、他の男なんて当たり前すぎる程に完全に対象外。  表情が全然違うんだよな。  最初から分かっていたから、余計にどうしようもなくなってしまった。  俺は、塚本といる瀬口が欲しかったんだ。  その時点で、俺はもう駄目なんだって分かっているから。 「未練がましいな」  抑揚の無い声で率直な感想を言われた。  わざわざ先輩に言われなくても、十分すぎる程自分で分かっているよ。 「先輩こそ」  嫌味を込めてそう返してやった。  たけど、相変わらず先輩には無意味だった。 「俺は自信があるからな」  「何の?」なんて聞かなくても分かってしまうのが嫌だ。 「俺が落ちるって?」 「そう」  案の定、当たり前のように頷かれた。  そんな自信満々に言われると、とてつもなく不安になるから止めてほしい。 「どっから来るんですか、その自信は」 「とりあえず、ハルくんがここにいるって辺りから。本気で嫌がってたら、俺と話しなんかしないだろ」  なんて前向きな。  でも、全部がハズレじゃない。  告白とかそういうのがなければ、俺は浅野先輩の事嫌いじゃない。  さっき逃げていたのは、また告白されるんじゃないかと思ったから。  こうして、ただ話しをするだけなら全然嫌じゃない。 「先輩って……変、ですよね」  ふと、思ったことを口に出していた。  こんな言い方をして怒られるかと思ったけど、先輩はそういう人じゃなかった。  怒るどころか、身を乗り出して笑う。 「興味湧いてきたか?」  あ、嬉しそう。  男で、年上で、「可愛い」なんて言葉似合うような人じゃないのに。  少しだけ、血迷ってしまった。 「不本意ながら」 「それは何より」  複雑な俺の心境なんてお構いなしに、満足そうな表情を見せる。 「俺、そろそろ行きます」  腕時計を見ながら言うと、俺に用事があると思ったらしく引き止めたりはしなかった。 「はいはい。拉致ってゴメンな」  告白してきたなんて嘘のように、未練なんて欠片もなく送り出される。  強引なくせに、本当の意味での迷惑は掛けたりはしない。  力加減が上手い。  立ち上がって、階段を数段降りて動きを止めた。  手に持ったままの缶コーヒー。  無視しようと思っていたけど、気が変わった。 「忘れるところだった」  独り言のように呟いて振り返ると、こっちを見ている先輩と目が合う。 「何?」  不思議そうに言った先輩の前まで戻って身を屈めた。  左の頬に、掠める程度に唇を当てる。  先輩は軽い冗談のつもりで言っただけで、俺が本当にするなんて思ってなかっただろう。 「ご馳走さまでした」  呆然としてる先輩なんて珍しいから、自然に顔が綻んでしまう。  墓穴を掘った自覚くらいある。  けど、ちょっとした満足感を味わえるなら、すぐに埋められる程度の穴くらい悪くない。

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