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第152話 痛みすら包み込むような -3
何か言わなきゃ、と考えれば考える程ストレートな言葉しか浮かばない。
それだけは言わない、と思っているのに、その一言で頭が一杯になってしまう。
色々と理由を考えても、結局オレを突き動かしている想い。
「……会いたかった、から」
溢れた想いは、ポツリと口から落ちていった。
床から跳ね返ってくることはなかったけど、エコーのように耳に残って嵐のような後悔に襲われる。
多分、一番言っちゃいけない事を言ってしまったのではないだろうか。
この期に及んで、なんて未練ありまくりな事を。
「いや、そういう意味じゃなくて、ちょっと訊きたい事があるって事で……っ!?」
慌てて言い訳をしている最中に、頭が重くなってガクンと下がった。
顔を上げようとしていた矢先だったから、その反動はちょっとした攻撃だ。
何が起こったのか考える前に、頭に乗せたままのタオルでガシガシと髪を拭いてくる。
このタイミングで、こいつがそんな行動に出るとは思ってもみなかったから、反応も鈍くなる。
「ちょっ……何!?」
止めさせようと咄嗟に手を掴むと、動きはピタリと止まった。
それでも手はまだ頭の上にあるので、重みは十分にある。
ゆっくり顔を上げて、タオルの隙間から覗く。
この角度からだと表情が見え難いけど、少なくとも怒っているようには見えなかった。
オレの頭から手を引っ込めながら言う。
「ごめん。少し意地悪をした」
「は?」
イジワル?
こいつ、こんな場面で何言っているんだ?
一体、何に対して謝られているのか分からないし、イジワルっていうのも不明だ。
今のガシガシの事か?
それだったら、イジワルっていうのとは何か違くないか?
「瀬口は、俺の気持ちなんか考えなくてもいいのに」
聞き返したオレを無視して、淡々と話を続けた。
だけどそれが、何の脈絡のない言葉に聞こえて、更に混乱する。
それと、久しぶりに呼ばれてドキドキもしている。
「……どーいう意味だよ」
「俺は、瀬口のものだから」
訝るオレに動じることなく、真面目な声と表情で言う。
「それ、まだ言うかっ」
こいつは、1年も前の事をまだ律儀に覚えているだけじゃなく、口にまで出しやがる。
だけどそんなの、今となっては虚しいだけだろうが。
お前はもう、オレのものなんかじゃないんだから。
睨んでやると、至近距離まで迫っていた顔が離れていった。
「言う」
少し楽しそうな声は、この場の空気にそぐわない。
勝手に上がりこんでいたオレに対しての反応が、思っていたのと違いすぎる。
追い出されても仕方ない状況なのに、どうしてこいつはちょっと楽しそうなんだよ。
しかも、オレが混乱中なのを良いことに、人の足首を掴みあげる。
言動の全てが理解不能で、オレには何が起こっているのか全く分からない。
「!?」
そして、なんの躊躇いもなくつま先に口付けしやがった。
足先から走る微かな感触が、一瞬にしてオレを石化する。
「おっ、お前、どこに何してんだよ!」
目の前の光景が信じられなさすぎて、叫ぶ声も上ずる。
甘噛みからの、肉厚の柔らかい舌の感触に倒れそうだ。
「この程度で驚かれたら、何もできない」
平然とそう言うけど、普通は驚くだろうがっ。
しかも、足を掴んだままジリジリと接近してくる。
太腿に指の滑る感触がして、ゾクリと何かが全身に走った。
今更ながら、こんなに無防備な格好じゃどうにもならない。
「……何する気、だよ」
「分からない?」
こいつが、こういう時に楽しそうなのは相変らずだ。
お前がこれから何をしようとしているのかなんて、分からない訳がないだろうが。
オレが疑問に思っているのは、どうしてオレにこんな事をするのかってことなんだよ。
オレのことなんか「もういい」クセに、前と変わらずに触れてきやがる。
そうだな。
そういう意味では、お前のことなんか本気で分からねぇよ。
「瀬口、もう泣いてる?」
俯いたオレを覗き込むように訊いてくる。
少しからかうような言い方は、今のオレには笑われているようにしか聞こえない。
お前にしてみれば、まだなにもしてないのにって思っているのだろうけど、オレにとってはもう十分酷い事をされているんだ。
泣きたくもなるっつーの。
「オレは、お前みたいに挿れられればいいってだけで抱かれたりしねぇんだよ」
今だって、お前じゃなかったら滅茶苦茶に抵抗している。
できないのは、このまま抱かれてもいいって心のどこかで思ってしまうから。
抱いて欲しいって、身体の中が疼くから。
なんてバカなんだろう、って自分でも呆れる。
「好きな奴じゃなきゃ嫌だし、お前じゃなきゃ嫌なんだよ!」
零れ落ちたのは、正真正銘の涙だった。
あまりにも落ちるから、手の甲で無造作に拭う。
こんなに泣くとは、自分でも予想外だ。
そういえば、こいつと出会ってから、オレの涙の原因はいつもこんなだったよな。
「人がせっかく別れてやるって言ってんのに、こんな事しやがって」
勝手に上がりこんで服を脱いでいた奴に言われたくないだろうけど、言わずにはいられない。
オレがどんな気持ちで、あんな事を言ったと思っているんだよ。
こっちの気持ちも知らないで、あんなに簡単に頷いた上に、今はオレをいたぶろうとしている。
しかも、オレが一番嫌だと思う方法で。
「お前にとって、オレなんかもうどうでもいい存在なのかもしれないけど……っ!」
オレがどんなに辛くて、お前がどれだけ酷い事をしているのか思い知らせてやりたい。
その決意は、最後まで言葉にすることはできなかった。
掴まれていた足が更に上に持ち上げられ、その反動で上体が後に傾く。
床と濡れたシャツの合せ技で、背中がひんやりと冷たい。
視界には、天井ではなく見慣れた顔。
ちょっと困ったような表情をして、こちらを見下ろしている。
どうしてお前がそんな顔をするんだ。
「誤解があるみたいだけど、今は、余裕無いから後で言う」
またしても意味の分からない事を。
「ご、かい?」
疑問符だらけのオレを見下ろしながら、着ていた制服を脱ぎ捨てた。
こいつは本気でヤる気なんだと確信して、身体が強張る。
どんな誤解があるのか「後で」じゃなくて今言え、と文句を言えるほど、オレにも余裕は無くなった。
「ちょっと、待っ……」
「待て」と口走るのはいつものクセ。
けど、今回は言い終わる前に口を塞がれた。
何日ぶりかのキスは、どういう訳か相変らず甘く感じて胸が痛い。
嫌悪感でもあればいいのに、どうしても好きだと想うことしかできない自分はバカだ。
こんな想いはもう無駄なのに、どうして大切に抱えてしまうのか。
恨めしい気持ちで睨んでやると、切羽詰ったような声が降ってきた。
「ここまで煽られたら、もう『待て』はきかない」
いつもいつも、オレが困った時に使っていたワガママな手段。
半分は照れや恥ずかしさだった今までとは違って、本気の「待て」だったのに無効にされてしまった。
オレのワガママが好きだと言ってくれていたのは、お前にとってはもう過去のことなのか。
つまり、こいつを止める言葉はもう無いらしい。
誰も煽ってなんかいないというのに、何とも思っていない相手でもその気になれるんだな。
「やっ……」
突然、このままされるのが怖くなって、身を捩って抜け出そうとしたけどダメだった。
背中を向けたら背後から密着され、うなじを吸われた。
途中までボタンを外していたシャツは肩から落ちて辛うじて腕に引っかかっている状態で、それが邪魔をして、両腕はあまり自由に動かない。
でも多分、そんなのがなくても、身体は自由に動かなかったと思う。
「瀬口」
耳元で囁きながら、手を潜り込ませてくる。
ただでさえ混乱しまくっているというのに、性急な刺激に頭が真っ白になる。
逃げたり、抵抗したり、というのはどこかに飛んでいってしまって、ただ耐えるしかできない。
止めようと思っても呼吸が荒くなる。
自分はもう、こいつにとって用済みだと分かっているのに逆らえない。
「まさと……っ」
首を巡らせて求めると、待っていたかのように唇を奪われる。
昂ぶれば昂ぶる程、胸が壊れたみたいに痛むから余計に苦しい。
「ごめん、限界」
絞り出すようなセリフは、強引なのに絶妙な指の動きに気を取られすぎて、実はあまりよく聞こえていなかった。
例えちゃんと聞き取れていたとしても、オレにできる事なんて何もない。
強いて言うなら、こいつの気の済むまで揺さぶられてやる事くらいだろうか。
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