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第154話 それは愛しさに比例する -1

 意識が浮上しても目を閉じたまま、心の中で静かに数えてみる。  脱衣所で2回。  その後、風呂に入れられて……1回だったのかな?  身体を洗われて、湯に浸かって、その間もやたらと絡み合っていて、浴室は音が響くのが嫌だなと思ったのは憶えている。  だけど、かなり意識が飛んでいて、その辺りの記憶は曖昧だ。  中に出されたものを含めて洗われていた筈なのに、途中からそれだけではない動きが混ざってきたのと、2人で入るには狭い浴槽の中で抱き締められながらゆらゆらと揺さぶられた憶えもある。  しかも、今数えたのはあいつが達した回数だ。  オレの方はその限りではない。  勝手に済ませるのかと思いきや、オレのも触ってくるし、感じる所を舐めてくるし、焦らされて泣かされてグズグスになって、何が何だか分からなくなっても終わらなかった。  風呂から上がってホカホカになって、ぼんやりしている間に布団に運ばれて現在に至る。  こんなに長く抱かれていたことなんてなかったから、今までにない脱力感に襲われていた。  もう、何も考えたくないな。  このまま深く深く眠ってしまいたい。  けど……。  そういう訳にもいかないから、何とか起きなければと目を開けようとした時、不意に髪を撫でられた。  こんな状況じゃなくても、オレの頭をこんな風に撫でる奴なんて1人しかいない。  ゆっくり瞼を上げると、やたらとデカイ座敷童が枕元に座っていた。  薄開きの瞳では、その顔まではよく見えない。 「……何で?」  ぼんやりとした頭で喋り出したはいいけど、声が掠れていて思い通りのボリュームは出なかった。 「お前、オレの事なんかどうでもいいクセに」  何の躊躇いもなく別れてしまえるような存在なのに、こんなに優しく髪を撫でるなよ。  また泣きそうになるだろ。 「どうでもいい?」  手を止めて、不思議そうにわざわざ聞き返してくる。  オレが知らないと思って、しらばっくれる気か。 「オレの記憶が無かった時、お前の事を忘れたオレなんか『もういい』って思ったんだろ? それって、オレなんてどうでもいいってことだろ」  肘を立てて起き上がろうとして、掛けられた布団の中の自分が裸であることに今更ながら気づいて動きが止まる。  びっくりした。  服を着ていなかった事に違和感が無かった自分と、見えた範囲だけでも無数に付けられた痕に。 「瀬口を嫌いになった訳でも、どうでもよくなった訳でもない」 「……じゃあ、何だよ」  慌てて布団に包まりながら、不満有りなのを隠すことなく言う。  こいつが何を言っても騙されないように、流されないようにしなきゃいけない。 「瀬口は、男に抱かれるのに抵抗があるだろ」  最初の一言からダメージを受けた。  それを今、お前が言うか!? 「俺とするのも、相当無理してると知ってる。それで、俺を忘れて、俺とのことも忘れたなら、もう思い出さない方が良いとは思った」  淡々と喋るのを聞きながら、こいつの言っている事が理解できないと気づく。  それが、今のオレの精神状態の所為なのか、こいつの思考回路が特殊だからなのか分からないけど、頭の中がこんがらがってしまってうまく呑み込めない。 「…………無理なんかしてねぇし!」  とりあえず、否定しなければいけない所はしておく。  厳密に言えば、無理はしている。  だけどそれは、抱かれるのが嫌なのを我慢している、という事ではない。  男に抱かれるのに抵抗があるのは間違ってはいないけど、その括りの中にお前は入っていないんだよ。  オレがしている「無理」は、圧倒的に足りない経験値に対する畏怖だ。  幻滅されたくない、飽きられたくない、嫌われたくない。 「けど、全くゼロの状態からなら、何も無い方がいいだろ」 「良く無い!」  反射的に否定していた。  全くゼロの状態っていうのは、去年の4月の状態って事だろ。  確かに、あの時はこいつとこんな関係になるなんて考えもしなかったけど。 「それは、今の瀬口だから」  落ち着いた声音だったけど突き放したような言い方で、言い返してやる勢いが止まってしまった。 「あの時の瀬口は、そんな風には言ってくれないんじゃないかと思ったから」  間抜けな事に、今頃気づいてしまった。  高校に入学したばかりのオレに、今のこいつをぶつけたら、全力で拒否るかもしれない。  なにしろ、一年分の温度差があるからな。  と言うか、こいつは結構最初からこんな感じだったけどな。  不意に、藤堂に怒鳴られた言葉が戻ってきた。  言われた時は完全にスルーしたけど、今になって重要な助言だったと気づく。 『あの時、マサくんがどんな気持ちでいたかとか、もっと考えてやれよ』 『好きだから無かったことにするって、よく分かんない結論になったんだろ』  今頃になって、初めて想像してみる。  オレが記憶を失くしても、こいつが変わらずオレを好きだと思っていてくれたなら。  しかも、オレがこいつと無理して付き合っていると思っていたなら。  こいつの事だから、関わらない方がいいんじゃないか、という考えが頭を過ぎってもおかしくはない。  オレの気持ちも知らないクセに! とか思ったけど、こいつの気持ちを知らなかったのはオレの方だ。  どうしてもっと信じられなかったんだろう。  自分ばっかりが辛いなんて、傲慢すぎだ。  そんな奴、いくら何でも愛想が尽きるって。  忘れられても好きだと思っていてくれたのに、ちょっとヤキモチ妬いて「別れる」とかガッカリだよな。  幻滅されて、見捨てられても文句は言えない。  居た堪れない気分になって、ガバッと頭から布団を被って隠れた。 「……オレ、自分が嫌いだ」  布団の中からじゃ聞こえたかも怪しいけど、それでも言わずにはいられなかった。  聞こえなくてもいいんだ。  自分に言っただけだから。  自己嫌悪に押しつぶされて、口から出てしまったセリフだから。 「俺は好きだよ、そういう瀬口」  被った布団に微かな重量が加わって、頭の上に何かが乗っているようだ。  物理的な重みよりも、響くように耳に伝わった言葉の方が重い。  らしすぎて、返す言葉もない。  実は何も考えてなくて、条件反射で口から出ているだけなんじゃないかってくらい自然に言いやがる。  簡単に「好き」とか言うな。  お前にとっては挨拶程度の一言なのかもしれないけど、オレにはそんなに軽くないんだ。 「……どういう意味だよ」 「愛してる」  あまりにもな一言に、思わず咽てしまった。  ただでさえ、布団を頭から被っているから息苦しいのに、今ので酸素をかなり使用した。  こいつは、自分の言葉の破壊力を知らなさ過ぎる。 「それに、瀬口は言ってくれたし」 「…………何を?」  聞きがてら、そろりと顔を少しだけ出した。  オレが言った事なら、大したことないだろうと甘く考えていたのをすぐに後悔することになる。 「もう一度惚れさせてみろ、って」 「!?」  思わず起き上がってしまうくらいの驚きだ。 「そ、そ、そんな事、オレが言っ……」  信じられないくらいの上から目線。  ありえない。  オレがそんな偉そうな事言うなんて、絶対にダメだろ。 「ホントに、そんな事言っちゃった…のか?」  起き上がった拍子にようやく目が合って、少し嬉しそうに頷かれて、自分の頭の重さを支えきれずに再び布団に沈んだ。  ボスッと頭から敷布団に落ちて、額よりも精神的な痛さに身動きできない。

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