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第2話
(アビーロード、か)
そう言えばあの頃、いつか二人で例のアルバムジャケットの横断歩道を渡ろうと約束したっけ。
『……いえ、いいんです。もう用事は済みましたから』
そう言えば彼の生家もこの近くのはずだ。一瞬、足を延ばしたい衝動に駆られる。しかしそこにはもう彼はいない。いや、この世から彼が消えてから既に13年の年月が経っていた。
ごちゃごちゃした街中を抜け、タクシーは郊外へと差し掛かる。娘の華はすっかり窓の外の風景に夢中で、完全に体を窓の方へ向けていた。
初冬のロンドンは早くもうっすらと雪が積もり、ロンドン名物の重苦しい鈍色の雲からは、雨粒の代わりに雪の結晶がふわふわと降りて来る。
いつか遊びに行くと約束した。近所を案内してくれると片言の日本語で嬉しそうに笑った。その約束が叶わないことを当時の彼は既に知っていたはずだ。どんな気持ちで僕と指切りをしたのだろう。
「ゆびきりげんまん?」
「そう。嘘ついたら針千本を飲まなきゃいけないんだよ」
「ハリセンボン??」
聞き慣れない日本語に頭の上にクエスチョンマークがいくつもゆらゆらと揺れているのが想像できて、思わず笑ってしまった。
「指切りをした約束はね。絶対に守らなきゃいけないんだ」
「ゼッタイに……?」
「そう。守らなきゃ針千本を飲まされるんだ」
針千本って英語でなんて言うんだろう。おもむろに手のひらサイズの和英辞典を取りだして、針千本の英単語を調べる。
『porcupinefish』
慣れない英語でそう言うと、
「のます?」
そんな疑問符のついた返事が返って来る。咄嗟に英語が出て来なくて唾を飲み込む仕種をしてみたら、彼は小さく悲鳴を上げた。
『なら絶対に守らなきゃいけないな』
彼は僕が聞き取れないような流暢な英語で言うと、
「ゆびきり!」
そう言って、小指をピンと立てた。その指は細く、長くて。僕の小指にそれが絡まるとさらに白さも目立つ。
綺麗だと思った。白人特有の白さというよりは、壊れそうな硝子細工のような儚さも感じて。
「指切りげんまん、嘘ついたら針千本飲ーます」
「「指切った!」」
そうして交わされた約束。彼の小指に絡めた指。できれば、あのまま離したくはなかった。
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