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第3話

 その約束が守れなかったのは前述の通りで、突然、この国、イギリスに帰ってしまった彼のことを子供だった僕はあまりのショックで記憶から消してしまった。  それは彼が帰国して数年が過ぎた頃のことで、大学生になったばかりの僕が頑なに封印した記憶が、妻の死に直面して不意に蘇った。  約束したじゃないか。この街を案内してくれるって。あんなに憧れていた街なのに、君と一緒じゃないと、ここにいる意味がない。  必死で言葉を探して夢を語る君が好きだった。片言の日本語と英語の会話でも、心が通じ合っていると思っていた。  イギリスからの短期留学生。そんな君が僕に声を掛けてくれたあの日から、僕の日常が突然色めき立った。  どのクラスにも必ず一人はいる空気のように目立たない生徒。それが当時の僕だ。  いじめの対象になることはないが、特に誰に話し掛けられるでもなく、クラス中に無視されているようである意味ではいじめを受けているようだった。  遅刻しないように毎日決まった時間に学校へ行き、放課後、どこに寄り道するでもなく真っ直ぐ家に帰る。教室の片隅で息を飲み、いじめの対象にならないかびくびくして過ごした。  今思えば目立たず、でしゃばらず、そして暗いやつには見られないように必死だったのだろう。  そんな中学生活、三年目、その年の9月。彼はイギリスから短期留学生として僕のクラスにやって来た。 「わあパパ見て。お馬さん」  娘が指差す先には子馬の群れ。うっすらと雪を(まと)った高原を、子馬は小さな(ひづめ)の跡を残しながら行く。  しっかりと雪の大地を踏み締め、真っ直ぐに前を見据るそのたてがみの色艶は見事なもので、素人目にも血統の優れたサラブレッドの子であることがわかる。  やっぱり来るんじゃなかったと言う後悔の念と、来てよかったと思う感情が入り交じる。今思えば君がいた数ヶ月は特別で、なんて楽しい日々だったんだろう。  思い出は走馬灯のようになんて言うけれど、本物が駆け回る様子を目で追って、僕はしばし思考を飛ばした。

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