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第6話

 今、思い返してみても、あれは人生初にして最後の一目惚れだった。いつもたくさんの人に囲まれていた彼に、声を掛けることさえできなかったけれど。   結婚して可愛い娘まで持った今では笑い話だが、当時の僕は、異性には全く興味が持てなかった。今となってはその性癖が同性愛者だったとか、どちらも愛せるバイセクシャルだったとかは確かめようもないが、それは強い憧れが見せた錯覚だったと思いたい。  つまり、あまりに自分に自信が持てなくて、強くて男らしい同性に憧れた。その強い憧れを恋心だと勘違いして、彼に一目惚れしただなんて思ってしまったんだ。  その証拠に同性を本気で好きになったのは、後にも先にも彼だけだった。彼が帰国してしまい、大学生になった頃に僕は普通の恋愛をした。その相手と言うのが娘の(はな)の母親の花苗で、去年、乳癌で逝ってしまったのだけれど。  彼女のことは本当に愛していた。その証拠に可愛い娘の華まで授かり、平凡だけど穏やかで暖かい家庭を築くことができた。  それでも、正直なところは彼と比べてみると自信がない。強い憧れが錯覚させた恋慕は日を追うごとに強くなって行き、それは僕の初恋にまで発展したのだ。  どうして忘れていたのだろう。それを恋と呼ばないで、他に何をそう呼ぶのだろう。どんなに強がってみたところで、彼と過ごしたあの数ヶ月の記憶は消せるわけがない。  タクシーの中は空調が十分に効き、外の寒さは感じられない。ふわふわと悪戯に降りて来る、白く冷たい氷の結晶。  どうやら本格的に雪が降り出したようで、一瞬、その光景に見惚れた。 「ねえパパ。きれいだね」  不意に割り込んできた娘の声。靴を脱いでシートに上がり、窓の外を眺めていた娘の華。  そんな華が振り返り、無邪気な笑顔を見せる。 「……ん。だね」  なんで忘れてしまっていたんだろう。あの楽しかった日々を。君と過ごした短くて、ちょっぴり切なかった季節を。  君がいない現実を直視できなくて、無意識に記憶に蓋をしてしまった。  それは君が逝ってしまった現実だけじゃなく、あの楽しかった日々もなかったことにしてしまうことになるのに。

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