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第29話
「おかえり。店開けてたのか」
待ち伏せていたのは村田だった。僕と華をロンドンへ送り出してくれた大切な友人。どうやら空港に迎えに来てくれただけでは飽き足らず、家まで様子を見に来てくれたらしい。
村田は銜 えた煙草を地面で踏み消し、丸めた背中を伸ばした。途端にひょいと背が伸びて、僕より頭一つ分背が高くなる。
アパートの階段下、目立つようで目立たない場所で煙草を吸っていた村田。いつから待ち伏せていたんだろう。村田の足元を何気なく見遣ったら、大量の煙草の吸い殻が散らばっていた。
村田は昔からこういうやつだ。人見知りする僕にいつも話し掛けてくれて、何かしら世話を焼いてくれる。
「あ、ううん。店は開けてない」
「そか」
それから少しの沈黙のあと、
「……よかった」
村田は唐突にそう言い放った。
「え?」
「帰って来てくれて」
村田はホッとしたようにそう続けると、
「おやすみ」
そんな一言を残して僕に背を向ける。
「あ、ちょっと待って」
思わず呼び止めてしまったけれど、咄嗟に言葉は出なかった。村田が言った一言が胸に引っ掛かって。
帰って来てくれた、って言った?
村田は僕がロンドンに行ったまま、帰って来ないと思った?
(……あ。そうか。だからか)
華は当初、実家に預けるつもりでいた。だけど村田が華も連れて行けと猛烈にプッシュして来て。
自分は行くのをやめたくせに、と、ここまで考えて不意に気がついた。
「帰って来ないって思った?」
「……あー、うん。てか。連れてっちまわないかな、とかさ。ジョンが」
「え」
『ちょ、村田。何を言い出すんだよ』
そこまで出ていたのに、それは言葉にはならなかった。
正直、全く考えていなかった。ジョンが死んだことも、ようやく今日、納得できたばかりなのだから。それでも何故だか、ずきりと胸が痛んだ。
僕が行く?
ジョンのところへ?
そしたら声が聞けるのだろうか。
『ジュン』
僕の名前を呼ぶ、あの優しい声が。
「木田っ」
その時、村田の声で我に返った。一瞬、意識をどこかへ飛ばしてしまった。
……あ、れ。僕、いま何してたっけ。
なんで僕、村田の腕の中にいるんだろう。
気づけば正面から村田に抱かれていて、自分が置かれている状況に頭がついていかない。
「……行くな。頼むから」
自分からロンドンへ行けと言っといて、今度はそんなことを言って来る村田。
村田が僕を抱く腕に力がこもった。
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