29 / 40

第29話

「おかえり。店開けてたのか」  待ち伏せていたのは村田だった。僕と華をロンドンへ送り出してくれた大切な友人。どうやら空港に迎えに来てくれただけでは飽き足らず、家まで様子を見に来てくれたらしい。  村田は(くわ)えた煙草を地面で踏み消し、丸めた背中を伸ばした。途端にひょいと背が伸びて、僕より頭一つ分背が高くなる。  アパートの階段下、目立つようで目立たない場所で煙草を吸っていた村田。いつから待ち伏せていたんだろう。村田の足元を何気なく見遣ったら、大量の煙草の吸い殻が散らばっていた。  村田は昔からこういうやつだ。人見知りする僕にいつも話し掛けてくれて、何かしら世話を焼いてくれる。 「あ、ううん。店は開けてない」 「そか」  それから少しの沈黙のあと、 「……よかった」  村田は唐突にそう言い放った。 「え?」 「帰って来てくれて」  村田はホッとしたようにそう続けると、 「おやすみ」  そんな一言を残して僕に背を向ける。 「あ、ちょっと待って」  思わず呼び止めてしまったけれど、咄嗟に言葉は出なかった。村田が言った一言が胸に引っ掛かって。  帰って来てくれた、って言った?  村田は僕がロンドンに行ったまま、帰って来ないと思った? (……あ。そうか。だからか)  華は当初、実家に預けるつもりでいた。だけど村田が華も連れて行けと猛烈にプッシュして来て。  自分は行くのをやめたくせに、と、ここまで考えて不意に気がついた。 「帰って来ないって思った?」 「……あー、うん。てか。連れてっちまわないかな、とかさ。ジョンが」 「え」 『ちょ、村田。何を言い出すんだよ』  そこまで出ていたのに、それは言葉にはならなかった。  正直、全く考えていなかった。ジョンが死んだことも、ようやく今日、納得できたばかりなのだから。それでも何故だか、ずきりと胸が痛んだ。  僕が行く?  ジョンのところへ?  そしたら声が聞けるのだろうか。 『ジュン』  僕の名前を呼ぶ、あの優しい声が。 「木田っ」  その時、村田の声で我に返った。一瞬、意識をどこかへ飛ばしてしまった。  ……あ、れ。僕、いま何してたっけ。  なんで僕、村田の腕の中にいるんだろう。  気づけば正面から村田に抱かれていて、自分が置かれている状況に頭がついていかない。 「……行くな。頼むから」  自分からロンドンへ行けと言っといて、今度はそんなことを言って来る村田。  村田が僕を抱く腕に力がこもった。

ともだちにシェアしよう!